彼岸列車
星野 ラベンダー
彼岸列車
舗装されていない道路を挟むのは、住宅や建物ではなく田んぼや畑。ちらほらと建つ家の向こうに、こんもりとした深い緑の山が連なる。
何時間も電車に乗って、何本もバスを乗り継いで、ようやく辿り着くこの町は、どこからどう見ても田舎そのものだ。
祖母の住むこの町では、毎年お盆の時期に灯籠流しが行われる。近隣の地区でも名が知れているような大きな規模で行われている灯籠流しで、必ず彼岸花が描かれた灯籠を使うのが特徴だった。
八月の太陽が沈む頃、川に幾つもの灯籠が流れていくその行事を初めて見たのは小学校一年生のときだった。
数え切れない程の灯籠が用意され、川に放たれる。淡く柔らかい光が水に乗ってゆっくりと進む姿は、さながら星空のように綺麗だった。普段は見上げるしかできない遠い星が、私のすぐ近くまで来てくれたように見えた。
川の流れに沿って進む灯籠の明かりを土手から目で追っていると、隣に座っていた祖母が、私に話しかけてきた。
「ゆかりちゃん。実はこの町にはね、ある言い伝えがあるんだ。死んだ人の魂を乗せる電車が走っているという話なんだけどね。この世とあの世をずっと行き来している電車で、普段は生きている人には絶対に見えないし、だからもちろん乗ることもできない。でも唯一、このご先祖様が帰ってくるお盆の時期は、もしかしたらその電車が目の前に現れるかもしれないんだ。けど、絶対に乗ってはいけないよ。あの世に連れて行かれて、二度と戻れなくなっちゃうからね」
その話を、私は当時ほとんど聞いていなかった。目の前を流れていく灯籠に夢中だったし、言っていることも難しくてよくわからなかった。だから祖母の話は、私の記憶からすぐに消えていなくなった。
それから小学校五年生の夏が訪れるまで、祖母の話を思い出したことは一度も無かった。
そう、あの日だ。その日、私はいとこの家に遊びに行っていた。いとこの家は、祖母の住む家の最寄り駅から電車に乗って十五分ほど乗った先にある。
この頃の私にとって、祖母の家は退屈な場所になっていた。毎年帰省しているのはいいものの、家の中にも近所にも、年頃の女の子の退屈をしのげるものは何も置かれていなかったからだ。
いとこの家もたいして変わらない田舎にあって、何も無いのは変わらないが、同い年のいとこやそのきょうだい達と遊んでいたほうがまだましだった。
いとこが新しく買ったというゲームで遊んでとても盛り上がってしまったため、ふと気がついた時にはいつの間にか帰らなくてはいけない時間を過ぎてしまっていた。いとこの親に言われてやっと18時を回って久しいことに気がついた私は、慌てて別れを告げて、外に飛び出した。
夏の陽は長いというのに、その太陽はすっかり傾いていて、空は茜色に染まっていた。一際濃い赤色だったことを、今でも鮮明に思い出せる。
たとえ夕方でも、暑さはとどまるところを知らず、健在だった。べたつくような不快感を伴う暑さを振り切るように、私は走った。やたら喧しいヒグラシの鳴き声を聞きながら、人影一つ見当たらない田んぼのあぜ道を進んだ。
私の頭の中は、早く帰らないと叱られる、という思いで占められていた。暗くなったら、街灯一つもろくにないこの辺りは真っ暗になる。危ないということで、遅くなるといつも叱られるのだ。今日も灯籠流しの始まる十九時には帰りなさいと言われていたのに、取り出した携帯の時計を確認したらもう十八時四十分を回っていたからだ。
しかしこの調子だと、いつも使う電車に乗っても絶対に間に合わない。どうしようと焦りながらとにかく走っていくうちに、ふと田んぼの向こう側にぼんやりと建物の影が見えてきた。
赤色の空を背中に建つその影は、駅だった。いつもいとこの家に遊びに行くときに使う最寄りの駅とは違う駅で、古びた見た目をしていた。とにかく早く帰りたかった私は、この駅から家に戻ることをその場で決めた。
初めて利用するその駅を改めて見上げると、木造でできているからか夕方だからか、どこか輪郭がぼんやりとしていた。駅の入り口付近には、アスファルトが割れて剥き出しになった地面から彼岸花が何本か咲いており、赤色がぬるい夏の風に揺れていた。
外から既に人の気配を感じられない寂しさを漂わせていたが、入ってみるとやはり利用客は全然いなかった。それどころか、駅員の姿も見えなかった。
