その××は愛する娘のために生きた。

環月紅人

本文

 王立病院に足繁く通う少女がいた。

 落ち着いた色の黒髪を肩口で切り揃え、真紅の宝石を秘めた切れ長のまなこ。一見メイド服に思えるような黒を基調とした衣服を身に纏い、片手のカゴには"彼女"が好きな花束を敷き詰めた、リウという名のその少女は、院内の廊下を渡っている。


 途中、窓から見える中庭には、とても綺麗な庭園が広がっていた。色とりどりの花が咲き誇る患者たちの憩いの場。彼女は病床から起き上がることが難しい状態にあるが、それでも窓の向こうに見える中庭の美しさには幾分かの安らぎを得ているようだった。


 リウにとって、彼女は全てである。

 彼女が生き永らえてくれるのならば、どんなことも愛おしく感じていた。


「無茶を仰らないで。私はもう、ただの老いぼれですから……」

「では、本当に秘術を覚えてないと? ――の行方も分からないと?」

「ええ。お力になれずごめんなさいね」

「また来ますよ」


 目的の部屋まで行くと、彼女と誰かが揉めている声が聞こえた。その後、何か不都合でもあったのか首を触る仕草を見せながら役人のような男が彼女のいる部屋から出てくる。

 彼は廊下で待つリウを見かけると、こう声を掛けた。


「もしかして、ファルメさんのご親族の方ですか?」

「いえ、私と彼女に血縁関係はありません」


 背の低いリウを舐めたように距離を詰めてくるその男に、リウは淡々と答える。男は「そうか……」と後を引くものを感じさせるように呟くと、「すまない。それじゃあ僕たちは引き下がらせてもらうから」と足早に去っていった。

 不愉快そうに顔をしかめたリウは、少しだけ間を置いて、彼女――ファルメの部屋へ入室する。


「ファルメ」

「おや。今日も来てくれたんだね、ありがとう」

「当たり前だ。いくら物臭でも忘れたりするものか」


 外向きの皮を剥ぐように自然体となったリウが、寝台横の椅子に腰を掛ける。リウの物言いを、老齢のファルメは面白がるようにくすくすと笑った。


「本当は片時も離れたくないんだ」

「あらそぉ? まったく、心優しい子なんだから。今の私じゃ、例え元気になっても遊び相手になんてなってあげられませんよ」

「構うものか。生きてくれ」

「ふふっ」


 リウの繕うことがない言葉に、ファルメは微笑む。この二人の関係性は、幼少期にまで遡ることができる。

 長い時間を共に過ごしてきた。

 先の言葉通り、血縁関係はないが、確かな愛情が二人を結んでいる。

 親と子ではなく、対等な関係、友人として。


 ファルメが倒れてから、以前のように二人で過ごすことはできなくなってしまったが、それでもこうして時間が許す限りをリウは寄り添っていた。

 毎日、色々な話を聞かせた。もうどこへも行けないファルメのために、ファルメの知らない世界のことをいくらでもリウは聞かせてあげた。

 地平線の先にある氷山を。余人には立ち入れない森のなかの泉を。過酷な砂丘を。嵐に包まれた海域の秘密を。

 若い頃、ファルメとリウは世界中を旅していたが、それでも行けなかった場所、ファルメが見れなかったものを、リウは話にした。ファルメはいつも楽しそうに耳を傾けていた。


「先ほどの男たちは、何者だ?」

「ああ……あの人たちは……」


 だから、言葉を濁すファルメを見て、リウは少しだけ心の距離を感じた。体を壊してから覇気のなくなったファルメ。死を予感するようになってしまったファルメとの会話は、どうにも一方通行で、ファルメから話をしてくれることはない。


「おそらくだが一度だけじゃないはずだ。奴らの目的はなんだ?」

「………」


 ファルメは顔を曇らせていた。面会時間が限られる病室で、リウは先のような男がファルメの元に来ていることをまるで感知できていなかったのだ。毎日のように通っていたのに、ファルメはそのことを話さなかったから。


「ファルメ」

「……貴女には、内緒事なんてできないわね」


 リウの目を見て、ファルメは力なく笑う。観念してくれたのかと思ったが、しかし「気にしないでちょうだい」とファルメは強い口調で言うから、リウは何も言えなくなった。


「明日は少しだけ遅い時間に来てね」


 ファルメに遠ざけられている気がした。


 *


 帰路。ふらりと立ち寄ったファルメの家に、複数の男たちが出入りしているのを見てしまった。何やら騒がしく、大掛かりで、異常に思ったリウは声を張り上げる。


「おい! 何をしている!」


 ずかずかと家のなかに入ると、絶句した。家中のものを全てひっくり返したような、ひどい荒らされようだった。


「これは……。おい! 責任者は誰だ! 誰の許可でこの家を荒らしている!」

「なんだ、さっきのガキか」


 のそりと部屋の奥から姿を現した男。リウはきつく睨みつける。先ほどファルメと揉めていた男だった。


「つまみ出せ」

「おい! お前たちはなんなんだ!? ファルメの大切なものを汚すな! 触れるな! 踏み荒らすな!」

「うるさいな……ついでに痛めつけておけ」


 少女であるリウの抵抗は通じない。いくら暴れても拘束を振り解けず、連れ出された路地裏でこっぴどく殴られた。いくつもの痣ができ、その痛みにリウは悶絶した。


 男たちも去ってしまった、日暮れ。打ち捨てられた路地裏で、一人蹲りながらリウは奥歯を噛み締める。大切なファルメの安寧を崩す輩。大事なファルメの家を汚す輩。ファルメのことが大好きなリウが、その蛮行を許せるはずもなかった。


