第4話 蜜蜂と石窯パンと四季君と

 玄関に回ると、看板が立っていた。木の枝を組んで作られた文字は、『山のパン屋』と読める。そのまんまのネーミングだ。店の正面は綺麗に草が刈り込まれていて、白い軽が一台、端っこに停まっている。そこは、駐車場のようだった。


「日本蜜蜂を見た時、製パン用に養蜂をしてるんじゃないかと思ったんだ。こんなとこでパン屋をしてるくらいだから、色々拘ってるかもって。うちの土地は俺が知る限り日本蜜蜂の巣は無いし、あいつらの行動範囲は二キロくらいだから、圏内だろ」


 四季君が蜜蜂を追いかけた理由を、楽しげに話す。

 蜂の巣の有無まで把握してるなんて、完全に縄張りなんだなあと感心しながら、あたしは入口に向かった。


 真鍮製のドアノブに、赤文字で『OPEN』と書かれた札がぶら下がっている。

 扉を開けると、小麦を焼いた香ばしい香りに出迎えられた。同時に、カランとドアベルが音を立てる。人はいない。照明はついているけれど、蛍光灯じゃなくランプだった。だからなのか、店内は何となく薄暗い。商品棚と思われる板を重ねただけの簡素な棚が左右の壁を埋め尽くしているけれど、そこにパンは一つも無かった。


「売り切れたのかな」


 四季君が残念そうに言ったところで、店の奥から「はいはーい」と声がする。ほどなくして、クリーム色のエプロンをつけた小柄な人物が現れた。

 禿頭に丸眼鏡をかけた、蜜蜂みたいなオジサンだった。



「よかったね堤さん。最後の一個、売ってもらえて」

「だね。晩御飯用のもらっちゃって、何か申し訳ないけど」


 自転車を押す四季君の横で、あたしは胸に抱えた得大の胡桃ブールを見下ろして苦笑った。

 店主曰く、あのお店はパン好きには密かな人気店らしく、商品は午前中には全部売り切れてしまうらしい。これは、店主が自分の夕食用にととっておいた、最後の一個だった。「一見さんなんて久しぶりだよ」とあたし達の来店を喜んで、特別に売ってくれたのだ。

 そんなこんなで千円ちょっとのお高い石窯パンをゲットしたあたし達は、四季君が乗って来たという自転車を回収してから、今、バス停に向かって歩いている。


「まだあったかい」


 紙袋越しに伝わって来るパンのぬくもりと、蜂蜜臭がほんのり混じった甘く香ばしい香りがたまらない。

 今日は早起きをしたし、ずっと歩き通しでお昼ご飯も食べていない。お腹がぺこぺこで、今すぐにでもかぶりつきたい気分だ。

 けれど、ここで食べてしまってはいけない。明日、工藤先輩にこのパンを見せなければならないのだから。


「あ、そうだそうだ!」


 工藤先輩の顔と一緒に、大事な事を思い出したあたしは、「ちょっとごめんね」と隣の四季君に断り、ポケットからスマホを取り出した。

 チャット型コミュニケーションアプリのロゴをタップして、『ともだち』リストから使い古されたサッカーボールのアイコンを探す。SHUNという名前がついたそれを選択し、電話マークを押した。

 コール五回目で、呼び出し音が止まる。この瞬間、心臓がドキリと鳴るのは、いつものことだ。


『よお、堤。どうした?』

「先輩、見つけましたよ。先輩が言ってた、山の中のパン屋さん」

『え、マジで?』

「マジですマジです。今、買って帰るところなんですよ」

『そっか。お前、そんなにパン好きだったんだ』

「え? は、はい。そうですね。ぱ、パンが、好きなんです」


 つい、ちらりと四季君に目をやってしまう。物言いたげにあたしを見ていた垂れ目と視線が合ったが、すぐに逸らされた。

 あたしと先輩の会話は、四季君に聞こえているはずだ。あたしの気持ちにも、彼は多分、気付いているに違いない。

 気まずいよね、ごめんね四季君。と心の中で謝りながら、通話を続ける。


「それで、このパン、明日持って行くんで、一緒に――」

『ありがとな、堤』


 食べませんか。と誘う前に、先輩に会話のターンを持って行かれてしまった。


涼子りょうこがさ、食べてみたい言っててさ。俺らも来週、行ってみるわ』


 りょ……


「涼子、先輩? ですか?」


 杉 涼子すぎ りょうこ先輩。同じサッカー部のマネージャーだ。


『そうそう。あいつもパン好きでさ。パン屋の話したら、食いたいってうるせーの』

「そ、そうなん……ですか」


 随分、親しいんですね。という言葉をのみこむ。


『ああ。だから助かったわ』

「先輩方はその……」


 付き合ってるんですか。という質問も、のみこむ。


『ん、なに?』

「いえ! 迷わないように、気をつけて下さいね! バス停を降りたら、右じゃなくて左に進んで下さい。そしたら、車一台通れるくらいの舗装されてない道が右側にあるんで、そこをまっすぐです!」

『分った』

「それじゃあ、また明日、学校で」

『おう、またな』

「はい! おやすみなさい~」


 寝るには早すぎる時間だけれど、あははと笑って通話を切る。

 スマホをポケットにしまって恐る恐る顔を上げると、案の定、四季君がこっちを見ていた。彼は何とも言えない……そう、苦虫を噛み潰したような表情をしている。垂れ目効果も相まって、なんだか今にも泣き出しそうな感じだ。


「そんな顔、しないでもらえませんか……」


 いたたまれなくなったあたしは、足元に視線を落として、小声で頼んだ。



 帰りのバスは、三十分後だった。しかも、最終便だ。


「間に合ってよかった。それじゃ」


 ベンチに座ったあたしに明るく言った四季君が、自転車にまたがる。あたしは「ねえ」と彼を呼びとめた。


「一緒にどお?」


 ずっと胸に抱えていた胡桃ブールを指さすと、四季君が目をぱちくりさせる。


「え、でもそれは」

「いいのいいの!」


 四季君の言いたい事は分る。でも本当に、これはもういいのだ。

 あたしは袋からパンを取り出すと、あたしの顔くらい大きなそれを、半分に割った。


「あったかいうちに食べようよ」


 だってもう、明日持ってく必要がなくなったんだから。


 はいどうぞ。と大きい方を差し出して微笑む。

 

 四季君が自転車を降りて、スタンドを立てた。あたしに歩み寄り、「こっちでいい」と小さい方をあたしの手から抜き取る。


「今日一番頑張ったのは、堤さんだし」


 ぽつりと落ちてきた彼の言葉に、涙腺が崩壊の危機に陥る。


「そそそうだよホントにね! 有難く食べてよ!」


 強がりに任せて言い放ち、パンにかぶりつく。ふかっ、とした温かいものがあたしの顔面にあたった。次いで、柔らかくなめらな舌触りの中心部分と、ちょっと硬い皮の部分が、口の中をいっぱいに満たす。


「んんん!」


 生地も胡桃も予想していた以上に甘く、思わず目を見開いた。


 隣に座った四季君も、あたしと同じようにパンにかぶりつく。すぐに彼は「んっ」と声を出し、あたしに目配せしてきた。


 あたし達はお互い顔を見合せながら何度も頷き合った後、口の中のものをごくりと飲み込む。

 そして同時に、「「うま~い!」」と笑った。





〜おしまい☆〜


~次のお話も近々書いて投稿します~

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四季くんはちょっと不思議 みかみ @mikamisan

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