聯泯

雷之電

1

 おことわり

 浮葉さんの意向により、大学名だけは伏せさせていただきます。



>あるべりっひ死んだのかよ草


>最近の自殺者軒並み憐憫やってないか


>病み人(やみんちゅ)御用達の儀式


>れんみんは冷笑するのに安井金比羅宮にはビビるオタク、それ本物の冷笑じゃないから



 ご連絡ありがとうございます。〇〇大学オカルト研究会の浮葉です。

 イェケは例に漏れず自殺しました。研究会のページにれんみんの記事を載せていない理由のひとつとして、私がこの件についてまだ心の整理をつけられていないというのがあります。研究会との大層な名前がついてはいますが、その会員はイェケと私の二人だけでした。この件に関して、あくまでも私の直感ですが、名前をみだりに読んではいけないような気がしていますので、このまま二人共々ハンドルネームでいさせてください。加えて貴方様もハンドルネームで呼ばせていただきたいのです。れんみんには、まだ明文化されていない禁忌があると睨んでいます。

 降霊術であれ、呪いであれ、実行者に特定の心的な働きを見せるためのプロトコルであれ、とにかくれんみんは、実際に人を死に至らしめています。れんみんを行ってからの彼女の変わり様には、そう思わせるだけの不自然さがありました。

 このような状態ですが、私浮葉にできることがありましたら、いつでもお呼びください。これをオカルトと呼ぶにはあまりにも実害が大きく、かといってこれに対処しうるものといえば我々オカルト愛好家くらいでしょうか。

 よろしくお願いします。

 

浮葉



 皆様方に全てを引き継いでいただくべく思い出せる限りのことを記録してまいりますが、人は何かを語るとき、無意識に情報を取捨選択するものです。それを念頭に置いていただいたうえで、私の知る限り、いや語る限りを、後進にお役立てください。


 浮葉さんは、ごく普通の女の子でした。聞くところの交友関係の狭さとか、確固たる意思を持ち敢えて「垢抜け」ない見た目とか、そういったところからおおよそのパーソナリティを推測できるくらいには、人がよく見知っているものとしての「普通」を持っていました。それらを総合して、彼女が広くオカルトものの事物を蒐集する同好会をやっているということは容易に想像できる。そんな人当たりでした。

 彼女は京都北白川の、北を向いた古いアパートに住んでいました。面する路地には電灯もありません。錆びてざらついた階段を遅くに上るのを想像するに、よほど治安がいいのだろうと思われます。

 外で会うと私は必ず遅刻するから、うちまで来てほしい。彼女がそうメールで仰ったのです。

「すいません、わざわざ。上がってください」

 この時点で私はICレコーダーを浮葉さんに見せて、録音を開始しました。これは彼女からの提案です。すべての禁忌が把握されていない以上、二人とも無事でいられる確証がない。ですから、誰かに情報を引き継げるように、二人が交わした言葉をすべて記録することにしたのです。

 二言三言交わしたその口調からして、彼女は近辺の大学に通ってはいれど、少なくとも近畿の育ちではないようでした。

 彼女が居間へ先導したかと思うと、慌ててベランダのカーテンを閉めました。

「おーっと、洗濯物干したまんまだった。へへ。まあいいんですけどね」

 ワンルームのこの部屋は、見える壁をすべて本棚で埋められていました。いったいこんなところまでどうやってその巨大な本棚と本たちを運んできたのか、不思議でなりません。

「こちらが例のですか」

「あっ、えーっと、はい。イェケが遺した風呂敷包みです。触ってみた感じ、やっぱり升が入ってるみたい」

「……当時その場にはいなかったっていうことですか、浮葉さんは」

「う~ん…… ほんとは私も一緒にれんみんすることになってたんですけど、向こうの家でやるっていうもんですから、私遅れちゃって。着いた頃には終わってました。……そのときには、きっと、ハナから私と一緒にやるつもりなんてなかったんだと思います。遅刻癖があることくらいイェケも知ってましたし。大学に入って初めてできたお互い唯一の友達で、……でも、私はイェケのすべてを知ることはできなかった。最後の最後に、隠し事なんて…… 自己れんみんで、一体何がそこに降りるんでしょうね」

