大きな魚

一学期の終業式の日、大樹だいき寿鈴すずとハンバーガーショップで待ち合わせた。

二人で店に入ったのは、午後一時半近くで、座れない程には混んでいなかった。


「先に入って涼んでて良かったのに」

「だいちゃんと一緒に入りたかったんだもん」


何、そのかわいい理由!?


次の言葉が上手く出なくて、大樹は「そ、そっか」と間の抜けた相槌を打つ。




金魚鉢ゼリーをもらった翌日の夜、大樹は思い切って「美味うまかったよ! ありがとな」とメッセージを送ってみた。

連絡先を交換した途端に、何でもないことを嬉しげに送ったら引かれるかと思い、当日は寿鈴からのメッセージに返信しただけだったが、翌日には送りたくてウズウズしてしまったのだ。


お礼なんだから、これも用事だろう。

そう自分に言い聞かせて送ったのに、一分と経たずに寿鈴から返信があって、心臓が跳ねた。


開けば、子供の頃から好きだった茶色のウサギのキャラクターが「うれしい!」と跳ねているスタンプ。

そして、「今日も暑かったね。外での体育中止になったよ。だいちゃんは部活、大変じゃなかった?」と続く。


え、これ、世間話的に続けていいやつかな?


何しろ好きな子と一対一でメッセージの遣り取りなんて、初めてなのだ。

自分でも顔が緩んでると思いながら、大樹が「じゃあ、おやすみ」と打ったのは十五分後。

「おやすみなさい。またね」と返ってきて、よりニヤけた瞬間、部屋の入口が開いて容赦のない声が飛んだ。


「大樹、キモい!」

「は!? な、なんだよ、ノックくらいしろってば!」


見れば二つ上の姉、優樹ゆきが入口で腕を組み、半眼でこちらを見ていた。


美樹姉みきねえから聞いたんだけど、寿鈴と付き合い始めたんだって?」

「ち、違う、まだそんなじゃないんだって」

「ふ〜ん、ねぇ?」


うっ、と言葉を詰めた大樹にフンと鼻を鳴らして、優樹は部屋にズカズカと入ると、何かの券を持った手を突き出す。

駅前のハンバーガーショップの新作マンゴーフラッペの無料券だった。


「まあどっちでもいいよ。これあげるから、寿鈴と行きなよ」

「……いいのかよ」

「いいよ、私の好きな味じゃないし、彼は甘いもの食べないから。寿鈴はマンゴー好きでしょ」


自分は知らない情報を優樹が知っていて、大樹は思わず口を歪める。

年は二つ離れてはいるが、同性なのもあって、寿鈴は優樹とも仲が良かった。


「サンキュ」


券を受け取ろうとして手を出すと、手放さないまま優樹は続ける。


「中学に入学した頃さ、寿鈴に言ったの。『なんか困ったら、いつでも言いなよ』って」

「……そうなの?」

「そ。寿鈴、家の事手伝うから部活にも入ってなかったし、色々大変かなーと思ってさ。そしたら、『だいちゃんがいつも助けてくれてるから大丈夫だよ』って言われたんだよね」


優樹は手を離して、身を翻した。


「付き合うなら、真面目に付き合いなよ」





「これ、美味しいね!」

「そっか、良かったな」

「うん。優樹ちゃんにお礼言わなきゃ」


オレンジ色のフラッペをスプーンストローですくって、寿鈴は嬉しそうに笑う。

ストローの先が唇に触れるまで目で追ってしまい、大樹はドギマギしながら、トレイに乗ったポテトを数本口に入れた。


「あ、ポテトも塩味がちょうど良くて美味いや。塩味が薄いと、テンション下がるよな」

「うん、それ分かる!」


寿鈴も同意してポテトを一本摘む。


「あ、見てだいちゃん、これすごーく長いよ」

「ホントだ、めちゃ長い!」


寿鈴が摘んだポテトは、他のポテトに比べてとても長かった。

くすくすと笑いながらポテトを口に入れる寿鈴を見て、大樹は次のポテトを摘みながら問い掛ける。


「寿鈴、今日何か良いことあった?」

「え? 特には……。どうして?」

「いや、なんかいつもよりテンション高いな〜と思って」


寿鈴が目を丸くしてから、ンンッと咳払いして席に座り直した。


「実は今日ここに来るの、すごく楽しみだったの。……一人で盛り上がりすぎちゃったかな。引いてる?」

「そんなことない! 可愛かったし!」

「え……」


ん?

