暗黒の星空が導く

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暗黒の星空が導く

 地元のプラネタリウムには、夕暮れと共に人々が集まり始めていた。

 プラネタリウムのホールは休日もあって、ほとんどの座席が埋まる。家族連れの子供達が興奮した様子で親に話し掛け、カップルは手を取り合って微笑み合っていた。

「楽しみだね。星がどうやって再現されるのか、すごく気になる」

 男性が、隣に座る恋人に声をかけ、彼女も

「太古の星ってどんな感じなんだろう?」

 と、目を輝かせて答えた。

 まばらな話し声がホールを包み込み、座席の一つ一つに幸福そうな表情が浮かんでいた。人々は、これから始まる星空のショーに期待し、心地よい高揚感を感じていた。

 やがてホールの奥に、老齢の男がマイクを手に挨拶を始める。見たことのない陰鬱な男った。

「今夜は特別な星空の旅にご案内します。太古の星々の空を、お楽しみください」

 その言葉とともに、深い宇宙の闇が広がり始めた。

 まるで夜に帳が降りるかのように、現実の境界がゆっくりと薄れ、星の光が人々を迎えていく。広大な星の海は、無限に続いているように錯覚させた。

 司会の男性は、静かに囁いた。

「皆さん。星の光は、今の光りではありません。1万光年離れた天体を考えると、1万年前に天体を出た光が、1万年の間宇宙空間を飛び続けて、今やっと地球に届いたのです。つまり、今私達が見ている天体の姿は、その天体の1万年前の姿であり、数十億年前の地球を照らした光ではないのです。

 私は『セラエノ断章』を始めとする書物を調べ、こうして太古の星々を再現することができました。そう、暗黒の神々のいらした正しい星辰です」

 彼は、天井に映る無数の星座を指し示しながら、静かに語った。

 その時、星空の中心で、大きな影がゆっくりと動き始めた。

 まるで何かが宇宙を横切るように、星々の一部が一瞬、視界から消えた。

 星空を見上げる人々の中に、突然、胸に重たい不安が押し寄せてくる者もいた。言葉にできない不安感が広がり始める。

 そして、ついにその影が完全に星空に落ち着いた。それはただの影ではなかった。人間の脅威を超えた何か――巨大な存在が、どこまでもじっと見つめているような気配があった。

「いあ くとぅるう ふたぐん いあ くとぅるう ふたぐん……。《旧支配者》達のご帰還です」

 司会の男は、興奮を抑えきれない様子で、両手を広げる。

 プラネタリウムのドーム内は、静かに狂い始めた。星々が歪み、まるで床が溶けるようにうねり始める。

「何、これ?」

 誰かの怖い声が聞こえた。

 それは恐怖に揺れる囁きでありながら、あまりにも非現実的な光景を前に、自分の目を疑うものだった。

 闇の中から、何かが蠢いているのが見えた。

 それは、巨大な触手だった。

「うわあああああ!」

 叫び声が轟いた瞬間、触手は音もなく一人の男性に襲いかかった。肌の下には奇怪な脈動が走り、言葉にできない不快と狂気を直接流し込むかのように、冷たく湿った触手が男性の体を締め上げた。

 悲鳴と共に、その体は瞬く間に空中に持ち上げられた。男性は空中で無力に足をばたかせたが、次の瞬間、触手は彼の体を圧し潰した。

 血肉が花火のように飛び散る。

 周囲の人々は、その景色に目を奪われたが、誰も逃げることはできなかった。

 ドーム内を凄まじい風が吹き荒れた。

 風は人々の服をなびかせるだけでなく、皮膚と肉がゴムのように伸び、千切れ飛ぶほどの強さを持っていた。悲鳴を上げた時には、彼らの肉は爆風を受けたように引き剥がされ、一瞬にして骨と内臓だけの存在となった。

 惨劇を目撃した人々は、あまりの恐ろしさに声も出せず、ただ震えていた。

 しかし、無慈悲にも無数の触手は再び人々に迫った。彼らの体に絡みつき、一瞬で胴体をねじ切った。

 そこで会場には次々と悲鳴が響く。

 だが、触手は決して容赦しなかった。

 逃げ惑う人々を捕まえ、絞め殺し、引き裂く。

 まさに地獄絵図であった。

 司会の男は、邪神達の仮初かりそめの帰還を喜び叫んだ。


【《旧支配者》】

 クトゥルフ神話における、数十億年前の太古の地球を支配していた邪神達の総称。

 彼らの活動休止の詳細は異なっており、戦いに敗れて封印されたとも、星辰の位置が変わり休眠状態となったともいう。

 いずれにせよ、眷属や信者が復活を画策しており、仮に《旧支配者》が復活すれば、人類の文明など、あっけなく滅ぼされてしまうとされる。


 プラネタリウムは完全な地獄と化していた。

 汚怪な怪物達が蠢き回り、人々の断末魔の叫び声が響き続ける。

 司会の男の前に、巨大な顎を持つ黒い粘液の塊が現れた。

 男は夢にまで見た神との遭遇に歓喜の叫びを上げ、自らを捧げた。

 プラネタリウム内での惨劇は数秒しか続かなかったが、外界では誰もその異常に気づかなかった。

 全てが終わった後、異次元の門は静かに閉じられ、異常現象は収束した。

 生き残った者は一人もいなかった。

 男も、女も、子供も、老人も。

 すべての人々は異形の神々にほふられ、プラネタリウムは血肉だけを残し残留のような静けさに包まれていた。

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