蛸地蔵伝説 〜戦国の救世主〜

四谷軒

世紀末蛸地蔵伝説

 きゅっ、きゅっ。

 口の中に入れると、その弾力感がたまらない。

 タコは大好物だった。

 特に、岸和田のタコは絶品だ。



 子どもの頃、夏休みになると、よく伯父の家に遊びに行った。

 遊びに行くと言っても、当時、私の家は東京だったので、大阪にある伯父の家には、新幹線で行った──つまりは、ひとりで旅行していたようなものである。

 最初は両親と、次いで父とふたりきり、最終的には私ひとりで行った。

 まだ小学生だったから、両親もかなり豪胆だったと思う。

 ただ、弟が生まれたり、家のリフォームがあったりと、私がいない方が都合がよかったのかもしれない。

 そんなわけで、その年の夏休みも、ひとり大阪の伯父の家へ向かった。

 伯父の家のある、大阪府岸和田へ。



 東京駅から新大阪の駅に着き、まず連れて行ってもらったのは、大阪城だった。

 これが秀吉の建てた城か、大きいなぁと感心したものだが、実は昭和に建て直されたものとは知らず、城のミニチュアを買ってもらって喜んでいた。

「あんな、岸和田にも、城、あるんやで」

 買ってもらったミニチュアを伯父の家の応接間に飾って、それから虫取りをしたり、鶏舎から卵を取ったり、畑で加茂瓜カモウリ冬瓜トウガンのこと)を──とげとげした毛に辟易しながら──収穫したあとに、そう言われた。

「……ホンマ?」

 私は関西人ではないが、郷に入っては郷に従えというか、関西弁を使うことが格好いいと思っていた時期だったので、こんな返事をした。

 そんなわけで、バスに乗って、ショッピングモールに行ったついでに、城へと連れて行ってもらった。



 岸和田城。

 別名、千亀利城ちきりじょう

 ちなみに、大阪城には錦城きんじょうという別名がある。

「ほな、行くで」

 伯父が指を差す。

 お堀に囲まれた、三層の天守閣。

「小さいなぁ」

 大坂城を見たあとでは、どうしてもそう思ってしまう。

 伯父は苦笑して、私の手を握って、城門へと向かった。



「わあ」

 天守閣からの風景は、素晴らしかった。

 大阪城と比べると、見劣りするだろうと思っていたそれは、和泉山脈を見晴るかす、いい景色で、結構満足した。

 それに、庭には、白い砂と灰色の石が、謎の図形を形作っていた。

 何だあれと言うと、伯父は「八陣の庭、言うねん」と答えた。

 よくわからないという表情をしていると、諸葛孔明という人の八陣法をイメージした庭だと説明してくれた。

「誰? それ?」

 実は三国志を知らない子どもだった。

「かなんなぁ」

 伯父は歴史に詳しかったが、今この場で三国志がどうこうと言うのはやめた方がいいと判じたらしい。

「そないなことより、猿、見に行こか」

 当時の岸和田公園の二の丸公園には、猿舎があった。

 アカゲザルの剽軽ひょうきんな動作に癒され、そして私は岸和田城をあとにした。



 その日の夕食は、豪勢だった。

「田舎料理やさかい」

 と伯父は照れていていたが、そんなことはない。

 加茂瓜カモウリ冬瓜トウガン)を出汁で煮て冷やしたもの、トマトを輪切りにして砂糖をまぶしたもの、フカ(サメ)の湯引き、ハモの吸い物、そして──私の大好物のタコの刺身だった。

 これが楽しみで来ていると言っても、過言ではない。

 そして真っ先にタコに手を出すのだ。



「やっぱりタコ、おいしいね」

 岸和田は海に面しているためか、魚が本当に美味しかった。

 私がタコの刺身を醤油皿にひたしていると、伯父は言った。

「そういやなぁ、あの岸和田城、タコに守られた城なんやで」

「え? そうなん?」

 醤油をたっぷりつけたタコの刺身を、きゅっ、きゅっ、と噛みながら、つづきを教えてという目をすると、伯父は教えてくれた。

「あんな、あの大阪城の太閤たいこうはん(豊臣秀吉のこと)やがな、そぉれが徳川家康とたたこうたときの話ぃや」

 秀吉が、東の家康と戦うために、愛知県に向かった時に、和歌山県に家康の仲間がいて、北上して大坂を狙った時の話だという。

「ふんふん」

 タコを賞味しながら、その昔話を聞いた。

「その時、岸和田城は攻められてんねん。ほいで……」

 といっても、当時の私には時代背景がよくわからなかったので、現在の私が改めてその辺を含めて記すと――



 その時、羽柴秀吉(豊臣秀吉)は本能寺の変のあとの山崎の戦いを制し、賤ヶ岳しずがたけの戦いに勝利し、そして海道一の弓取り・徳川家康との対決を目論み、東へ――東海道へと向けて出陣した。