 多弁でした。心の整理ができていないという言葉に嘘はなかったのです。

 自己れんみんに使われたというその包みを私も持ってみました。話の通り一合の升が姿を隠しています。自己れんみんとは、禁忌として広まっているように、生者としての自分の名前を形代に書いて行うれんみんのことです。霊を下ろす形代に、自分の名前を書くのです。

「自分自身が降りるわけじゃないと思うんです。だって、れんみんの後に風呂敷を開けちゃいけないってことは、やっぱり中のものに…… 何かが、入ってるんでしょ。それが自己れんみんなら、イェケの何かが入ってるはずですよね。でも風呂敷を畳んだ後に、あの子が何かを失ったとか、そんな感じはなかったんです」

「でも、終わって浮葉さんががっかりして帰った後、イェケさんには変化があったそうじゃないですか」

「……、……。んん、そう、ですね。変化っていうか。イェケんちに向かう途中から私に鬼電してきてたんです。でももうすぐ着くから出なかったんですけど。着いてどうしたのか聞く前に、……窓の外に何かいた、何か聞こえたって言うんです。でも、窓ったって、四階の角部屋ですよ。何もいるわけないじゃないですか。だかられんみんをやったせいだってなって…… しばらく慰めて遊んで帰りました。それからです」

 本名とか書いてないから、そのまんま見せますね。そう言ってSNSのダイレクトメッセージを見せてくれました。



イェケ@○○大学オカルト研究会🥂

@Yeke_Mongyol


もう聞こえない?

2○○○年3月22日 午後11:46


>うん

>2○○○年3月22日 午後11:53


おやすみ

2○○○年3月22日 午後11:54


>おやすみ

>2○○○年3月23日 午前0:08


>やっぱり家鳴りじゃない

>外から聞こえる

>2○○○年3月25日 午後9:16


>来て

>来て

>2○○○年3月25日 午後9:18


>怖すぎ

>2○○○年3月25日 午後9:19


すぐ行く

2○○○年3月25日 午後9:19



「どんな、音なんですか。そいつは」

「なんて言ってたかな…… あっ、そのとき記事にしようと思って、スマホにメモしといたんでした。『静かで、艶やかな、しかし迫力のある、人間の叫びを濡らした音』です。何言ってるかわかんないけど…… 聞かないとわからない音ってありますよね。説明してもこうなっちゃう、それの音としか謂いようがない音って。音は特にそうだと思います。たとえばトラツグミの声は、どう説明したもんですかね。っていうふうに」

 私は一度だけ、そんな類の形容ができる奇怪な音を聞いたことがありました。我が家の近辺は静かですから、やはり家鳴りを疑うのです。それは、粗野な青年が腹でなく喉から出す声を、砂ですり潰したような音でした。確かに、人の声でした。しかしそれは家の床のすぐ上あたりから聞こえました。

「行っても私には何も聞こえないんです。やっぱり窓の外にいるっていうんですけどね。でも今まで見たことないぐらい怯えてたから、その日はそこで一緒に寝ました。腕にぎゅうってしがみついてきてたんで、あんまり寝れなかったですけど。まるで蛇に睨まれたみたいでした」

 包みを置いたちゃぶ台越しに浮葉さんはちらと玄関を見やります。

「それからはあっという間でした。日付から考えて二週間ですか。ははっ、短い最後でしたね。れんみんで降ろしたそれが、今度は見えるようになりました。最初は泣いて叫んでたんですけど…… 聞こえるよりは見える方が慣れやすいんですかね。だんだんそれを迎合していきました。怖くない、怯えてた私を哀れんでくれたって。最後に会ったとき、そう言ってました。それからお通夜はなんとか、何が何だかわかんないうちに行けたんですけどね…… なんか、みんなからすごい睨まれちゃって。あんたが誑かしたんだろって、ほとんど顔も見たことない両親に面と向かって言われちゃった」

