あとがき

 ここまでお読みくださいましてありがとうございます。

 もともと『黄金林檎の落つる頃』のあとがきの一部分としてトカラ人の話を書いたのですが、長くなりすぎたので、別に一話として独立させることにしたのが、このエッセイの始まりです。


 あとがきから独立させるのであれば、ということで、「準惑星って言っても、天文学とかに興味があるひとは知っていても、それ以外は知らないよね」と、準惑星についても書くことにしました。

 準惑星についての話題も、「冥王めいおうせい格落ち」のころには注目され、アメリカで「plutoプルートー」(冥王星)が「降格」の意味で使われている、というような社会ニュースにもなっていました。しかし、時間が経ってすっかり忘れ去られ、浜島はましま盈子えいこちゃんでなくても「準惑星って、何?」と多くの人が思うようになってしまいました。

 準惑星って、冥王星も含めて、普通に空を見上げて見えないのは当然として、一般の人が持っている望遠鏡でもまず見えない天体ですからね。

 だから、冥王星「降格」と「準惑星」カテゴリーの創設の経緯をまとめ、それ自体の問題点やそれ以後の運用の問題などについても私の考えを述べることにしました。

 しかし、そうなると、小説として『黄金林檎の落つる頃』を読みに来てくださる方に別の種類の文章を延々と読ませてしまうことになります。とくに、「同題異話」の企画参加作品として小説を読みに来てくださる方に対しては、ちょっとこれは「黄金林檎の落つる頃」からは離れすぎだろう。

 ……ということで、『黄金林檎の落つる頃』の一部に収めるのではなく、別作品として独立させることにしたわけです。


 エッセイとして独立させることを決めてから書いた扶桑ふそう型戦艦の話がいちばん長くなりました。


 私は水雷戦好きなので、扶桑・山城やましろがいちばん好きな戦艦かというとそうでもないのですが、「最初からダメな戦艦で、最後までダメだった」と片づけられることに対しては、検討しておきたかったということがあります。

 ただ、私の知識はかなり古いので、それをネットで補いながら書いていたのですが、最新の情報を教えていただくと、知らないことがいろいろとありました。

 全体を再検討するのはまたの機会として、ここは、最初に書いたとおりの文章で発表しました。


 しかし、扶桑・山城がスリガオ海峡夜戦で撃沈された作戦では、部隊の司令官西村にしむら祥治しょうじ中将、艦隊(第一遊撃部隊)全体の司令官栗田くりた健男たけお中将ともに水雷出身、空母部隊を指揮した小沢おざわ治三郎じさぶろう中将もどちらかというと水雷を得意とする司令官でした。

 「敵制空権下に強行突入して目的を達する」というコンセプトには、優勢な敵の砲力を冒して肉薄戦闘を挑むのを身上とする水雷戦の指揮官が向いていると考えられたのかも知れませんが……。

 三〇ノット以上の高速力で戦う水雷戦に慣れた指揮官に、三〇ノットの速力を発揮できない戦艦部隊を指揮させる、って、よかったのかなぁ、ということも考えます。

 どうなんでしょう?


 そんなことを考えていて、戦艦の話がいちばん長くなってしまったのですが。

 長くなるのがわかっていれば、「トカラ人」の関連で、インド‐ヨーロッパ語族とか、遊牧帝国とかについてももう少し書いてもよかったのかな、とあとから考えています。

 でも、それは別の機会にすることにしたいと思います。


 それでは、よろしければ、またお目にかかりたいと存じます。


 清瀬 六朗

 (2024年10月4日)

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『黄金林檎の落つる頃』附録 清瀬 六朗 @r_kiyose

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