もいちゃんのクリームソーダ

縦縞ヨリ

九月のある日

「昔ながらの喫茶店でクリームソーダを飲んでみたいんだ」

 もいちゃんからそんなLINEを貰った。

 私はスマホで待ち合わせの駅の近くの喫茶店を探す。今時のスタイリッシュで垢抜けたカフェではない。何十年とやっていそうな、人の歴史の刻まれた喫茶店だ。

 集まるのは次の月曜、祝日。個人の昔ながらの喫茶店となると祝日はやっていない店もある様である。しかもネットの情報も店側の発信では無く、殆どが来店したお客さんのクチコミだ。店休日がいつなのかもイマイチ良く分からない。

 しかし、個人の喫茶店自体は多いエリアらしい。その中でとりあえず「地元に昔から根付いている名店」とされている店を二、三軒程絞り込んでみる。

 ちなみにメニューもクチコミの写真が頼りである。予約サイトなんかにあるリアルタイムのものでは無いし、クリームソーダがあるのかも、良く分からなかった。

 しかし、このプロジェクトに失敗は許されない。

 何せ、記念すべき一大イベントの供として、私が選ばれたのである。これは大役だぞ。

 私達は相談の上、とりあえずその中の一軒で昼食を食べて、そこにクリームソーダを飲む、無ければ目星を付けた喫茶店をハシゴする計画を立てた。


 もいちゃんは高校の時の同級生で、出会って二十年以上の付き合いである。学生の頃はいわゆる「違うグループ」の子だったが、音楽の趣味が合うのと、単に性格の相性が良くて、今でも仲良しだ。

 私の机にバンプオブチキンの「ラフメイカー」の歌詞を書いてくれたのを良く覚えている。嬉しくて、テストの前日まで消さずいた。

 高校生の時は学校で一緒にご飯を食べたりはしなかったが、ライブには二人で良く行っていた。そして、二十年も経った今もそれは続いている。

 不思議なもので、社会に出てからはそれなりに落ち着いた人間を気取っているのに、もいちゃんと居ると頭から爪先まで高校生みたいな気持ちになってしまう。

 お互い結婚したり離婚したり、なんやかんや色々あっても、二人で会う時は十六歳の心のままなのだ。

 

 当日十時五十分、駅改札にて待ち合わせ。

 二人とも時間ピッタリ。お互い遅刻するタイプでは無い。

 駅を出てアーケードから外れた人気の無い道を少し歩くと、一軒目の喫茶店はあった。

 予定通り、オープンと同時に入店。……したはずなのだが、既に四人連れのお客さんが一組入っている。お茶も飲み始めているあたり、常連さんが開店前から陣取っている感じか。

 店内は窓が広く、古くて、お洒落という感じではないが、不思議と優しい空間だった。

 何十年も使っていそうな古いレジスターは、大きい電卓に手動の木の引き出しが着いているだけという感じの、未だかつて見た事が無い仕様である。

 テーブルと椅子はいずれも明るい色の木製で、所々ひび割れ年季が入っている。もしかしたら当時はもっと濃い色の塗装だったのが、年月で色褪せたのかも知れない。

 背もたれの付いた椅子は丸い座面に星の意匠が掘られており、真ん中のテーブルは店の形に合わせてか、細長い三角形の形をしていた。

 恐らくは、開店当時店に合わせて特注で作った椅子とテーブルなのだろう。

 天井は暗い飴色。かつてまだ店で煙草が吸えた頃の名残を感じるが、テーブルに灰皿は無い。時代に合わせて禁煙になったのか。

 天井も床も暗い色だが、道路に面した窓が大きくて店内は明るい。いつからあるのか分からないドライフラワーが窓辺を彩っている。

 古いけれど趣があって、もいちゃんと私はわくわくと店内を見回していた。

 やはり年季の入った飴色のカウンターの中で、店主であろうボブカットのお姉様……七十代くらいだろうか、がせっせとキッチンを仕切り、やはり同年代のお姉様が、キッチンを手伝いつつ給仕をして下さるスタイル。

