二人だけの

「聞いてくれ、大樹だいき! 俺、彼女できた!」


九月最終日。

部活終わりに体育館でネットを片付けていた大樹は、同級生のあつしが喜びを溢れさせて言った言葉に、笑顔を返した。


「おー! やったじゃん! 女子バレー部の子?」

「いや、同じクラスの子」

「へ〜……」


確か夏休み中に敦が好きだと言ってたのは、女子バレー部の髪の長い子だった気がする。

こんな短期間に好きな子って変わるもん?


敦はニヤけながら転がっているバレーボールを拾う。


「いいよな〜、彼女がいるって。毎日が楽しくなるよな。お前も幼馴染の子に告れば?」

「もうとっくに告白したよ」


サラッと言ってネットを端から巻いていく大樹に、敦は拾っていたボールを落として食い付いた。


「いつの間に!? なんだよ、じゃあ彼女になったの?」

「夏休み前。でも、彼女ってわけじゃないけど」

「げっ、フラれたのかよ……」

「いや、そういうことでもない」


敦は困惑した表情で、転がったボールを再び拾う。


「……わけわかんねぇな、お前等」

「いーの、俺達はこれで。っていうか、俺にしてみれば、敦の方が分かんないけど。何で夏休み前に好きだった子と違う子が彼女になってんの?」

「そりゃ、まあ、……告られてビビッときたから?」

「うわ〜お手軽……」


「うるせぇ!」と尻にボールをぶつけられて、「いてぇよ!」と返す。

二人はじゃれ合いながら片付けたのだった。




外に出れば、六時過ぎでももう薄暗い。

明日からは十月。

日中は暑くても季節は秋に変わっている。



大樹だいきの通う高校は、八月最終週から二学期が始まり、テストや体育祭、文化祭の詰め込まれた慌ただしい九月は、飛ぶように過ぎた。

寿鈴すずの高校は春に体育祭が終っていたが、寿鈴が入っている部は文化祭に向けての活動に力が入っているらしく、やはり毎日忙しそうだ。


夏休みはもう一日、野外イベントに二人で出掛けた。

手を繋ぎ、たくさん笑い合って、楽しくてあっという間に終わってしまった。


学校が始まってからは、ほとんど会えていないが、毎日メッセージの遣り取りをしたり、たまに電話で話したりしている。



ペダルを踏み、薄暗い道を自転車で走る。

公園の前を通る時、大樹は習慣でベンチを確認したが、もちろん今は誰もいなかった。


寿鈴は今頃、家で夕食を食べているのだろうか。

それとも、帰宅途中だったりして。


大樹は想像して微笑む。


大樹と寿鈴の関係は、“恋人繋ぎ”で手を繋いだ時から、特に変わってはいない。

それは、傍から見ればきっと“彼氏と彼女”というものに見えるのだろう。

しかし大樹は、二人の関係を寿鈴が“幼馴染”だと言い表したいのなら、ずっとそのままでもいいと思っている。


どんなカップルだって、傍から見れば同じ“彼氏と彼女”でも、その関係性は様々だ。

敦と彼女も。

姉も彼氏も。

街を行くカップルも。

きっと、カップルの数だけ、その関係がある。


傍からどう見られて、どう思われようと、自分が見るのは、目の前の好きな人寿鈴だけでいいんだ。





自宅の門の側に自転車を止めた時、漂う甘い香りに気付き、大樹は鼻を動かした。


飯時めしどきなのに、チョコレート?」


怪訝そうに玄関を入り、おざなりに扉を開けて台所に入ると、女が振り返った。


「だいちゃん、おかえりなさい」

「えっ、寿鈴!? なんで家に!?」


母と姉二人の間に私服の寿鈴がいて、大樹は驚いて腰を抜かすかと思った。


「あはは、寿鈴、見た? 今の大樹の間抜け顔!」


次女の優樹ゆきが爆笑する。


「優樹ちゃんたら、そんなに笑ったらダメだよ。だいちゃん、驚かせてごめんね。今日美樹みきちゃんとケーキ作る約束してて……」

「はあ?」

「ガトーショコラ作ってみたいから教えてって、寿鈴にお願いしたのよ」


間の抜けた返事をする大樹を尻目に、長女の美樹が笑って説明してくれた。


マンゴーフラッペの件で、優樹にお礼を伝えたいからと寿鈴に言われて、大樹は以前姉の連絡先を教えた。

そこから連絡を取り合っているのは知っていたが、まさか長女美樹までやり取りしていたとは思わなかった。



「今日来るって、教えてくれたら良かったのに」

「優樹ちゃんが……」

「私が黙っとけって言ったんだよ、アンタの驚く顔見たくて!」


