第9話 歩く犬

 1.山下町とその周辺

 鹿児島市山下町はかって島津氏の居城があり、島津時代から城山とよばれた山を背にしている。城山は西南の役で西軍が最後の抵抗を試みた場所である。県民が敬愛する西郷せごどんはこの場所で自刃した。この時の戦いの激しさは城跡の石垣に残る多数の弾痕が物語っている。石造りの旧県立図書館*や照国神社、ザビエル教会、西本願寺など古い歴史を残した建物が集まっている。周辺には新聞社、市役所、県庁、デパートやショッピング街もあり。私の中学時代には鹿児島市の中心と言えた**。

(*:照国神社の横から七高跡地に移転した。)

(**:令和6年の現在、市の中心部は鴨池周辺に移ってしまった。鹿児島本駅も、鹿児島中央駅(元”鹿児島西駅”)にターミナルの座を明け渡した)。



 2.犬との出会い

 父の使いで村田豊成医院まで鹿児島アララギの和歌の原稿を届けた帰り道のことです。夏の暑い日で、私は日差しを避けるように木陰を選んで歩いていました。左手は鶴丸城(明治時代は七高)の跡地で、長い石垣(西南の役の時の矢じりで突いたような多数の弾痕が残っている)と幅50㎝ほどの水路(今はコイが泳いでいるが当時はどうだったろうか)があった。


 そこに首輪をつけた犬を連れたおじさんがやってきました。私は当時は高校受験に向けて一生懸命勉強中で、それほど犬の様子に注意していませんでした。ですが普通でないのはその飼い主がその犬を引っ張り上げて後ろ足で立たせようとしていることでした。犬こそいい迷惑で、〈後でご褒美に肉でもご馳走してくれなければ引き合ったものではないワン〉と言ったとか言わないとかいうくらいの激しい訓練だった。

 首輪は緩くかかっており犬が自由に動くのには差し支えなかったが、何しろ犬は本来の四本肢で前に進もうとするし、飼い主は引き留めて後ろ肢の2本で立たせようとする。犬は舌を出してハアハアとあえぎ、見るに耐えられなかった。それでも飼い主のおじさんは諦めず引き綱を引っ張り上げる動作を繰り返しました。

 よく見ると犬の首周りは毛が取れていて赤い下地がみえ、血も少なからず出ていた。あまりの痛々しさに、思わず「やめてくれ。あんまりだ。ワン君がかわいそうだ。これでは動物虐待だよ。」と言った。但し心の中で。しばらく後に飼い主は犬を休ませて水を与えました。私は犬が可哀想でした。その犬はなぜ黙ったいたのか。反抗しなかったのか。

 私は自分の受験に集中していて弱い犬を飼い主から守ってやれませんでした。

 つまらない話でしょう。でも私なりに悩みました。


 3.犬とまた会う

 それから半年ほどたった時のことですが......。 ある寒い、鹿児島には珍しい雪の日、私は県立図書館の帰りに同じ城跡沿いの道を歩いていました。遥か彼方に二人ずれがやって来るのが見えました。気になったのは一人が異様に小さいことでした。背は4-5歳の子供のようでしたが歩きぶりは小幅ながらしっかりしていました。大人にしては小さく細いしと迷っているうちに二人は近ずいてきました。よく見ると小さい方は短い両腕を前に伸ばしたままでした。そうです。御想像通り私はあの犬に再会したのです。犬が今回は引き綱につなに繋がれていなかったため、最初は犬だとはきずきませんでした。


 私は思わず「久しぶりです。首の傷はもう大丈夫ですか。よくあの訓練を耐えましたね。」と心の内で言いました。「その節はご心配をおかけしました。どうです、私の歩きは。これは私と主人とで勝ち取った勝利です!」と犬は返辞したような気がしました。そう思ったのは、犬が淡々と何事もなかったように2足歩行をしていたからです。飼い主を特に恐れる様子もなかったので、以前私が遭遇したのは犬も承知の訓練だったようです。 , 穿ち過ぎかもしれませんけれど。

 教訓:物事にはそれ相応の訳があると考えた方がよい。


 4 ハールレムの犬

 2012年にオランダを訪ねた時のことです。ハールレムのフランス・ハルス美術館の近くを歩いていて、たまたま覗いたショウウィンドウに一匹の犬の写真を発見しました。

 白い犬が右前肢は箒の柄を抑え、左の前足は塵取りの柄をもってごみを掃き入れる瞬間を写していました。柄の端は両肩に当てており、眼はごみを確り見ていました。公園の中で撮られた写真で、犬の影もちゃんと映っていました。60年前の写真ということでしたが、そうすると1950年前後になります。カラー写真で、まだデジタル写真時代ではなく、合成写真ではないと思いました。その写真を見た瞬間50年前の歩く犬の記憶がよみがえりました。写真の上部には、手書きで 〔HARTELIJK DANK〕 と書かれていました。語学仲間の大沢さんがインターネットで調べてくれましたが、オランダ語で(心より感謝します)ということだそうです。この犬も苦しい訓練の結果をこのように発揮していたのかと思うといじらしくなりました。

(エピソード終)

 注:「近況ノート」にハーレムの犬の写真を掲載しました。興味のある方はご覧ください。





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