 翌日はすぐにファルメの元へ向かった。

 怒りに身を任せたように歩むリウ。

 乱暴に扉を開け放つ。


「ファルメ! いったいどういうことだ! 昨日見た男たちが、ファルメの家を荒らしていたぞ! 何を話していた! 昨日の話の続きだ! 今度こそ私にも話してもらうぞ!」


 ファルメは目を丸くした。リウの言葉を聞いて、自分の過ちに気付いたのだ。


「ああ、ごめんなさい、リウ。私のせいね。ああ、まさかそんな強引なことを……。ごめんなさい。ごめんなさい、リウ。でも、私は貴女が大切だったのよ。守りたかったの、彼らから」


 口の端を切った。目の上には痣が残った。そのようなリウの姿を見て、ファルメは心苦しそうにする。リウの頬を労るように触れる彼女の手は、震えていて、後悔に苛まれているかのよう。

 彼女の誠意ある謝罪に、リウは自身の憤りが氷解していくのを感じていた。

 そんな時だった。


「なるほど。いや立ち聞きをして済まない。ようやく秘密に辿り着くことができた」

「あなたは……」

「お前は!」


 その安らぎすら奪い去るように。

 間の悪いことに、昨日の男が姿を現す。ファルメは言葉を失い、リウは強い敵意を向けた。


「大魔女ファルメ。貴女が契約した竜はここにいたのですね」


 リウには、その言葉の意味がよく分からなかった。


「……いえ、違います」

「ああ、取り繕わなくて結構。考えてみれば真っ先に疑うべきでした。天涯孤独の魔女と親しげな歳の離れた娘。人型を取らせたのは寂しさからですか?」


 ぺらぺらと言葉を並べる男。当事者のファルメはどんどんと顔を暗くし、事情を知らないリウのみが置いていかれる。

 背後に合図を出した男は、昨日は家を荒らしていた部下たちを部屋の中に招いた。

 リウはファルメを庇うように前へ出る。


「無力な人の姿にさせられて、憐れだな竜よ。もっとも、その自覚はないようですが」

「お前は何を言っているんだ!?」


 戸惑うリウを見て、男は鼻で笑う。


「魔女とあなたの間にある契約を、奪い取るんです。人型なのは都合がいい。暴れられる前に始めましょうか」


 男がリウの体を取り押さえる。その力は強くて、抜け出せそうにもない。


現契約者魔女は……新規契約の邪魔だ。殺せ」

「!? 待て! 待てッ!!」


 取り押さえられたリウの目に、寝台から動けないファルメに近付いて首に手を伸ばす部下の姿が見える。


「おい! ふざけるな! 待って! ファルメっ、ファルメ!!」


 リウの目にはその姿がありありと映る。老いたファルメは抵抗できていない。涙でよく見えなくなっていても、分かってしまう。苦しい。苦しい!

 視界がパリンとひび割れた錯覚。

 ファルメとの契約が破れるのを感じた。


 ――竜が、『リウ』として過ごすために忘れていた全ての記憶が、再起する。



 ――――――


 ――――


 ――



 『あなた、とても大きいわ!』


                『竜ってすごいのね!』


   『ねえ! 私とお友達になって?』



 ……………。

 ああ、見込みのある。

 見込みのある、娘だと思った。私を見て恐れぬのは、才能だ。如何な生物もこうはいくまい。姿を見たものに畏怖恐怖を植え付ける我が鱗に対して、何も感じないというのは、特別だ。あまりにも。

 ああ、この子のことが知りたい。興味深いと思ったのだ。

 友を願われたのは、これが初めてだったのだ。



 ――――――


 ――――


 ――



「人に化けていた理由なぞ、とうの昔に忘れたと思っていたよ……」


 ファルメの死を持って糸が切れたように脱力していたリウは、数秒後、全く異なるオーラを纏ってそんなことを口にし、起き上がった。


「だけどたったいま思い出した」


 男は慌てる。契約が弾かれ続けている。男は理解できない。ファルメとリウの間にあった契約は、"特別"なもので、ありふれた手段で奪えるものでは決してなかったのだと――。


「私は、大切な人間ができたから、同じように人になったんだ」


 それはファルメが願った姿ではない。契約による形ではない。

 リウが人であることは、竜の意思として取られた姿であると。


「大切な人間を守るために人になったんだ」


 孤独な少女に寄り添えるように。


「傷付けないために人になったんだ」


 竜であることが、人の身を傷つけてしまわぬように。

 共にあるために、竜は竜としての記憶を消し、人としてファルメに付き添った。

 ……最期まで。


「よくもやってくれたな」


 リウは男は睨みつける。その瞳は憎悪を映し出したように、暗い。


「もはや、何もかも、どうでもいい」


 それは自身の至らなさもあったから。

 ファルメと共にありたいと願ったせいで、ファルメが惨たらしく殺されてしまうのを、許してしまったようなものだったから。


 声に凄みが増す。

 溢れ出たオーラが、黒い渦のように迸る。


「……これは……。見誤ったな……」


 男は、呆然と呟いた。

 かつては邪竜と恐れられた竜が、その真の姿を解き放つ。




「ここで全て焼き尽くしてくれる」




 かくして、悲しみに涙する竜は、その日、何もかもを焼き尽くした。文字通り地上のありとあらゆるものを。


 災禍の竜と呼ばれ、呼んだものはみな滅びた。


 全てが終わった後、何もない焦土に災禍の竜は降り立つ。

 ファルメとのかけがえのない時間に浸るよう、人の姿を再構築する。


 しおれた一輪の花を植えた。

 焦土がそれを炭に変えた。

 たった一滴の水滴が、じゅっと音を立てて見えなくなった。

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