優樹が寿鈴の腕を引いて抱きしめる。

小柄な寿鈴は、女子にしては大柄な優樹の腕にあっさり収まった。


俺もしたことないのに、何やってんだ優樹姉コイツ


「ちょっと! 俺の幼馴染なんだけど!」

「ブブー、寿鈴は私達の幼馴染でもあるんですぅ〜」

「寿鈴の幼馴染は自分だけだと思ってたんでしょ」


続く姉二人の言葉に、口を閉じる。

確かに三人とも寿鈴の幼馴染ではあるんだけど……。


「……荷物置いてくる」


大樹は荷物リュックを背負い直し、「ご飯出来てるわよ」という母の言葉を背中で聞いて、台所を出た。





コンコンと扉が叩かれて、廊下から「だいちゃん、開けてもいい?」と声が掛かった。

本を抱えていた大樹は、急いで扉を開ける。

扉の前に立っていた寿鈴が、不安気に大樹を見上げた。


「だいちゃん、なかなか戻ってこないから……。黙って来て、怒っちゃった?」

「あ、違うんだ。え〜と、ほら、後で寿鈴が部屋に来るかと思って、ちょっと片付けを……」


姉二人にヤキモチを焼いたとは、さすがに言えなかった。


大樹の後ろに、片付け途中の部屋が見えて、寿鈴は表情を緩めた。


「まだ入っちゃダメ?」

「……散らかってていいなら、いいよ」


大樹が身体をずらすと、寿鈴は嬉しそうに足を踏み入れた。

そして、部屋の中をゆっくりと一周見回す。


「懐かしいな……だいちゃんの部屋。最後に入ったの、四年生くらいかな」

「そうだっけ?」

「うん、そう。……私ね、実はもう二度とだいちゃんの家には来れないんだって思ってたんだ」

「え?」

「あの日のお父さんのことを思い出すのが怖くて……」


大樹は持っていた本を置いて、寿鈴の側に立った。

心配して、そっと右手を握ってみたが、しかし、握り返す寿鈴の力はしっかりしたものだった。


「でもね、来てみたら、平気だった!」

「……ホントに?」

「うん。思い出して、ものすごく腹が立ったけど、怖くなんかなかった。どうしてあんなに怖いと思ってたんだろうって、馬鹿みたいに思えるくらい。……全部、だいちゃんのおかげだね」


寿鈴の左手が、右手を握る大樹の手の上に添えられた。



「ありがとう、だいちゃん」



寿鈴が大樹を見上げた途端、大樹の心臓が突き上がった。


寿鈴の顔が、とても近い。

潤んでキラキラと輝く目が、直ぐ側で大樹を映している。

滑らかな頬と、柔らかくツヤのある、桃色の、唇……。



いま……、キスしていい……?



吸い寄せられそうになった途端、パッと寿鈴が両手で顔を覆って俯いた。


「……む、むり……」


ガーーーンッッ!!


「す、寿鈴、そのキョゼツハダメージデカイデス……」


思わず棒読みになった大樹の前で、寿鈴は顔を隠したまま首を振った。


「違う、違うの! キスしたいの! すごくしたかったんだけど、だって初めてなんだもの! いつ目を閉じるの? いつ息止めるの!? 分かんないよ!」


………ん?

今、なんて言った?


「ねえ寿鈴、今のもう一回言って」

「だ、だから、違うの!」

「うん、何が?」

「だから、すごくキスしたかっ……………〜〜っ!」


動揺しすぎて自分が口走った言葉を、ようやく理解したのか、寿鈴の耳が赤くなっていく。

大樹は自分の顔も赤くなっているんだろうなと思いながら、笑った。




「いつになったらご飯食べるの〜」という母の声が聞こえて、二人はビクリと背筋を伸ばした。


「すぐ行く!」


慌てて答えた大樹は、ようやく両手を下ろした寿鈴と、揃って赤くなった顔を見合わせ、へへ、と照れて笑い合った。


「寿鈴」


赤みの引いてきた頬を押さえながら、先に部屋を出ようとした寿鈴に、大樹は後ろから声を掛けた。


「好きだ」


振り返った寿鈴が目を見開いた。

開いた扉の向こうから、漂うチョコレートの甘い香り。

それに負けないくらい、甘く、嬉しそうに、寿鈴が微笑む。


「私も……」



俺と寿鈴が“幼馴染”以外でお互いを紹介し合うのは、もしかしたら、もうすぐなのかもしれない。

でも、そうでなかったとしても大丈夫。


俺は、寿鈴が好きで、寿鈴も、俺が好き。


それだけ分かっていれば、きっと、俺達はこれからも一緒にいられるから。




《 終 》



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