第7話 喜内君 カケヤを振るう(一体何という事を!) (会社員時代)

 T製薬会社は新たなビジネスチャンスを求めて新たに農薬事業部を発足させました。主に農学専攻の学生が採用され、本社、営業部、研究所に配属されました。これからお話しするのは農学科出身の私の試験農場時代の経験です。


 喜内君と私は入社年度が近かった。彼は言葉に裏表がなく率直な物言いをした。「ここを汚したのは君だろ?」と言われて「それは誤解です」と一言だけ返して反論一つしなかった同君を見て〈大した人だな〉と感心したことがある。相手の事実無根の非難を否定すると同時に’無用の口論’を避けた態度は見事だった。(本人は無意識の発言だったろうが)

 私とはウマが合い、彼は製薬事業部、私は農薬事業部と所属は異なったが何かにつけて助けあった。 相違点は、彼が発言に時と場合を弁える慎重さを備えていたことであった。


 福知山の試験農場はおよそ35haを占めていた。そこに薬用植物の畑、キュウリ、ナス、トマトなどの野菜畑、果樹園、牛*の放牧地、畜舎、豚舎,鶏舎、農業器具庫、機械庫、車庫、休憩所等があった。立派なメタセコイアの並木、刈り込まれたピラカンサスその他の生け垣が道や、放牧地の境界をなしていた。全体に牧歌的な雰囲気があった。(別の場所に水田もあった)

(* 註: 種痘ワクチン生産用の和牛(褐毛和牛)を飼っていた)


 ここは戦時中は開拓地だったのを、南方**から引き揚げてくる社員を受け入れるために会社が買い取って開いたと聞いた。その意味ではT製薬は昔から面倒見のいい会社だった。終身雇用の制度が失われつつある現在はどのような感じだろうか。

(**:国策で製薬会社数社がジャワ・スマトラにキナ園を展開していた。)


私が勤め始めて間もなくの昭和39年(1964)頃にはまだ南方帰還の社員は健在だった。私の直接の上司(係長)もその1人だった。後に場長になられた中本次長も帰還組であったが、造園に詳しく、農場の設計にはいろいろアイディアを出されたと聞いた。農場の中の並木道や畑はどれも整然として美しかったがこれも彼の構想の一部だった。



 社員は大阪の研究本部とは異なりほとんどが木造の平屋に居た。後に鉄筋の建物第一号になる管理棟も木造だった。因みに私のいた殺菌剤研究室は当初畜舎の一部を借りていて、居心地は悪くなかったが飼料の臭いには閉口した。他の研究室もほぼ同様だった。臭いを除けば。


 ある時実験で唐箕を使用する必要があった。確か農場に1台あったと上司が言われたので場内を探して回った。大農具舎や農機具舎にはなかった。最後に生薬研究グループを訪ねた。遥か丘の天辺にある粗末な木造の小屋にそれはあった。早速上司からその唐箕を貸してもらえるよう交渉して快諾を得た。


 立派な唐箕トウミは小屋の鍬や鎌の間に鎮座していた。そのままそこで使うわけにはいかないので先ず小屋の外に出すことになった。ところが奇怪なことに我々グループがいくら努力しても出すことが出来なかった。大きすぎる唐箕の一部が入口で引っかかるのだ。〈おかしいな、中にあるということは最初は入ったということだ〉と思った。井伏鱒二作の「山椒魚」話が連想された。だが〈閉じ込められた唐箕が成長して出られなくなった? それではまるでSFだ〉


 一同思案投げ首状態だった。そこに作業着に半長靴姿の喜内君がやってきた。

「珍しいな、こんなところで何しているんです?」と聞かれて実はこれこれでと訳を話した。

「そうですか。それは困りましたね」

彼もやってみたがやはり駄目だった。

「ウーム....」 と彼はしばらく思案していたがやがて、いたずらっぽく笑うと「どうしても開けたいですか。どうしてもというなら方法はないこともないです」と言った。

「ええ、どうしてもても開けたいんだ。おねがいします」と私。


 これを聞いて、彼は道具小屋から60㎝ほどのカケヤを取り出すと小屋の入り口の枠をめがけて打ちつけた。急な展開に驚く皆をしり目に彼はもう二度ほどカケヤを振るって小屋の入り口枠を高く広げた。全てはあっという間の出来事だった。

 

〈唐箕は無事娑婆に出たが、 エライことになったぞ。迂闊だった。彼の言うとはこのことだったか!そう頼んだのは自分だ。責任は自分にあるから上からの𠮟責は自分が受けねばなるまい〉と覚悟を決めた。


ところが喜内君は唐箕を取り出した後、再びカケヤを振るって緩んだ戸口を元に戻したのだ。まさに彼の本領が発揮された瞬間だった。予想外の発想もさることながら、その後の処理方法まで考えていた周到さは見事で強く印象に残った。これら一連の事を平気でやってのけた彼の能力を会社は高く評価するべきだと感じた。


 喜内君有難う! 私は君から貴重なことを学びました。

  

 令和6年の今も喜内君は健在である。現在も昔の儘の少ない口数で大事なことを喋る。「あなたをモデルにした話を書こうと思うがお許し願えますか?」と電話で相談した。「何のこと?」と言われるので粗筋を話した。 「覚えていないな。それはひどい(行いだね)。だが僕は構わないよ」快く了解してくれたのでほっとした。最後に「昔のことだし。」と釘を刺された。 

(エピソード終わり)

                                   

 









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