駅舎内は錆や黴に埃の匂いと、古い木材の匂いで充満していた。雨漏りの激しいらしい湿った天井からぶら下がる蛍光灯は、寿命が近いのかぱちぱちと点滅を繰り返している。
ベンチが置かれただけの簡素な待合室の壁に掛けられた路線図は、薄茶に色褪せて何と書いているか全然読めなかった。
田舎とはいえ、祖母やいとこの家の最寄り駅に一応導入されている古い自動改札機はこの駅にはなかった。券売機はあったが、電源が落ちている上に機体は錆び付いて真っ赤に染まっており、叩いたりなんなりしてみたが全然動かなかった。
私はすっかり困ってしまった。これでは切符が買えない。この寂れ具合を見るに、もう使われていない駅なのかもしれないと、辺りを見回した。
駅舎は、夕方とはいえまだ日の出ている時間とは思えない程薄暗かった。対照的に、未だに遠くから聞こえてくるヒグラシの切ない鳴き声は、延々と続いていた。
そのヒグラシの鳴き声が、一時停止されたように、突如前触れもなく止まった。
遠くから、ごとんごとんという音が聞こえてきた。最初はくぐもっていたその音は、徐々に大きく、鮮明になっていく。私はそっと駅のホームに出た。
目の前で軋んだ甲高い音を立てながら、電車が止まった。全てが黒色に染められた、四両編成の電車だった。しゅうう、と、蒸気の噴き出すような音と共に、誘い込むようにしてちょうど私の正面のドアが開いた。
私は戸惑って駅の入り口と、目の前の電車を交互に見た。切符を買っていないし、改札も通っていない。でももしここでいつも使っている最寄り駅まで行ったら、間違いなく門限に間に合わなくなる。
私は電車に乗ることを決めた。理由は、家族から叱られたくなかったというそれ一つだけだった。後のことはそのとき考えればいいと、楽観的に考えていた。
電車に乗り込むと同時に、ひどく軋んだ甲高い音を立ててドアが閉まり、電車は走り出した。
車内は空いていた。向かい合わせになるように配置されたシートに、まばらに人が乗っている。私は適当に選んで、目についたドア横の席に座った。
これで多分間に合うと、ほっと息を吐く。安心のあまり、背もたれに背を深く預けかけて、ふとシートの古めかしさに気がついた。もともと赤色だったのであろうシートの色はすっかり色褪せて鮮やかさを失っており、クッション部分も破けて中の綿が覗いている箇所があった。
壁に錆が走っていたり天井は汚れていたり吊革が不揃いだったりと、この電車はだいぶ古い電車のようだった。そんな古い電車の乗客は皆一様に俯いており、喋っている者はいなかった。
「ねえ、ちょっと」
そう思っている最中で声がかかった。突然のことに私はびっくりして顔を正面に向けた。
向かいのシートに、私よりも少し上に見える女の子が座っていた。
え、と私は声を漏らしたまま固まった。人のいないシートを選んでいたはずだ。私が電車に乗ったとき、ここには誰も座っていなかったはずだ。
「あっ、いきなりごめんね。この辺じゃ見かけない顔だったから気になっちゃって」
くっきりとした顔立ちの勝ち気そうな雰囲気をした女の子は、そう言って屈託なく笑った。
人好きのする明るそうな雰囲気の子だった。私は緊張が緩んでいくのを感じた。焦っていたし、シートに座ったときには気づかなかったんだろうと、自然に考えることができた。「近くに住んでるの?」と聞いてきた女の子に、私はおじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに来てるんです、と答えた。
「へえ、里帰りなんだ! いいね! じゃあ、あなたは、えっと……」
「あ、ゆかりって名前で」
「ゆかりちゃんね! 私はれいなっていうの。じゃあつまりゆかりちゃんは、別の町の子なのね?」
私は頷き、自分の住んでいる町の名前を言った。れいなは、「えっ、大都会じゃない!」と大きな声を上げた。
「いいなあ、都会って……。面白いものや可愛いもの、いっぱいあるんでしょう? 羨ましー!」
れいなは深くため息を吐くと、車窓の向こうへうんざりとした目を向けた。窓の向こうには、どこまでも続く草原が広がっていた。地の果てまで続くような緑色の絨毯の上に、所々木が生えている。