「はいお水ね」

「ありがとうございます」

 接客はざっくばらんだが、乱暴とか無愛想という感じではなく、こなれたお姉様がキビキビ動いているという感じ。

 もいちゃんと私は、お姉様が持ってきてくださったメニューを見て驚いた。

 ランチセットが八百円税込み。

 スパゲッティ、ドリア、ピザなどのメインから一つ選び、それにサラダとお味噌汁とドリンクがついてくる。ドリンクも結構種類がある。令和六年とは思えない価格だ。

 安すぎるメニューにドキドキしつつ、私はドリアとアイスコーヒーのセット、もいちゃんはミートソーススパゲッティとアイスレモンティーのセットを頼んだ。

「シロップは入れていい?」

「はいお願いします」

 私ともいちゃんは、先月一緒に行ったライブの話や、昔聴いていたアルバムの話なんかをしながらゆっくりと料理を待つ。

 十五分くらいして、スパゲッティとドリア、サラダとお味噌汁が運ばれてきた。

 結構な量だ。

「これ八百円で採算取れるのかね……?」

などと二人で言いつつサラダを食べる。

 手作りらしい酸味の強いフレンチドレッシングが美味しい。味噌汁は白いコーヒーカップに入っていて、具は葱と油揚げ。優しい味。

 そして、スパゲッティもドリアも結構なボリュームだった。

 ドリアはお米の上にホワイトソース、その上にミートソースが少しかかっているバランスの良いお味なのだが、ホワイトソースにマカロニも入っていた。

 米とマカロニ! 

 炭水化物 on The 炭水化物! 

 強い。斬新である。しかし美味しい。マカロニのもちもち感とお米が良く合っている。

 美味しいってことは、私達にとってとんでもなく素晴らしく、心躍る事なのだ。

 もいちゃんはちょっとコホコホと咳き込みながら言う。

「お味噌汁美味しい。優しい味がする」

「ドリアも美味しいよ。でも熱くて中々食べれない……大丈夫?」

「後遺症後遺症。大分良くなったし、うつんないから」

 そんな感じでゆっくりと味わい食事を終えて、食後のアイスレモンティー……生のレモンが入ったやつだ、を楽しみつつ、もいちゃんは言う。

「デザートどうする?」

 私もアイスコーヒーにミルクを入れながら応えた。

「大きいパフェが名物っぽいんだけど、……クリームソーダが無いねえ」

 そう。今日の目的はなんたってクリームソーダなのだ。残念ながら、この喫茶店では扱いが無いらしい。

 果物の沢山乗ったパフェやクリームあんみつは魅力的だが、今日はあくまでクリームソーダの日なのだ。

 私達は作戦通り、少し買い物をして腹ごなしをしてから、次の喫茶店を目指す事に決めた。

 なんせ結構なボリュームだったから、直ぐに二軒目というのはちょっと苦しい。

 私達は千円ずつ出して、レジでお会計をする。

「美味しいかったですごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした、美味しかったです。ありがとうございました」

「はいありがとうねー」

 お姉様に軽快に見送られ店を出て、お釣りの四百円を二百円ずつに分ける。普段の買い物なんて殆どクレジットカードかPayPayだから、現金しか使えない店というのも久しぶりで、なんだか楽しかった。


 二時間くらい買い物をして、次の喫茶店へ。

 次の店は老舗の百貨店の中に入った、いかにも「純喫茶」な佇まいの高級店だ。……しかし今のご時世だ、恐らくもう喫煙席は無いだろう。なので正確には純喫茶ではあるまい。もっとも、もいちゃんも私も非喫煙者なので、特に困る事も無いのだが。

 今度は幸い、店の前に文字だけのメニュー表が置いてあった。譜面台みたいなものに恭しく置かれた、高級感のあるレザーっぽい表紙のメニュー表。

 めくってみると、今度はクリームソーダがある。お値段、千三百五十円也。

 ……場所代含むって感じだ、さっきの喫茶店が安すぎて脳がバグっているが、本来このくらいの値段しても全然おかしく無い。

「……ここにする?」

 私はもいちゃんに聞いてみる。流石に高いと感じたのか、むむむっ! とした顔でメニューを見ている。そして、やはりまだケホケホと咳き込んでいる。

「どうする? 他も見る?」

「いや、ここにする!」

 私は了解の代わりに先頭切って店に入った。もいちゃんもそれに続く。

 通されたのは四人がけのテーブル席で奥は革張りのソファー、手前は椅子だが、座面はやはり皮が貼られていて、座り心地は良さそうだ。

 もいちゃんが奥を譲ってくれて、お言葉に甘えてソファーに座る。

 背後にあった古風な鳩時計から白い鳩が顔を出して、丁度三時を知らせた。可愛い。

 ワクワクしてきたが、店内は穏やかなクラシックと、ゆっくり流れる柔らかな時間が漂っていて、私達はその繊細な空気を壊さないように声を潜める。

 店内のメニュー表には写真が付いていた。もいちゃんはそわそわしながら言う。

「クリームソーダが青色。メロンソーダじゃないんだね」

「アイスがお花みたい……けっこうボリュームありそう」

 もいちゃんはまたちょっと咳き込んで、治まってから悩ましく首を傾げる。

「……ケーキも食べたい」

「いやー……クリームソーダだけでも結構なボリュームな気がする。飲んでから考えない?」

「そうだね、パフェみたいだもんね」

 軽く手を上げると、白のピシッとしたシャツに黒のスラックス、それに黒のギャルソンエプロンを合わせた、グレイヘアーの壮年の叔父様の店員さんが来てくれた。さっきのお姉様も良い感じだったが、これはこれで最高である。

