第4話 1948年のオシッコ事件 (恥ずかしさと叔父への感謝の記録) (小学時代)

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 小学4年生でまだ寝小便に悩まされていた頃の話です。私は田舎の学校から単身、都会の小学校に転校しました。五人兄妹の中で私だけ鹿児島の祖父母預かりの身になりました。急に大人だけの世界にかわったのですがそれなりに毎日を楽しんでいました。


 2

 「うわー、まるでオーストラリアの地図の様ね」と洗った布団を干しながらネーヤは言う。〈またやってしまった〉と思ったが恥かしさで黙っていました。


 3

 祖父は「寝る前の水を飲むことはならん」と言いました。祖母は「おまんさんは勉強はすすんでやり、手のかからないのは感心だけど、オネショだけはね」とよく言い、葛根湯を飲ませたりしました。

 

 叔父が毎晩私を早めにトイレに連れて行くことになりました。ある晩、叔父の起こす時間に、タイミング悪く学校のトイレで小便をする夢を見ていた私は勢いよく放出してしまいました。「こら、敬四郎しっかりせんか」の声で目が覚めたが時すでに遅く叔父の膝はびしょ濡れでした。トイレに連れて行かれて続きをしました。 叔父は心の優しい人柄で、子供の私を傷つけぬように「寝る前の水分に気をつけんといけんぞ」と言っただけでした。あの時の叔父は寛容そのものでした。 (今は寝小便と縁を切りました(当然でしょう)


 余談ですがその時寝ぼけた私が1948年のオシッコと言ったそうで後々ずっと叔父に揶揄われました。多分、学校で昭和を西暦でいうと今年は1948年だと習いたての私が思わず言ったのでしょう。(’反復は力なり’を実行していたころでしたから)


 4

 転校の初日、祖父が一緒に教室まで行ってくれました。家の真正面に学校の裏の石垣がありましたが、80歳の祖父はその1mほどの石垣を軽々と乗り越えて学校に入ったので私もそれに続きました。* 夕飯の時に祖父が、「今日は時間短縮のため石垣を越えて学校に行ったよ。敬四郎がいたのでどうしようか迷ったが。」 「孫への教育努力に免じて、神もお許し下さるだろう」と言って笑った。** 

 

 お祖父さん、あの時は有難うございました!だと真面目な孫に教えて下さいました。


 (*註:当時は学校で侵入者による事件はほとんどなく、正門からも裏からも誰に咎められることなく出入りできた。日曜日にも野球などを大人たちも一緒になって楽しめた。) 

(**注:祖父は現役時代には謹厳な教師だった。) 


 寝る前の水分制限命令で困った私は、学校の水場を利用することにしました。勿論大人達には内緒で。その頃、鹿児島のどの学校や家庭にも水道付きの足洗い場がありました。裸足で校庭で遊ぶ子らが多く、洗い場は必須でした。(家のそれも屋外にあったが、井戸水をポンプでくみ出すも方式で飲みにくかったのを覚えている)


 夜の洗い場はシンと静まり返って、物の怪、魑魅魍魎などが出没しそうな気配が濃厚でしたが、水を飲みたい一心の私は、〈何かあれば逃げればいい〉と心に決めて水飲みに集中しました。水を呑めて、特に、禁じられた水を呑めて、幸せでした。今考えれば怖さにビクビクしながら学校の水飲み場で喉を潤すのは後ろめたく惨めで悲しい行為でしたが、当時の私は水を呑めて満足で、そのようには思いませんでした。人間として未熟でした。

 

 おばあさん、ごめんなさい!(今謝っても遅いですが。 尤もとっくにお見通しだったかもしれません。 防空壕後で見つけた防毒マスクのゴム管(私の宝物)を生目村に帰る荷物から見つけて没収した祖母のことですから。)

                             (第4話 おわり)

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