私が過去の人生で犯した失敗の数々を聞いてください。時には成功例も。

@tomikei

第1話 花摘む野辺に日は落ちて 私の来し方を振り返って 

  昭和21年、私は小学2年で宮崎県の生目村にある小学校に通っていました。小学校は村の私の家から4キロほど離れたところにありました。上級生に率いられて列になってかよっものです。当時は戦後のことでまだ十分な物質の流通がなく、親父が宮崎市の闇市で買ってる食料などを珍重していました。学校に行く際には家で共に暮らしていた吉松が作ってくれた稲藁の草鞋を履いたものでした。時にははだしで学校にかよったものです。当時はそれほど世の中が貧しかった。はだしだと足のひび割れは痛く霜焼けの足指もかゆかったが、一方足の皮は厚くなっており、平気で小石を踏んだり藪の中を歩いたりしました。そして「敬四郎は豪傑だ」と言われて喜んでいたのです。

今思えば傲慢な行いでした。


  神様お許しください!


  吉松は少しメンタル的に弱い人で、お風呂に入れる際には彼の財布を〈仏壇に預けて仏様に守っていただくから安心してね〉といって預かったりしました。私と妹は多分吉松と同程度の知能レベルだったのか、彼の楽しみにしているタバコを進呈しようとしてトウモロコシのひげを集めそれをコンサイス辞典の薄い紙で筒状にして彼に渡しました。当時紙巻きたばこを作る道具がどの家にもありました。いつもキセルに煙草の葉を詰めてのむ吉松は高い紙巻きたばこと思い喜んで火をつけ煙を吸いました。ご推察のごとくこれはとてものめたものでありません。吉松はすまなそうにそれを捨てました。坊ちゃんとお嬢ちゃんとで作ってくれたタバコなのにと思ったかも知れません。今考えれば無知からとはいえ吉松の信頼を裏切る悪いことをしてしまったわけです。 

 

  吉松、本当にごめんなさい!


  私達一家は、戦争の末期に父が勤めていた岡山の大学病院をやめて生まれ故郷の生目村に疎開してきたのです。私はお坊ちゃん育ちで、なんでも人の言うことに従う癖がありました。ある時、サツマイモの粉の団子を空腹のあまり盗み食ったのを母に追及され思わずはだしで逃げました。はだしですから庭下駄をつっかけてから追いかける母に追いつけるわけはありません。でも母は諦めずに追ってきて、杉野林の入口にいる私に「とまりなさい。もう逃がさないよ!」と叫びましたした。その剣幕に恐れをなしたためか否か今ははっきりしませんが、私の足はピタッととまってしまいました。あるいは母がかわいそうになったのか。これが最後の出来事の下地になったかも知れない。母は私が成人した後もこのことを引き合いに出してきて弱った記憶がある。


  母ちゃん、あの時は逃げる本能を働かすべきだったね。ごめんなさい!


  学校で算数の時間だったか、先生が三人の生徒に廊下の幅を測る課題を出しました。私と普段から仲の良い中山健君と山下太郎君が指名されて竹の物差しで測るよう指示されました。私が測っていると山下君はもう測り終わって、これは90cmだからそう書けよと私に言った。そこで気弱にもそうしたのだが悪い結末が待っていた。先生の講評は「中山君、君の測定は91.5㎝で他の二人とは違ってる。測りなおしなさい」 だった。これを聞いた私は中山君に悪いことをしたと悔やんだが時すでに遅かった。 先生にズルしたことを話すべきだったがそれもしなかった。 中山君は黙って測り直した。 80年ほど前の出来事ながら今も忘れられないできごとである。

  

  中山健君あの時はすみませんでした!


今思えば先生も配慮に欠けていたと思う。何故なら生徒に〈人がする測定には誤差が生ずるので様々な結果の違いが出ることがあるのだと〉と教える方法もあったろうから。

 


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