「クリームソーダお願いします」

「私はコーヒーフロートで」

 もいちゃんがちょっとびっくりした顔をした。そう、私は別にクリームソーダじゃなくても良いし、そもそも甘い飲み物はそんなに得意じゃ無いのだ。

 今日はもいちゃんがクリームソーダを飲むという一大イベント。私はそれを支援するプランナーである。

「クリームソーダかと思ってた」

「見るだけで良いかなあ」

「マジか」


 

 私、コロナで味覚無くなったじゃん?

 死ぬ程具合悪い時にオロC飲んだらマジでただの炭酸水でさあ。

 味覚戻ったら、絶対良いお店で美味しいクリームソーダ飲むって決めてんだ。


  

 そんな話をしたのが二週間くらい前だ。もいちゃんは三十九度の熱が三日も出て、一応落ち着いてからも咳が一ヶ月以上止まらず、味覚と嗅覚が戻ったのもつい最近である。そして未だにちょっと咳き込んでいる。


 壁と天井は清潔感のある白。それだけで喫煙席が無いのが分かる。もしかしたら禁煙にしてから一度貼り替えたのかも知れない。

 テーブルやカウンターは濃いブラウンの木製で、カウンターの奥は煌びやかにグラスやサイフォンが並び、壮年のバリスタがコーヒーを注いでいる。

 店全体が良く出来たミニチュアかドールハウスの様に整然として、磨き込まれた食器がジュエリーの様にキラキラしている。どこを見てもしっとりとした高級感があるが、だからと言って無駄に華美な訳でも無い。こういうのを上品って言うんだろう。

 白のブラウスにギャルソンのエプロンの女性が、銀のトレイで恭しくクリームソーダを運んで来る。男性と殆ど同じユニフォームだが、女性だととても凛として見えて、やっぱりこれはこれで素敵だ。

 恭しくそっと置かれた、ブルーハワイより、遥かに空色のソーダ。

 たぶんブルーキュラソーシロップを炭酸で割っているんじゃなかろうか。目が覚めるように爽やかな水色だ。

 その上には、滑らかなバニラアイスが大きな薔薇を象って品良く乗せられている。スクープされた丸いバニラアイスでは無く、スパチュラで丁寧に形を作っているのが見事だ。わたしのコーヒーフロートにも、同じ様に大輪の花が乗っていた。


「いただきます」

 

 もいちゃんはバニラアイスを一口すくい、口に入れて、ひどく嬉しそうな、溶けそうな顔をした。

 私もバニラアイスを金のパフェスプーンですくう。

 口に含むと、甘くて、滑らかで、濃厚で、でも不思議と後味がさっぱりしていて、それでいてバニラが香り高い。

「アイス美味しい。幸せ」

 味を感じるってのは、本当に幸せな、ありがたい事なのだ。

 かく言う私も、去年の暮頃、鬱病で色々おかしくなってしまい、味覚が無くなった。

 人間、味がしないと食べられないもので、食感だけの食事は頭が受け付けず、休職して味覚が戻るまで、殆どお味噌汁とカロリーメイトだけで過ごした。

 このまま味が分からないままだと、生きていけないと思った。それはきっと、もいちゃんも一緒だったんじゃないだろうか。

 出された食事を美味しく食べれるという事は、本当に幸せで、ありがたくて、尊い事なのだ。

 バニラアイスの甘みと豊かな香り。深煎りのコーヒーの濃い苦味。それが合わさったほろ苦いまろやかさ。ああ、なんて幸せなんだろう。

 もいちゃんも言う。

「味覚が戻ったら絶対クリームソーダ飲むって決めてた。本当に美味しい。嬉しい、良かった……」


 二人で一緒に飲み終わり、少し話をして、やっぱりケーキはおなかいっぱいで入らないねと言って笑った。

 私は伝票を持って席を立つ。

「ご馳走様でした。カードで」

 タッチ決済は一瞬だ。さっきの喫茶店で小銭を分けっこしたのが嘘みたいな速さ。

 早々に会計を終わらせる後ろで、もいちゃんがあたふたとお財布を出していた。

「快気祝いだからいらんよ」

「えっ良いの?」

「良いさ、元々そのつもりだったから」

「ありがとう」

「おめでとう」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もいちゃんのクリームソーダ 縦縞ヨリ @sayoritatejima

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画