私は首を傾げた。今まで何度も祖母の家といとこの家を電車で行き来してきたが、こんな場所を通っただろうか。だが田舎というものはどこも同じような景色が続くものなので、単なる気のせいだろうと片付けることにした。
「見てよ、この何も無い風景。都会だったら、高いビルとか綺麗なお店とか、いっぱい建っているんでしょう? あなたの着ている服、可愛いもんね」
「でもれいなちゃんも、可愛い服着ていると思うけど」
「あーこの服はね、学校にこの辺りではお金持ちの家の友達がいるんだけど、その子にプレゼントしてもらったものなの」
れいなの服もブランドものだったし、更に彼女はイヤリングやアクセサリーなどもつけていた。顔立ちが目立っているのは、派手な化粧のおかげなのかもしれない。
「他にも色々持ってるんだ。メイクとかアクセとかもあるし」
「わあ、素敵なお友達なんだね」
「まあね。いい子だよ。地味で大人しいけど、なんでも私の言うこと聞くの」
れいなは忍び笑うようにくすくすと声を漏らした。
「けど、お洒落くらいしかすることが無いっていうかさあ。本当、ものが少ない田舎だと楽しいことも少ないから嫌になっちゃう」
れいなはぼやきながら、窓辺に頬杖をついた。流れる景色に寄越す目は、いかにも忌ま忌ましいものを眺める視線そのものだった。
「あっ、でも灯籠流しが有名だよね、この辺りって」
「灯籠流しー? あんなのダメダメ、だっさいじゃん。だってただ火の入った箱を川に流してるだけだよ? しかも彼岸花の描いてあるやつ。もっと可愛くて綺麗な花ならまだしも、あんな趣味悪い花をなんでわざわざ選ぶのって。何の意味があるのって感じ。灯籠も別に面白くもなんともないしさ、今は有名でもあと数年もすれば廃れてるイベントだと思ってるよ、私は」
れいなはおざなりに手を振りながら言った。嘲笑の響きを感じ取って、私は何と言ったらいいかわからず黙っていた。
幼い頃に見て感動した灯籠流しをこんな風に言われて、良い気分になったとは言い難い。
ただ、れいなの言い分に完全に共感していないと聞かれれば、嘘にもなる。
毎年お盆の帰省に灯籠流しを家族で見に行っているのだが、年月を経ていくにつれ、段々と億劫になっていっていた。
家族全員で連れ立って、というのもなんだか恥ずかしいし、暑いし蚊に刺されるしで、つい面倒に感じてしまう。そういう気分で灯籠流しを見ても、子供の頃に感じた綺麗や凄いといった感想とはまるで違う気持ちしか抱けない。
「だから私はねー、都会に行って、都会でずうっと暮らしたいの。ネットでしか見たこと無い流行りの食べ物とかお菓子とか食べる為にお店の行列に並んでみたいし、服とかアクセとか、ネットショッピングじゃなくて、実物を見て選びたいしね。あ、あとイケメンで背の高い彼氏作りたい! この辺じゃモサい男しかいないんだもの。でも都会だったら、スタイル良くて頭良くて運動できる格好いい男子、いっぱいいるだろうしさ! それと読モとかもやってみたいな! 町を歩いてたら、時々スカウトされるって聞くし! それでわーっとお金稼いで、ぱーっと使ってみたい! それでぇ……」
れいなは私の反応などお構いなしで、勝手に喋りだした。私はどうすればいいかわからず、とりあえず相槌を打っていた。
そのとき連結部分の扉が開き、車掌と見られる人がこちらに向かって歩いてきた。帽子を目深に被っており、顔はよく見えない。すると、それまでぺらぺらと語り続けていたれいなが、急に口をつぐんだ。車掌はちらりと一瞥してきたが、すぐに通り過ぎ、隣の車両に向かって行った。
「……ゆかりちゃんって何歳? まだ小学生?」
「あ、小五だよ。十一歳」
「私は今中二なんだけどさ。ゆかりちゃんもさ、もう少し大きくなったらわかるよ。この辺りがいかに面白くないかっていうの。暇つぶしの遊びをやっていないとさ、本当に退屈で死にそうになるから」
「遊び?」
「そう。本当に時間潰しにしかならないけど、でもまあ面白いかなっていう遊び」
れいなは顔を窓に向けると、そのまま舌打ちしそうな勢いで吐き捨てた。
「本当に何も無い場所……」
私もつられて外を見た。風に揺られてざわめく草原の上に、夕焼け空が広がっている。電車に乗る前は真っ赤に染まっていた空が、今では綺麗なグラデーションになっていた。上の方は赤色が残っているのに、地面に近い空は薄暗く、黒に近い。もうじき夜が運ばれてくるのだろう。
