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腹ペコで帰った大樹だいきは、着替えを後回しにして、まずは夕食を摂っていた。


好物の生姜焼きを頬張りつつ、観葉植物を置いた小さなテーブルに、チラリと視線をやる。

白い鉢の側に、スマホを置いてあった。

食卓にスマホを置くと、母から電撃チョップを食らわされるので、少し離して置いているのだ。


寿鈴すずと連絡先を交換して浮かれているのか、大樹は何度もスマホの画面をチラ見してしまう。

しかし、ツルリとした画面はなんの反応もなく、しーんと静かに鉢の横で黒光りしている。


さっき連絡先を交換したばかりなのに、帰ってすぐにメールが来たりしないって。


そんなことを考えて心の中で自分を笑うが、しかし、それでも期待が勝って、目線は何度もスマホに向いてしまうのだった。




「何これ、金魚鉢? かわいいわね〜」


突然聞こえた母の声に、大樹は茶碗を持ったまま素早く振り向いた。

ソファーの足元に置いてあった荷物リュックから、保冷袋を取り出した母が、金魚鉢ゼリーを光に透かしている。


「なっ、何勝手に荷物漁ってんだよ!」

「え〜? 弁当箱すぐに出さないのがいけないのよ」


母はどうやら、空の弁当箱を回収するべく、大樹の荷物を開いたようだ。

大樹が急いで奪い返しに行けば、大人しくゼリーを渡した母は、口元に片手を当ててニヤけた。


「それ、手作りでしょ? やだぁ、大樹うちの息子にもとうとう彼女さんが出来ちゃったのかしら!」

「そんなんじゃねぇの!」


『そんなんじゃねぇ』と口に出して、自分でダメージを受ける。

寿鈴はまだ、一般的に言う“彼女”じゃない。

そもそも、と思って良いのかも、分からないのだけど……。



「相手、寿鈴でしょ?」


居間の入口から口を挟んだのは、五つ上の姉、美樹みきだった。


「あら、おかえり。え? 大樹あなた寿鈴ちゃんと付き合ってるの!?」

「ちがっ、だから違うんだって!」


食い付く母と慌てる大樹を横目に、美樹は今購入してきたらしいカップアイスを袋から出し、冷凍庫に入れる。


「さっきコンビニに寄ったら、駐車場から二人で自転車押して出て行くのが見えたんだもの。も〜、鼻の下伸ばした弟の顔、笑えるって」

「んまーっ!」


姉がニヒヒと笑うと、母は口元の手を両手に増やしてニヤケ度を増す。


「す、寿鈴と会ってたけど、付き合ってるとかじゃないんだって! たまたま部活で作ったって、ゼリーもらっただけなんだよ」


女二人相手に、あまり長く話すべきではないと思い、大樹は食卓に戻って急いで白米を掻っ込む。

「ええ〜、違うのぉ? 残念」と、背後から恨めしげな母の声が聞こえたが、無視を決め込んだ。

今は二階にいる次女もう一人の姉を含め、年上の女三人に掛かれば大樹は常に劣勢になる。

こんな時は、さっさと退散するに限るのだ。



「寿鈴ちゃんもようやく恋愛するくらいの気持ちになれたのかと思って、安心したのに」



母が言った言葉に、生姜焼きの最後の一枚を口に入れようとしていた大樹は、思わず振り返った。


「それ、どういうこと?」

「ほら、寿鈴ちゃんち、離婚の時に色々もめたじゃない。あの頃から寿鈴ちゃんって、男性不信気味だったのよねぇ」


母は弁当箱を流しで開けながら、少し顔をしかめた。


大樹の母と寿鈴の母親は、いわゆるママ友で、大樹達が幼稚園に入る前から仲が良い。

だから寿鈴の父親の浮気から離婚騒動に発展した時も、色々と相談に乗っていて、その頃の寿鈴の様子もよく知っているのだった。


「五年生の時だったでしょう? 色々理解できる年齢だからね、お父さんが度々家に帰って来なくて、その度にお母さん以外の女の人と…なんて、堪らなかったわよねぇ」