俺、なんか口走った?


そう思った時には、寿鈴の頬が赤く染まり始めていた。

持っていたストローが、フラッペの容器からツルリと滑り、オレンジ色の氷がスカートにポトリと落ちる。

「あ」と小さく呟いて、寿鈴は急いで足元に置いていた荷物を持ち上げて、ウェットティッシュを取り出した。


荷物リュックの取っ手に付いている、茶色のウサギのマスコットが揺れる。


「寿鈴って今もそのウサギ好きなの?」

「ああ、うん、そうなんだ」

「じゃあ何でアプリのアイコン、ウサギなの?」


寿鈴はキョトンとした顔で大樹を見たが、何のことを言われているか気付いて、更に顔を赤くする。

おそらく、あのワッペンがアイコンであることは、寿鈴にとってもう当たり前のことで、それを大樹に見られるということまでは想定していなかったのだろう。


「あ、あのね、あれ、私の宝物なの」

「あんな下手くそなのに」


大樹がガリガリと頭を掻けば、寿鈴はテーブルに両手を付いて首を振った。


「そんなの関係ないよ。あの時だいちゃんがくれて、すごく元気が出たの」

「そんな大したもんじゃあ…」

「ううん。お守りみたいに思ってた、ずっと。だいちゃんがいつでも助けてくれてるみたいな気がして」


寿鈴はテーブルの隅に置いてあったスマホを取った。

まるでそこに、本当にお守りが入っているみたいに、そっと握る。


「小さな頃からそうだよ。だいちゃん、いつも私を助けてくれたの。……嬉しかった。ありがとう、だいちゃん」



へへ、と照れて笑う寿鈴の顔は随分大人びたけれど、不思議と、大樹が小さな頃から知っている表情とも重なって見える。

大樹はその表情を見て、ふと幼い頃を思い出した。


「……俺が寿鈴のことを助けられたんだとしたら、そのきっかけは、寿鈴がくれたんだ」

「え?」

「俺さ、小二の時に寿鈴に助けてもらったんだ」



今でさえ身長が百八十近い大樹だが、小学二年の頃は、偏食ばかりでとても小さな少年だった。


給食を残してばかりの大樹を、一部の子供達は『大樹だいきは、“らい”の大樹だ』と度々からかうので、大樹は自分の名前がイヤだと、泣いて母を困らせていた。


だがその時、寿鈴が言ったのだ。


『だいちゃんの名前、わたし好きだよ。だって、だいちゃんの名前の中にわたしが入ったら、“だい・す・き”になるんだよ』


大樹は驚いた。

そして、よくよく考えて答えた。


『“だいすき”じゃなくて、大きなお魚になっちゃうよ』

『えっ、どうして?』

『“だい・すず・き”。大きなスズキになっちゃうもん』


寿鈴はぱちくりと目を大きく開き、しばらくして、『本当だ! 私達、一緒だと大きなお魚になっちゃうんだね!』と、照れながらたくさん笑ってくれたのだ。



「俺さ、それで自分の名前嫌いにならずに済んだんだ。寿鈴のおかげ」

「……大っきなお魚なのに?」

「でも、面白いだろ?」


大樹が笑えば、寿鈴はストローをカップの中でクルクル動かした。

照れているのだろう、頬が赤いまま、うつむき加減でストローを回していたが、目線を上げて大樹と目が合うと、へへと笑んだ。



大樹の心臓が、ドクンと跳ねた。

ずっと変わらない、あの笑顔。


「……そっか、俺、もうずっと前から寿鈴のこと好きだったんだ」


……あ。

口に出してしまった。

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