そのとき、草原の奥で何かが光った。豆粒ほどの小さな明かりだ。やがてその明かりはぽつぽつと少しずつ増えていった。ぼんやりと闇に溶け込むような、温かく柔らかい光。民家の明かりだろうかと、私は目を凝らした。
そして、その明かりがゆっくりと移動していることに気がついた。右から左へ、滑るように動いている。いや、流れている。
私はこの明かりに見覚えがあった。あれは、灯籠だ。
瞬間、明らかにおかしいことに気がついた。自分の中で、時々目が覚めてはすぐに眠っていた違和感が、はっきりと形を為していった。
私は携帯を取り出して時間を確認した。画面に表示されている時間は、いとこの家を出て少し経ってからの時刻である十八時四十三分で止まっていた。
だが、灯籠流しが始まっているということは、十九時になっているはずだ。
なのになぜ、この電車はずっと走り続けているのだろうか。
祖母の家の最寄り駅からいとこの家の最寄り駅まで、電車で十五分近くかかる。もちろん逆も同じだ。間に三駅停車し、その三駅中一つ目の駅に停車するまで、電車に乗ってから五分もかからない。
なのに、この電車は、いつまで経っても次の駅に停車しない。
私は立ち上がった。胸が落ち着かない。なぜか寒気がする。心臓がどんどん速くなっていく。
怖い。なんで怖いのだろう。けれど、怖い。
「ちょっと、どうしたの? いきなり立っちゃってさ」
れいなが面白いものを見るように私を見上げた。
私はもう一度座ることができなかった。なぜだか体が拒否していた。座ってはいけないと。今すぐここから逃げろと。理屈のわからない警鐘が鳴り響いていた。
「何か……何かおかしくない?」
「おかしい? なんで?」
「だって、こんな場所、見たこと無いっていうか。全然駅に停まらないっていうか」
「ええ?」
れいなは吹き出した。私は笑うことなどできず、忙しなく窓と電車内に交互に視線をやっていた。どこがおかしいのか、何に違和感を覚えているのか、上手く言葉にできなかった。言葉にしている時間すらも惜しいと感じていた。
「おかしいところなんて一つも無いよ。こういう電車なんだってば」
「だけど!」
「ゆかりちゃんが乗り間違えたんじゃないの? 別に心配しなくても、このまま乗っていけば必ず辿り着くって」
そう言って外に顔を向けたれいなは、妙に機嫌が良かった。先程までは車窓の風景を見る度に不愉快さを露わにしていたのに、今は鼻歌を口ずさむまでになっている。
乗り間違えたのだろうか。私は立ちすくんだまま、ぼんやりと考えた。急いでいたから、路線を間違えた可能性は否定できない。
しかし、もっともらしい理由をつけて考えようとする頭を拒絶するみたいに、私の体はずっと震えていた。私は縋るように窓の向こうを見た。そうして、絶句した。
赤が見える。赤一色が広がっている。右を見ても、左を見ても、正面を見ても、赤以外見えない。
窓一杯を占める彼岸花の花畑が、そこにはあった。赤しかない。押し潰されそうだ。血の色に飾られた大地の上では、黒と赤の入り交じった空が広がっていた。
ここはどこなんだ。こんな場所は知らない。認めてしまうと、全身を雷のような怖気が駆け抜けていった。
ただ乗り間違えたんじゃない。私はやっとわかった。私は、間違いを犯してしまったんだと――。
「帰る!」
その瞬間、手首に強い力が走った。
「どうしたの? 席を立ったら危ないよ?」
れいなが私の右の手首を掴んでいた。にっこりと笑いながら。彼女は凄く凄く楽しそうにしていた。その笑顔を見た瞬間、全身の肌が粟立った。
「だ、だってこんな場所知らないから!」
「このまま乗っていけばいいのに。必ず辿り着くって言ってるでしょ?」
「とにかく帰るの!」
渾身の力を振り絞っているのに、れいなは離れてくれない。それどころか、どんどん皮膚に手が食い込んでいく。
「絶対に、だめ」
れいなから、すっと笑顔が消えた。
「退屈すぎるんだもの。せめてこれくらいして遊ばないと、何もやることがなくなっちゃう」
腕がもぎれそうだった。骨がみしみしと音を立てた。れいなの目がぎらりと光った。
「帰るな」
