私が過去の人生で犯した失敗の数々を聞いてください。時には成功例も。
@tomikei
第1話 私の来し方を振り返って (私の原体験)
1.
昭和21年、私は小学2年で宮崎県の生目村にある学校(当時は「国民學校」と言った)に通っていました。小学校は村の私の家から4キロほど離れたところにありました。朝は上級生に率いられて列になって通いました。帰り道は 大抵友達と一緒でした。1年生の夏休み半ばまではまだ戦争が続いていて全員防空頭巾を被っていました。
遠く赤江の飛行場の周辺には空襲がありました。生目村にはたまにしか空襲警報はなりませんでした。でも外にいる時頭上に敵機がみえるとソレッとばかり物陰に隠れたり、花盛りのレンゲ畑に伏せったりしました。花に埋もれた時にはレンゲの香りに包まれて、空から丸見えなことなど忘れていました。親たちの心配をよそに呑気なものでした。
父ちゃん、母ちゃん、ごめんなさい!
2.
学校帰りの道すがら友達と一緒に畑のキュウリをとって食べたことがありました。当時は
お天道様、お百姓さん、ごめんなさい! 二度としません。
3.
戦争が終わってもまだ十分な物質の流通がなく、親父が宮崎市の闇市で買ってくる食料などを珍重していました。学校に行く時は家で共に暮らしていた
神様お許しください! 傲慢な行いでした。
4.
ある時 私達は
5.
私達一家は、戦争の末期に父が、勤めていた岡山の大学病院をやめて父の故郷の生目村に疎開してきたのです。私はお坊ちゃん育ちで、なんでも人の言うことに従う癖がありました。ある時、サツマイモの粉の団子を空腹のあまり盗み食いしたのが母に見つかり思わず裸足で逃げだしました。裸足ですから庭下駄をつっかけてから追いかける母に追いつけるわけはありません。でも母は諦めずに追ってきて、杉林の入口にいる私に「とまりなさい。もう逃がさないよ!」と叫びましたした。その剣幕に恐れをなしたためか否か今は判然としませんが、私の足はまるで魔法に掛ったかのようにピタッと止まってしまいました。あるいは追い付けないと分りながらそう言った母がかわいそうになったのでしょうか。私が成人した後も母は度々このことを持ち出すので閉口したものです。
母ちゃん、あの時は逃げる本能を働かすべきだったね。 ごめんなさい!
6.
学校で算数の時間だったと思います。先生は三人の生徒に廊下の幅を測る課題を出しました。私と普段から仲の良い中山健君と山下太郎君が指名されて、30センチメートルの竹の物差しを使って測るよう指示されました。私が測っていると山下君はもう測り終えて、これは90.5cmだからそう書けよと私に言いました。そこで気弱にもそうしたのだが悪い結末が待っていました。先生の講評は「中山君、君の測定は91.5㎝で他の二人とは違っている。測りなおしなさい」 でした。これを聞いた私は中山君に悪いことをしたと悔やんだが時すでに遅かった。 先生にズルしたことを話すべきだったがそれもしなかった。 中山君は黙って測り直しました。 80年ほど前の出来事ながら後悔の念と共にしっかりと記憶に残っています。
中山健君、あの時はすみませんでした! 自分なりの考え方の大事なことが私にはまだ分かっていませんでした。
今思えば先生も配慮に欠けていたようです。何故なら生徒に「人がする測定には誤差が生ずるので様々な結果が得られるんだよ」と教える方法もあったろうから。
(第1話 終わり)
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