#10

 シャドウタウンの春は遅い。だがいずれ訪れる。寒さは和らぎ温かな日差しが氷を溶かし、雪解けの水たまりに青空が映る。


 三田村の建てた病院が爆発してからというもの、この辺りの人通りはほとんどなかった。しかしその跡地には新町長主導の下、新しい病院が建てられた。新築の壁には「ネビュラタウン独立記念式典」と書かれた横断幕が掲げられている。病院の前の広場には、シャドウタウン改めネビュラタウンの住人だけでなく、ネオンシティの報道陣も多数詰めかけていた。活気に満ちあふれた群衆は式典が始まるのを今か今かと待っている。


 そんな中、帽子を目深にかぶり「報道班」の腕章をつけた長身の男は、少し笑って人混みからそっと離れた。その男――霧島の行動に気を留める者はいない。待ち合わせ場所として指定されたのは病院から少し離れた廃ビルだ。いつ倒壊してもおかしくないこの建物も、いずれ取り壊されるだろう。


 霧島がポケットに右手を入れたまま三階まで上がると、中年の男が振り返った。顔に傷のあるその男は霧島の腕章に眉をひそめる。


「俺がシャドウだ」


 霧島が左手を挙げると、男は納得したようにうなずいた。


「なるほど。報道陣なら未公開の情報も手に入るわけだ」


 霧島は薄く笑みを浮かべたまま答えない。男はそれを是と捉えたらしく、麻袋を投げてよこした。「約束の報酬だ」


 左手で掴んだその中には多数の貨幣が入っていた。霧島はそれをポケットに入れ、ゆっくりと男に近づいた。何も知らない男はにやりと笑みを浮かべる。


「式典が始まったら攻撃を開始する。屋上から一緒に見るのはどうだ。李だけじゃない。これだけシティの人間が集まる機会なんて滅多にない。ついでにタウンの人間もたくさんいる。儲かるぞ」


 舌なめずりをして愉悦にひたる男に対し、霧島は淡々と告げる。「それは無理だな」


 疑念を抱かせる間もなく、霧島は隠し持っていたナイフを引き抜いて飛びかかる。躊躇うこともなく首を搔き切ると、汚れた床や壁に鮮血が飛び散った。


「おまえの部下は俺が全て始末した」


 床に転がった相手を見下ろすと、男は顔を歪めた。


「ひ、卑怯者」

「ああそうだ。おまえたちも、俺も」


 霧島がとどめを刺すと、男は呆気なく事切れた。血で汚れた上着をその場に脱ぎ捨てたが、寒さはそれほど感じない。


「寄り道してもいいか」


 霧島が尋ねると、耳元からは憎らしい声が返ってくる。


『早く撤退するぞ。ふらふらしてるおまえとは違って、俺はヒマじゃないんでね』


 回復したグエンは正式に李の部下となり、諜報活動に従事している。相当業務量が多いらしく、いつも「クソ女」と愚痴をこぼしていた。


「いや、通信は切ってもらっても構わない。大した用じゃないんだ」

『好きにしろ』


 霧島が階段を上る間、グエンは何も言わなかった。屋上に繋がる扉は鍵がかかっていたが、錆びついた鍵は少し力を入れると簡単に割れた。扉を開くと一気に新鮮な春の風が吹きつけてくる。霧島は端まで歩き、錆びた手すりに体重をかけないようにしながら下を見た。


 広場の中央に座っているのは、三田村の悪事を暴き市長選で圧勝した李だ。壇上で話している新生ネビュラタウンの町長は李の信頼のおける人物で、カイを引き取ったと聞いている。会場を見渡すと、マイクを持って移動しているカイの姿が見えた。彼の誤解は解かれたものの、霧島は死んだことになっているため接触することはできない。しかしあの真面目な働きぶりを見れば、霧島の助けなど必要ないだろう。


『終わったな』


 ぽつりとこぼしたグエンの言葉に、霧島は顔に風を受けながら答える。


「いや、これからだ」

『それもそうか』


 グエンは耳元で密やかに笑う。


 風が強く吹き、霧島の足元に何かが落ちてきた。拾い上げたそれは薄桃色の花びらだ。この辺りでは植物はほとんど育たない。ネオンシティの山間部から遠く飛ばされてきたのだろう。北の方の薄赤く染まった山を見ながらこの半年間のことを思い出す。


 広場では挨拶を終えた町長に拍手が送られている。続いてマイクを受け取ったのは李だ。聴衆の視線を一身に受けた彼女は威厳に満ちた表情で口を開いた。


「本日、この記念すべき春の日に、お集まりいただき……」


 指を離すと花弁は李の声とともに舞い上がる。霧島はその行く末を見届けることなく広場に背を向け、薄暗い階段を下りて行った。


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ネオン・シャドウ 藍﨑藍 @ravenclaw

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