指と指

夏休みに入り、毎日暑い日が続く。


七月は、大樹だいきは補習と部活に追われて忙しく、寿鈴すずも八月の頭まではほぼ毎日部活動があって、二人は何度かコンビニやハンバーガーショップで待ち合わせたくらいで、ゆっくり会うことはなかった。




八月のお盆前、初めて二人の予定が一日空いたので、その日が待ちに待った“お出かけ”の日となった。

出かけた先は、郊外の大きなショッピングモールだ。

駅で待ち合わせて一緒に電車に乗り、到着したのは十一時前だった。


昼になって混む前にと、目的の一つであるカフェに向かう。


足取り軽く歩く寿鈴の私服を何度もチラ見して、大樹は心の中でガッツポーズする。

白いノースリーブのサマーニットに、若草色のロングスカート。

会うのは学校帰りばかりで、制服か体操服ジャージばかりだったから、テンションが上がる。


しかも、寿鈴は意外と胸が……。


「だいちゃん、どうしたの?」

「何でもございませんっ!」

「え、なにそれ」


驚いて声が裏返ってしまい、ものすごく笑われたけれど、寿鈴が楽しそうだからまあいいかと思いながら、大樹は初めてのカフェに足を踏み入れたのだった。




席に運ばれてきた厚焼きのパンケーキを見た途端、寿鈴の顔が輝いた。


「だいちゃん、だいちゃん、見て! 五センチ以上はあるよ! すごい!」


寿鈴の興奮ぶりに、大樹は思わず笑う。


「見てる見てる。っていうか、知ってて来たかったんだろ?」

「そうだけど、実物は初めて見るの!」


厚みが五センチあるパンケーキ二枚に、クリームとベリーソースがたっぷりかかって、その横にバニラアイスと数種のフルーツがてんこ盛り。

前にこのパンケーキの写真を雑誌で見て、寿鈴が夏休みに行きたいと主張していたのだ。


ソワソワしながらも、慎重にナイフを入れ、寿鈴は一口大にカットしたパンケーキにたっぷりとクリームを付ける。

大樹は正面でその様子を見て、つい「かわいい」と言いそうになる口を閉じる。

一口目を頬張るところは見逃せないのだ。

ここは黙って見守らなければ。


大きく口を開けて、パクリとパンケーキを頬張ると、寿鈴は一度目をぎゅっと閉じてから満面の笑みを見せた。


「んん〜っ! んん〜〜っ!」

「寿鈴、なんて言ってんのかさっぱり分かんないけど、美味うまいんだな?」

「ん、ん!」


何度も頷いてもぐもぐする寿鈴は、可愛すぎる。


大樹は勝手に緩む頬をなんとか引き締め、自分が注文していたクラブハウスサンドイッチを大きくかじった。

すると、寿鈴が小さく笑う声が聞こえた。


「だいちゃん、一口大きい」 

「知らないのか、こういうのは大きくかじるのが美味いんだぞ。ほら」


持っていたサンドイッチを目の前に突き出せば、寿鈴は目をパチクリさせてから、えいやと目一杯大きくかじった。


「ん〜っ! んん〜っ!!」

「ぶっ! 寿鈴、可愛すぎ!」


二度目は堪えきれずに噴き出してしまい、大樹は寿鈴に真っ赤な顔で抗議されたのだった。




会計をするために席を立とうとした時、尖った声が奥の席から聞こた。


少し前から、二十代前半くらいのカップルが険悪なムードで会話をしているのは知っていたが、どうやら拗れて言い争いになったようだ。

聞くつもりはないのに、苛立って声が大きくなっていて、その内容が漏れ聞こえてしまう。


聞こえた内容から推察するに、彼が浮気をしたことがバレて喧嘩になっている、ということのようだ。

出来れば、寿鈴との楽しいお出かけ中に、こんなものは聞きたくなかった。



見兼ねた店員が注意をしに行った時、ボソリと寿鈴が呟いた。


「男の人って、やっぱりみんなそんなものなのかな……」