胃の底が縮み上がった。全身に掻いた冷たい汗が、れいなに掴まれている手を通って、ぽたりぽたりと落ちていった。床に雫が溜まっていく。息を吸えなかった。吐けなかった。
その直後のことだ。両耳を甲高い音がつんざいた。それは電車のブレーキ音だった。音が収まった時、規則正しく動いていた電車はぴたりと停まっていた。車内にががっとノイズが走った。
『お客様にお知らせ致します。非常事態の発生により、当列車は緊急停止を致しました――』
途切れ途切れに聞こえてきたのは、そんな車掌の声だった。
瞬間、背後から腕が一本伸びてきた、腕は迷い無くれいなの手首を掴み、力を入れた。れいなはぎゃっと悲鳴を上げて、手を離した。右手がふっと軽くなった。
急いで両手を引っ込めて、後ずさろうとした。すると背後で誰かとぶつかった。振り向くと、先程通りすがった、帽子を深く被った車掌がいた。
「お客様はお乗り間違えをしたようです。どうぞお降り下さい」
車掌が列車のドアを手で示す。すると蒸気の噴き出るような音を立てて、すっとそこが開いた。
「貴方は駄目です」
車掌が、機械のように淡々と言った。一瞬私に話したのかと思ったが、車掌は私の後ろを見ていた。見ると、れいながシートから少し腰を浮かせた状態で固まっていた。
「貴方の降車は許されません。このまま電車に乗っていて下さい」
「なんでよっ!!」
れいなは肩を怒らせて立ち上がった。
「なんで、なんで私なのよ! なんでこのだっさい子じゃないの! どうして私なの! なんでなのよっ!」
きんきんと頭痛がしそうな金切り声だった。れいなは目を血走らせながら、何度も何度も私を指さした。
「どうして私が死ななきゃいけないの、なんで私なの! 私、まだ全然若いのになんで! “未来ある若者”なのよっ! どうして、なんで地獄なの! 私が、私が何をしたっていうのよ!」
「貴方の感情は知りませんが、ただの車掌の私としては、こう答えるしかありません」
車掌は私を庇うように前に出ながら、こう言った。
「それだけのことをしたからですよ」
「私は何もしていないっ! ただ遊んでいただけじゃないの、遊ぶことが悪いことだっていうの、そんなのおかしいじゃないの! そうよ、周りが悪いのよ! 周りが全部悪いのに、なんで!」
「さあお客様、お急ぎ下さい。足下にお気をつけて」
車掌が急かすように、私の背を軽く押した。私はされるがまま、電車を降りた。
降りる寸前、他の乗客が全員私に目を向けていることに気がついた。纏わり付くように、あるいは突き刺すように、全員怨みの籠もった目をしていた。
私が降り、次に車掌も一緒になって降りてきた。れいなが突進するようにこちらに向かってきたが、寸前で遮断するようにドアが閉まった。髪を振り乱し、唾を飛ばして何かを叫びながらドアを両手で殴り続けるれいなは、この世の人間とは思えない醜さがあった。
「この道を真っ直ぐお進み下さい。そうすればもとの世界に戻ることができます」
車掌が私の背中に手を向けた。振り返ると、赤色しか見えなかった彼岸花畑に細い線が引かれるようにして、真っ直ぐ続く土の道があった。
「その際、こちらをどうぞ」
車掌はすぐ近くに生えていた彼岸花を一輪摘み、渡してきた。
「この彼岸花を両手でしっかり持って行って下さい。道を進むときは、絶対に後ろを振り返らないように。また現世に戻った後も、花が枯れるまでは決して手放してはなりません。花が枯れたら、川に流してしまって下さい」
「あの……この電車って、一体何なんですか?」
私はおずおずと花を受け取りながら、車掌に聞いた。車掌は礼儀正しく、丁寧に答えた。
「彼岸列車といいます」
私は彼岸花畑の真ん中に停まる、闇の色をした列車を見上げた。普通の電車でないことはわかりきっていた。
「彼岸列車には二種類あります。一つは死んだ方の魂を安らかな死後の世界までお連れする列車。もう一つはこの、地獄にお連れする列車です」
車掌の顔が後ろを向いた。いつの間にかれいなは、手で叩くのではなく何度も体当たりをして外に出ようとしていた。しかし、ドアは一ミリも揺らがない。
「お客様とお話ししていたあの方は、学校で同級生をいじめていたそうです。同級生はそれを苦に自殺なさったとのことで……。今日、遺族の手にかけられ、この列車に乗りました。それが納得いかないようで、乗車の際、ずっとああして暴れておりました」
