第9話 扶桑型はほんとうにダメ戦艦だったのか?(6)
ところで、イギリス海軍では、
何をやったか、というと、船団護衛です。
ドイツ軍やイタリア軍が通商破壊や輸送船団攻撃に戦艦や装甲艦(「ポケット戦艦」)を使っていたので、それに対抗するために戦艦が出動したわけです。
輸送船などの商船はもともと海軍の艦ほどの速力はありませんから、その護衛は、低速の戦艦でじゅうぶんに役割が果たせたわけです。
アメリカで、扶桑型と同じように「型落ち」になっていた超ド級戦艦も、「中立パトロール」などで活動しています。
つまり、米英の型落ち戦艦は、海上パトロール、海上護衛という使いかたができたのですが、じゃあ、日本で出番のなかった戦艦は海上護衛に使えばよかったかというと、たぶん、無理でした。
もともとそんな発想がない。船団護衛などというのは下っ端の艦艇がやることであって、戦艦がやるもんじゃない、という考えかたも強かったですし。
戦艦を動かすには大量の重油が必要なので、油田地帯を持つ占領下のインドネシア方面はともかく、日本本国から戦艦を出撃させるのは慎重でなければならなかったという事情もあります。日本から船団が出発するごとに貴重な重油を使って戦艦を出撃させるわけにはいきませんでした。ペルシャ湾岸の油田地帯を事実上の支配下に置いていたイギリスとはやはり事情が違います。
それに、戦艦が輸送船団の脅威だったイギリス周辺の海と違って、太平洋では輸送船団の脅威は航空機と潜水艦でした(イギリス周辺でも航空機もUボートも脅威でしたけど)。
では、戦艦が航空機や潜水艦に対して強いかというと、逆で、戦艦はむしろ航空攻撃や潜水艦の魚雷攻撃には弱い。
したがって、「扶桑型をR級のように使えばよかった」と考えても、実際には無理だったのです。
だから、日本の戦艦は、「ふだんは役に立たない、戦艦が戦場に出て行ったとすると、それは航空母艦兵力が枯渇したからで、すなわち海軍全体の終わりを意味する」という使いかたしかできなかったのです。
扶桑型に限ったことではありませんでした。
活躍できたのは、空母に随伴でき、空母部隊と統一行動が取れ、高速で敵制空権下にも突入できる金剛型のみでした。
それ以外の戦艦もじつは扶桑型と同じ条件だったのですが、その誕生から悲劇的な最後までさまざまなエピソードに彩られた大和型、長いあいだ連合艦隊の旗艦として帝国海軍の栄光を担った長門型、「航空戦艦」に改装されるという数奇な運命をたどった伊勢型とくらべて、扶桑型にはそういう目を引く「物語」が何もない。
もともと、
ということで、扶桑型はほんとうにダメ戦艦だったかという問いに対しては:
(1) たしかに国産最初の超ド級戦艦ということでいろいろと問題はあったが、諸外国の同世代の艦とくらべて劣るというわけではなかったし、その後の近代化改装で克服された欠点も多い。
(2) 米英は、「最初の超ド級戦艦」の後に改良型を次々に建造していったが、日本にはその余裕がなく、扶桑型は「国産最初」のまま第二次世界大戦を戦わなければならなかった。
(3) 第二次世界大戦(の太平洋戦線)では、空母に随伴できず、敵制空権下に強行突入もできず、船団護衛にも使えない戦艦には「使いどころ」がなかった。それは扶桑型だけではなく、最新鋭の大和型まで含めて、同じだった。
(4) その戦艦に出番が回ってきたのは、航空母艦兵力が壊滅した結果であり、「出動した時点で負けが決まっていた」という点も、べつに扶桑型に限ったことではない。
(5) その最期を伝える生存者が非常に少ないこともあって、扶桑・山城の最期は「物語」性に欠け、英雄物語として語られることが少ない。その点で、大和型、長門型、伊勢型など他の戦艦に大きく水をあけられている。
以上の点から、「ダメなところはあったけど、実際以上にダメ扱いされてませんか?」というのが私の考えです。
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