7.

 僕はカメラを下ろす。彼女に微笑みかけると、小さくため息をついた。彼女の笑顔がどうしようもなくうれしい。だから、それが今日で終わってしまうのがどうしようもなく悲しかった。

 岩場からおりてきた彼女が、上手く撮れただろうかと聞く。僕は、手にしているカメラが昔のもので、写真の確認がその場で出来ない事を教えた。そういえば、初めてカメラの説明をしたような気がする。

「住所教えてくれへん? 写真できたら送るから」

 前にスマホを持っていないと聞いたので、せめて住所だけでもと思った。彼女は少し眉を曇らせる。

「何か、書くものある?」

 シャーペンは持っていたがメモがなく、財布に入れていたレシートの裏に住所を書いてもらった。それを大事にしまいこむと、僕らは岩場をあとにした。

 その日は時間が流れるのが早かった。何もできないまま、日は陰り人影はなくなり夜が訪れる。時計を見ると七時を回っていた。

 二人で砂浜に立ち、ただ海を見ている。複雑な音色を単調に繰り返す波は、二人を周りの世界から切り離してくれる。このままずっとこうしていられそうなのに、周りの世界は勝手に進んでいく。暗さが闇に変わる頃、彼女は僕の手を強く握った。

「……もう、帰らないと」

 意を決したような彼女の声に、僕はうなずくしかない。駅に向かう一歩一歩が重い。

「冬休みはこっちに来る?」

 ホームに入る前、僕はそう聞いた。再開を期待できなければ、別れることができそうになかった。彼女は困ったような顔で小さくうなずく。

 発車を告げるアナウンスが流れ、彼女は僕を促す。ホームに駆け上がり、一度振り返ると彼女の笑顔を確かめる。駅員の笛にせかされて、電車に飛び込む。

 涙があふれそうなのに気付いて目をおさえる。心が悲しさを感じるよりも早く、体が寂しさに反応していた。

 大阪に帰る日、朝から機嫌が悪かった。病院に寄り祖母の見舞いを済ませる。新幹線の駅の前で、何かのチラシを配っていた。行方不明者の情報提供を呼びかけているらしい。母の話によると、十年程前に行方不明になった人がいたらしい。

 新幹線の車内、妹のヘッドホンからもれる音を聞きながら、外を見つめる。緑色をにじませる新幹線の車窓。彼女への想いを整理するための余裕を、止まることなく流れる景色が与えてくれるはずもない。

 かすかな期待が、寂しさを引き立てるアクセントとなっていた。また会える、そんなことに一体どんな意味があるのだろうか。




 再び訪れた田舎は、相変わらずだった。僕はカメラを持って海岸に向かう。

 あの夏に撮った写真は、顧問の先生が現像してくれた。だから最初は、その作業で何らかのミスがあったのかと思った。僕の撮ってきた写真は、ただの風景写真になっていたのだ。

 彼女が写っているのはたったの一枚、最後に撮った写真だけだった。背景はちゃんと写っているのだ、ピンぼけとか撮影上のミスというわけでもなさそうだった。何枚かあった二人で撮った写真も、彼女だけが写っていない。もっともクラブの連中には、写っていないということよりも、写っている女の子への興味の方が強かった。

 僕も、送ったはずの写真が宛て先不明で舞い戻ってきたことへのショックが強く、なぜ写真に写らなかったのかを考えるのもやめてしまった。それが失恋なのかどうかはわからないが、悲しい虚脱感はしばらく抜けなかった。

 そんなことがあって、写真は部屋の奥にしまいこんでいた。それがたまたま出てきたので、一度田舎の海岸を訪ねてみようと思ったのだ。もっとも、大学に入ってしばらくはバタバタしていたため、夏休みになってようやくここに来ることができた。

 僕は海岸の店でカキ氷を買い、頭をおさえながら口に運ぶ。空も海も砂浜も、この店も遊ぶ子供も、前に見たのと同じような気がする。隣に彼女がいないと思っていることに気付き苦笑する。やっぱりあれは失恋だった。

 でも、もう悲しくはない。今考えれば、彼女が好きだったのか、彼女を好きな自分に舞い上がっていたのかよく分からない。それでも、誰かを好きでいたこと、それに応えてくれる人がいたことは、僕にとって小さな淡い誇りなのだ。だったらそれはやっぱり「いい思い出」ってやつなのだろう。

 僕は最後の写真を撮った岩場に向かう。見ると、年配の女の人が一人、危なっかしい足取りで岩場に上っていた。花束を供え手をあわせている。不思議に思って、下りてきた女の人に訳を聞く。

 三年前のこの日、ここで女の子の遺体が見つかったそうだ。十年前に行方不明になり、その時は手掛かり一つ見つからなかったにもかかわらず、突然見つかったらしい。どうやら転落事故で、入り組んだ岩場の奥にひっかかって見つからなかったようだ。この人の孫が偶然その子の遺体を見つけたそうだ。

 何か引っかかるものがあり尋ねてみた。

「その子、なんて名前ですか?」

 帰っていく女の人に会釈し、僕は岩場を見つめた。

 三年前の今日は僕が大阪に帰った日で、その日に彼女も帰ると言っていた。転落事故があった十年前、その子は七歳だったそうだ。横浜から、ここの母方の実家に遊びに来ていたらしい。

 その女の子の名前が、頭の中で響き続けている。僕は持ってきたカメラを構えた。世界が一瞬静止する。僕は真っ青な背景の前に、彼女の白い揺らめきと、うれしそうで楽しそうで、幸せな笑顔を見る。

「……まさかな」

 シャッターを切ってそうつぶやく。最高の一枚が、もう一度撮れたような気がした。

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