大樹は驚いて寿鈴を見た。

寿鈴は大樹が見たことのないような暗い目をして、無表情でキツく握った手を見ていた。



寿鈴の言う“”とは、おそらく寿鈴の父親が言ったものだ。


……そうか、寿鈴の中には、まだあの五年生の時の寿鈴がいるんだ。

目の前で表情を失くしている寿鈴は、今も、あの時父親から受けた傷を癒せないまま抱えている……。



「俺は違うよ」と言う言葉が喉元まで出掛かったが、大樹はそれを飲み込んで、別の言葉を口にした。


「……女の人だってさ、皆、男はイケメンで金持ちじゃなきゃ価値がないと思ってるんだろ?」


寿鈴の顔に、さっと表情が戻った。

ムッとした様子で大樹を見上げ、早口で言う。


「なにそれ? 女の人が皆、そんな風に思ってるわけじゃないよ」

「そう?」

「そうだよ。私、そんな風に一度も思ったことない!」


大樹は軽く頷く。


「そりゃそうだよな。それなら男も、そんな奴ばかりじゃないんだ」



言葉が頭に浸透するまで、寿鈴はポカンとしていた。


きっと、初めてそんな当たり前のことを考えたのだ。

誰でも分かるような当たり前のことも思いつかないほど、寿鈴は父親に付けられた傷に、ずっとずっと囚われていたんじゃないだろうか。


それは、そう、呪いみたいなものだ。


だけどもう、そんなものは消してしまわなければ。




寿鈴は何度も瞬いてから、カアッと顔を赤くした。


「私……、ごめんなさい、だいちゃん、私ひどいこと言っちゃった。だいちゃんもだ、みたいに……」

「いいよ、分かってる。寿鈴はそんなこと、思ってないだろ?」

「うん。だいちゃんはそんな人じゃないよ……」


大樹は、ニッと笑った。


「じゃ、いいよ。この話はな!」


大樹は立ち上がり、申しわけ無さそうに小さくなる寿鈴の手を取って立ち上がらせた。

そしてそのままレジで会計を済ませて、店を出る。

寿鈴の顔が前を向いて、大樹の方をちゃんと見上げてくれるようになるまで、大樹は寿鈴の右手を離さずに、ショッピングモールを歩き続けた。




「寿鈴、次、どこ見る? 俺スポーツシューズ専門店行きたいんだけど」

「うん、いいよ。……ねえ、だいちゃん、ずっとこうやって歩くの?」


寿鈴がチラリと繋いだ手を見た。


「あ、だめだった? 離す?」


パッと大樹が左手を広げて離すと、それを追いかけるように、寿鈴の右手が大樹の親指を握った。


「だめじゃないよ! ダメじゃないんだけど……」

「ダメじゃないんだけど……、何?」


寿鈴がゆっくり大樹を見上げる。

大樹は寿鈴の目を見て、ドキリとした。


正面から目を合わせることなんて、珍しいことじゃないのに、なんでこんなに心臓が跳ねるんだ?



寿鈴が視線を逸らして、人混みの方をそっと指差した。


「だいちゃんと手を繋ぐなら、あれがいいな、って……」


寿鈴の指差した方を向けば、映画のポスターが並んで貼られた壁の前に立ったカップルが目に入った。

これから観る映画を決めているのだろうか。

楽しそうにポスターを見て話す二人は、指と指を絡めて手を繋いでいた。



大樹のノドが、ゴクリと鳴った。


「ねえ、寿鈴。……あの手の繋ぎ方、なんていうのか知ってる?」

「…………知らない」


寿鈴がうつむき加減に、左手で前髪を触る。

サラサラの髪を掛けた耳は、赤い。


親指を握っていた寿鈴の指が解けて、大樹の手のひらにそっと触れる。

大樹は寿鈴の指の間に自分の指を滑り込ませて、キュッと握った。



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