「あれは病気よ、病気! 泣いてる寿鈴むすめだっているのに、『男はそういうもんだ』って堂々と言いやがったのよ」


美樹が炊飯器の前で、自分の茶碗にご飯をよそって尖った声を出す。

大樹は箸を置いて身を乗り出した。

そんな話、初めて聞いた。


「なんだよそれ。いつこのと?」

「五年の終わりくらいよ。今ぐらいの時間に、寿鈴のお母さんが寿鈴を一緒に連れてきて母さんと話してたの。そこに寿鈴のお父さんアイツが連れ戻しに来て言ったのよ!」

「俺、知らないんだけど!?」

「あんたはちょうど塾行ってたから。帰って来た頃には、もう家に帰っていなかったからね」


強く眉根を寄せた大樹をチラリと見てから、母は生姜焼きの皿を大樹の正面の席に置く。


「六年生に進級する前は、担任が男の先生だったら学校に行きたくないって泣いてたのよ」

「あれじゃあ、男の人なんて嫌だ、気持ち悪いって思っても仕方ないと思うけどね……」


食卓に着いて手を合わせる美樹が、溜め息混じりに言った。



大樹は記憶を呼び起こす。

六年生に進級してしばらく経ってから、寿鈴の両親が離婚したのは知っているし、よく笑う子だった寿鈴が、元気をなくしてあまり笑わなくなっていたのは覚えている。

でもクラスは別々だったし、部活や塾で忙しくて、直接関わることがほとんどないままだった。

関わると言えば、時々二クラス合同の体育や家庭科の授業で顔を合わせるくらいで、その時ばかりは、笑って欲しくて積極的に明るく話しかけていたように思う。


その内、寿鈴は少しずつ元気を取り戻して、中学に上がった時には、校内で友達と楽しそうにしている姿もよく見かけたし、大樹と会えばいつだって笑って会話してくれていた。

だから、寿鈴が男性不信気味だなんて、今の今まで想像したことはなかったのだ。



『そんなのいないし、いらないもの』


大樹はふと、公園で彼氏がいないのかと聞いた時に、寿鈴から返された固い言葉を思い出した。

もしかしたら、大樹が気付かなかっただけで、寿鈴の男性不信は今も完全には払拭されていないのかもしれない。




夕食を終えて自室に入り、荷物をドサリと床に落として、ベットに倒れる。


寿鈴が今でも男性不信気味なのだとして、じゃあ、俺と会って嬉しそうにしてくれるのはどうしてなんだろう。

寿鈴にとって、俺は特別だ……と思うのはただの願望だろうか。

いや逆に、男として一度も認識されたことがない、ということだったりして……。

うっ、ダメージでかっ。



ピコン♪



荷物の中でスマホが鳴って、大樹は急いで取り出す。

見れば寿鈴からの初めてのメッセージが届いていた。


アプリを開いてみると、「今日はありがとう」の文字と、円で囲まれたアイコンが目に入る。

何気なく、寿鈴はどんなアイコンを設定しているのだろうと目を凝らし、そこに写ったいびつなウサギに首を捻った。


「……なんだっけ、これ。どっかで見たことあるような……」


大樹は記憶を探りながら、アイコンを拡大してみた。

色褪せた、茶色のウサギ。

大きな人参を手に、笑っている……フェルトの……ワッペン?


思い出して、思わずパカリと口を開ける。


それは小学校六年の家庭科の授業で、アイロンを使ってフェルトのワッペンを作った時の、大樹の作品だった。

完成して持って帰る時、その頃ウサギのキャラクターが好きだった寿鈴に、プレゼントした。


『寿鈴、これあげる。元気出せよ』




スマホを手にしたまま、大樹は頬が熱くなるのを感じていた。


「寿鈴……やっぱり俺、寿鈴の特別だと思っていいのかな」





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