言葉を完全に失った。事態を飲み込めない気持ちとおぞましさと恐怖と動揺が渦を巻いた。呆然とする私に、車掌が向き直った。
「今回は間違えて乗ってしまったようですが、貴方が本当に彼岸列車に乗るとき、こちらの彼岸列車に乗車するようなことが起きないことを祈っております。では、お気をつけて」
車掌の頭が、深々と下がる。私はしばらくその頭を見ていたが、弾かれたようにきびすを返し、走り出した。
花畑に真っ直ぐ伸びる道を、ひたすらに走り続ける。道はなかなか終わりが見えなかった。どこもかしこもを埋め尽くす彼岸花の赤色に目がちかちかしてくる。それでも言われたとおり、振り返らず走った。彼岸花を強く握りしめた。
段々と、私の意識が薄らぎ始めた。頭が霞がかり、上手く歩けなくなる。それでもふらつきながら前に進み続けたが、やがて足が動かなくなり、目の前は真っ暗に染まった。
目が覚めたとき、そこには真っ白な天井があった。次に、私の周りを囲む家族の顔が見えた。皆今にも泣き出しそうな、今まで見たことが無いほど心配そうな顔をしていた。私は病院にいたのだ。
いとこの家を出てすぐ、ちょっとした不注意で足を捻らせて側溝に落ち、そのときに頭を打って、しばらく意識が戻らなかったらしい。発見がやや遅れたため、危険な状態だったとも言われた。
そんな話を、夢の中にいるようなぼんやりとした心地で聞いた。頭を占めるのは彼岸列車での経験だ。最初は夢だと思っていた感覚を覆されたのは、家族が私の手を指さしたからだ。
「ところで、ゆかり。その花、どうしたの?」
私は両手に、しっかりと彼岸花を握っていた。発見されたときから持っていた彼岸花を、私は意識が失った状態でも、決して離さなかったそうだ。
その深紅色を眺めながら、私は、あのとき車窓から見た窓一杯をしめる彼岸花の花畑を思い出した。
退院した後、私はニュースでれいなの死の詳細を知った。学校で、同級生を複数名でいじめていたこと。精神を追い詰められた同級生の子が首を吊って亡くなったこと。私が彼岸列車に乗ってしまったあの日、被害者の家族の手により歩道橋の階段から突き落とされて死んだこと。大体車掌から聞いた話と同じだった。
いとこの姉がれいなの通っていた学校と同じ学校の生徒だったため、私は後日詳しい話を聞きに行った。
机を汚したり、ノートや教科書を破ったり、靴や体操着を隠したり、トイレの水を飲ませたり薬品をかけたりと、他にも相当に悲惨ないじめをしてきたらしい。おまけにその被害者の子がお金を持っている家ということで、執拗にたかり続けていたとも聞いた。
私は列車内でれいなから聞いた、「高価なものをプレゼントしてくれる友達」の真相を知った。彼女が言っていた「遊び」の本当の意味も。
その後私は祖母に、昔聞かせてくれた、死んだ人の魂を運ぶ電車についての詳しい話を求めた。
祖母は、その電車の名前は彼岸列車だと、教えてくれた。彼岸列車には二種類あり、天国行きの彼岸列車と、地獄行きの彼岸列車があると。更にこの地域の灯籠流しは、実は彼岸列車と繋がりがあることも知った。
この地域では灯籠流しは、天国行きの彼岸列車に乗る魂を弔い慰める意味を持つが、同時に地獄行きの彼岸列車に乗る魂が、現世に生きる者達に悪影響を及ぼさないようにという、魔除けの意味が込められているらしい。
悪い魂というのは、いつも生きている人を道連れにしようとしているのだと、祖母は言っていた。れいなが灯籠流しを嫌悪していたのも、彼岸列車の正体を教えず連れて行こうとしていたのも、そういう理由があったのかと腑に落ちた。
いきなりどうしてそんな話を聞きたがったのだと不思議がられた私は、なんとなく、と答えた。彼岸列車に乗ったということは言わなかった。この先も、言うつもりはなかった。
翌日、私は枯れて萎れた彼岸花を川に流した。見えなくなっていく、かつて鮮やかな赤色をしていた花を見送りながら、あの電車にもう一度乗るようなことをせずに生きようと、そう強く誓った。
終
彼岸列車 星野 ラベンダー @starlitlavender
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