「……前後して申し訳ないんですが、もともと自己れんみんするってことになってたんですか。その、部屋に二人いて一人分しか降ろせないなら、少なくともどちらか一人の名前を書こうってことにはなりにくいと思うんですよ。一人にだけリスクを押しつけていることになる」

「んまあ、その通りです。平将門とかお岩さんとか降ろそうってふざけてて結局誰をっていうのは最後まで決めてなかったんですけど」

 突然その口が止まりました。

「浮葉さんが遅刻して一人になったからという、自己れんみんの口実ができたと」

 頷いて、視線を落とします。

「……ごめんなさい。部屋の扉、閉めてもらえますか」

 居間と短い廊下を繫ぐ扉を閉めました。浮葉さんはずっと机の包みを見つめています。

「あることないこと想像しちゃって…… 降霊術に使われた開けちゃいけない袋とか、いかにも"呪われてる"みたいじゃないですか。この風呂敷って、ほんとに開けちゃいけないだけなんですかね」

「……、さあ。今のところ、被害者の情報が少なすぎる」

 れんみんを行った人はしばしばその旨をSNSに投稿します。しかしそれでは、その人の変容を推し量ることはできても、行動をすべて把握できるわけではありませんから、そこから未知の禁忌を推測するために彼らの共通点を洗い出すのも難しいのです。

「浮葉さん、オカルトライターだけじゃ、やっぱり難しいかもしれません。実害のある降霊術といったら、ずぶの素人が編みだしたものではないはずです。つまり文献を漁る価値があるかもしれない」

 文献がなんだ、先人だって素人で、もっともらしい所作によって周囲をだまくらかしていただけじゃないか。半年前の私なら、本気でそう思っていたことでしょう。私のオカルトライターという稼業こそ、もっともらしい文章によって読者をだまくらかすつもりで始めたものなのですから。

「そう、ですね。体験談とかじゃ限界がありますよね」

 彼女の愛想笑いもぎこちなくなってきました。頑張って風呂敷包みを見つめている。一生懸命にそれだけを見つめようとしている。そんな感じがします。

 長い沈黙が過ぎました。

「……お疲れでしょうかね。ん、愚問か、うん。今日はありがとうございました」

「待って」

 ほとんど掠れていました。確かにそう言いました。

「扉、開けないで」

「……? 玄関ですか」

「玄関と、窓…… ここの扉も、あんまり」

 いつの間にか彼女の目元では、垂れるまでもない涙が瞬いていました。

「ごめんなさい。さっきから聞こえてるんです。玄関…… 玄関を誰かノックしてる」

 もちろん私には何も聞こえません。ドアが揺れる音まで聞こえているのだろうか、だとしたら器用な霊だな、などと冷めた目で彼女を観察していました。奇妙なものです。聞き及んだとおりの現象が起きているにもかかわらず、いざ自分を差し置いて人がそれを経験するのを見ていると、その人に現れる何某かの精神疾患の発作なのではないかなどと思えてなりません。

 机に額を押しつける格好で突っ伏す浮葉さんのその様子を眺めながら考えていました。

「水でも汲みましょうか」

 シンクとコンロはこの部屋にあります。音はともかく、気を落ち着かせるためにこの部屋でできることと言えばそれくらいのものです。

 ガラスのコップに節水ゴマからの水を注ぎました。きつく消毒されているのか水道管が古いのか、弾けた泡が仄かに不快な臭気を運んできます。

 風呂敷の横に置きました。

「要らないです。すいません。トイレは廊下にあるんで」

 何かを両の手で握り、胸にあてています。まるでロザリオに祈るようでした。しかし十字架は見えず、拳に掛かっているのは赤い紐でした。

「大事なものなんですか、それ」

 風呂敷から僅かに目を逸らし、微笑みます。

「形見です。イェケの。残ったのは風呂敷とこのリボンだけ。あとは全部家族に渡したか、焼きました。……あんまりよくなかったかも。形見を残すなんて」

「……」

「いつかどこかに結えるかなって…… でも、まだ先は長そう」

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聯泯 雷之電 @rainoden

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