第3話

 デジャブのような話だった。

 違うことと言えば、命は麻衣子に助けられたが、男はそのままの姿でここまで来たとのことだった。驚いたことに男は大学4年生で来年の春からは父親の経営する会社に就職することが決まっていた。相手の女は同級生で高校からの幼馴染、気心知れた中で挙句に初恋だった。

「災厄な状況ね」

 思わずそう言ってしまうと男は微笑んだ。

「ですねぇ」

 返事はどことなく他人事のようだった。

「まるで他人事みたいに言うのね」

「どうでしょう、実感がわかないんですよ。失った実感が……、あんな姿は僕の時には見せたことは無かったし、それにあの表情は驚くほどに気を許していた気がします」

「思い過ごしじゃないの?」

「いいえ、何年も一緒に居ましたからね、良く分かっているつもりです」

「なるほど」

 それ以上は口を放むことは控えた。長いこと付き合っていた者なら相手の表情など読み取ることは容易い、ましてや男にはきっとデリカシーがないだろうから、明け透けなくなんでも聞いてしまう性格だっただろう。

 有害な素直というやつだ。

「彼女から沢山の連絡も来ました、でも、連絡するのも嫌ですし、もう、声も聴きたくないと言ったところです」

「気持ちは分かるわ、痛いほど分かる」

「本当の意味で理解してくれる人はありがたいですね」

「あなた、本当に真面目なのね」

 話をしていても男が視線を外すことは無かった。命の浴衣にあるまじき足組みでほぼ生足がそのつなぎ目の辺りまで見えていたとしても、彼の視線は揺らぐことは無く、ただ、本当に悲壮感に打ちひしがれていることは理解できた。

「寂しい思いをさせていたんでしょうかね」

「なに、自己批判?」

「かもしれません、満足させて上げていなかったのかもしれない。我慢させていたのかもしれないですし……」

「本当に馬鹿真面目なひと」

 呆れるでもなくただ、すっと口をついて出た言葉だった。浮気されたというのに自分が悪かったのではないかなどと考えることは確かに命にもあった。しかし、まだ、時がたっていないというのにそんなことを考えている男が滑稽でもあり、慈悲深くも見えた。

「私も色々考えたわ、でも、最後はね、結局、そうなってしまったしか残らないのよ」

「そうなってしまった?」

「そう、だって、結果はそうなってしまったの、反省するにしても、恨むにしても、なんにしても何やっても変わらないのよ。結局、嫌な思い出だけが残るだけよ」

 缶ビールを一気に飲み干して命は力任せに机の上に缶を叩きつける。静かな廊下にその音が響き渡った。

「どうやって克服したんですか?」

「克服?できないわ、苦々しいことだけど、ずっと引きずるのよ、で、ときより思い出して、このザマってわけ、仕事を恋人のように言い訳にして暫く過ごして、休みを取って遊びに来て思い出して気分が滅入って、酒飲んで、絡んで、話聞くの」

「なるほど」

「なに、納得してんのよ。私は長いこと患ってるの、アナタはまだ駆けだしでしょ」

「面白い言い方ですね、確かに僕は駆けだしです、なんだ、そうか、まだまだ、悩むことはある訳だ」

「そ、長いことかかるわよ」

「それは辛い、でも、同じ気持ちの人が居てくれて助かりました」

「嫌味?」

「いえ、本心です」

 互いに笑った。この先ずっと男は悩み続けるのだ。

 そう考えると命はふっと心配になった。自分以上に思案癖がありそうなこの男は、きっとずっと悩み続けるのだろう。そして時間が解決するということすらできずに、まるで暗い森を彷徨歩くようにずっと悩み続けるに違いない。有害な素直は、相手にしても、自分にしても、被害を及ぼす。

「アナタ名前は?」

 唐突に男の連絡先を知りたくなった。

「え?」

 驚いた男の浴衣の胸倉に手を伸ばして、恫喝するように引き寄せた。

「名前なに、私は西伊奈命(にしいなみこと)っていうの」

 目と鼻の先に顔を近づけて男に自分の名前を告げた。

「遠山松之丞(とおやままつのじょう)です」

「ふぅん、じゃぁ、連絡先を交換しましょ、で、悩む度に連絡してきて、話聞くから」

「いえ、そんな」

「しろって言ってんの、私、経験者だし」

「は、はい」

「よろしい」

 胸倉を解いて男を解放した。男の顔はどことなく安堵感が浮かんでいる気がした。同類に相談できるという安堵感のようなモノだ。これは思い過ごしじゃないことは確信できる。

「じゃぁ、松之丞くん、今後ともよろしく」

「は、はい」

「命」

「え?」

「はい、じゃない。命さん、お願いしますは?」

「よ、よろしくお願いします。命さん」

「うん、よろしい」

 そう言って2人は声を上げずに笑い合った。そしてそのまま流れるようにして夜明けまで話をしてやがて別れた。

 翌朝目を覚ました時、命はなんてことを言ってしまったんだと思い出しては赤面し消えてしまいたいほど死にたくなったが、昨日のお礼の書かれた松之丞からの連絡にほっと胸を撫で下ろしたのだった。

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許せないダブルノックアウト 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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