 世にいう、小牧・長久手の戦いのはじまりである。

 さて、秀吉の出陣を知った家康は、紀州きしゅう紀伊きい。今の和歌山県)の根来衆や雑賀衆、粉河こかわ衆ら──紀州勢きしゅうぜいと手を結び、北上して、秀吉の本拠・大坂を狙うように要請した。

 はさみうち――いわゆる双頭の蛇という作戦で、これは図に当たり、結果として堺を占領し、大坂の町(城ではない)を焼き払うことに成功した。これは秀吉にとってもかなり痛手だったらしく、出陣したばかりだったが、大坂炎上の知らせを聞いて、引き返す決心をしたという。

 だが中でも激戦だったのは岸和田城で、紀州勢は、三万からなる軍勢に襲いかかった。

 対するや、岸和田城の防衛を任された中村一氏なかむらかずうじの率いる兵は、わずか八千。

「岸和田も取られれば、羽柴は終わりぞ」

 一氏は覚悟を決めて、決死の防衛戦に臨んだ。

 のちに豊臣三中老を務める男だけあって、岸和田を抜かれると、そのまま紀州勢が大坂城を攻め、最悪取られるということを見抜いていた。

 何しろ、秀吉とその軍勢が不在だ。

 いかに大坂城とはいえ、危うい。


 だから、一氏は必死に戦った。

 それでも多勢に無勢。

 岸和田城は、落城の危機に瀕した。



「その時や」

 伯父は、ハモの吸い物を出しながら話していた。

 骨っぽいが出汁が素晴らしく美味なこの吸い物も、私の好物だった。

 それは置いといて、伯父は小鉢のタコの刺身を指差した。

「……タコや。でっかいタコに乗った坊さんが現れたんや」

「ホンマ?」

 伯父が言うには(というか、本当に伝説として伝えられているのだが)、何と、大きなタコに乗ったお坊さんが出てきて、紀州勢をひとりひとり捕まえては、殴り倒したらしい。

 タコ殴りに。

「だ、だけどさ」

 私はいかにそのタコ坊主(と私が勝手に呼んだ)が強くても、たったひとりじゃ三万人相手は無理だろうと思った。

「その時や」

 伯父は再び小鉢を指差す。

「……タコや。ぎょうさんたくさんのタコが現れたんや」

「……は?」

 これもやはり伝えられているとおりだが、タコ坊主ひとりに何をやっているかと、紀州勢も怒り心頭となり、やってしまえとばかりにタコ坊主を囲んだらしい。

 その時。

 海からタコが現れたという。

 何千、何万もの。

 紀州勢はびっくり仰天、そしてその隙にタコたちが飛びかかって、次から次へと殴り倒していった。

 タコ殴りに。

 恐れ入ったとばかりに、紀州勢はあわてふためいて、逃げていったとさ……と伯父は結んだ。



 伝説が本当だとすると、タコは岸和田城を救い、つまり大坂城を――豊臣秀吉を救った。

 ひいては、秀吉による戦国時代の幕引きに貢献した、救世主というわけだ。

 不思議なタコの伝説だったが、子どもらしく、「本当かなぁ」と首をかしげた。

「ホンマやで」

 伯父は、南海電鉄南海本線の路線図を、電話机の上から持ってきた。

 田舎では電話が長いらしく、こうして机があって、書き物用のペンとメモ用紙や、電話帳や路線図を置いていた。

「これや」

 伯父の指が岸和田駅を差し、そしてそのまま下に動かすと、岸和田駅の隣の駅の上で静止した。

「あっ」

 蛸地蔵たこじぞう

 そういう駅名の駅があった。

「明日にでも、行ってみっか? 面白おもろ蛸絵馬たこえまっちゅうのが、あるねん」

「蛸絵馬?」


 ……のちに岸和田合戦といわれるその戦いを終え、中村一氏は「礼がしたい」とタコ坊主とタコたちを探したが、気がついたら消えていた。

 残念に思いながらも、一氏は疲れていたので眠ってしまった。するとその夢枕にタコ坊主が立ち、自分は地蔵菩薩の化身だと語ったという。

 一氏は大いに感謝して、堀に埋めて隠されていたという、その地蔵菩薩像を掘り出し、寺にまつるようにした。


「それが蛸地蔵や」

 正式な名称は天性寺てんしょうじというそのお寺は、一度は天保てんぽうの頃に焼けてしまったが、その後、日本一大きい地蔵堂を作って、蛸地蔵を祀っている。

「それで、蛸絵馬って?」

「ああ、せやったな」

 蛸地蔵ではをする時、蛸絵馬を奉納する。

 そしてそののために、あるひとつの約束をすることになっている。

「その約束って」

「それはな」

 伯父は三度目か、小鉢のタコの刺身を指差した。

「タコを、一切食べへん、ゆう約束や」

「えっ」

「どや? 明日、蛸絵馬ぁ奉納して、何かの願いを、しぃへんか?」

「いやいや……」

 私はタコが大好物だった。

 だから蛸地蔵には、行ったことがない。


【了】

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