#9

 霧島と李は、医師や看護師たちが診察や処置を手早く進めていくのを黙って見ていた。部屋に三人だけが残されると、李はすぐさま口火を切った。


「十年経っても相変わらず口は悪いのね」

「性格は……おまえより、はるかにマシだ」

「おい、無理するなよ」


 当然傷が痛むのだろう。グエンは相当つらそうな表情を浮かべている。グエンに喋らせるのは得策ではないと考え、霧島は李に顔を向けた。


「グエンとはどこで知り合ったんだ」


 すると李は意外そうに目を見開き、芝居かかったように首をすくめた。


「グエン、昔のこと言ってないの」


 グエンが反論しそうなのを感じ取り、霧島は早口で答える。


「こいつが諜報員だったってことは知っている。あんたもそうなのか」

「彼らは情報を集める部署。私たちは情報の使い方を考える部署。言ってしまえばお隣さんね」

「クソ……が」

「怪我人は口を慎みなさい。でも私たちは大人。お互い全部水に流しましょう」


 李は「断れば突き出す」と暗に圧をかけているのだ。国を裏切った罪は大きい。グエンは苦々しく顔をしかめているが、その頭の中では葛藤が渦巻いていることだろう。


 シャドウタウンの住人に自由を与えると言いながら、階層から切り捨てる算段の李。タウン救済をうたいながら己の利益のみを追求する三田村。そのどちらにつくべきか。


 病院に手を出したせいで、虐殺を繰り返す三田村には完全に敵視されている。不本意ではあるものの、どちらにつくかは明確だ。グエンにかわり、霧島は手を挙げた。


「具体的にはどうする」


 李は滑らかに計画を説明した。シャドウタウンに潜入していた、とあるネオンシティの記者が三田村の行いを公表するというものだ。もちろんのこと、そんな記者は存在しない。存在しない人間をあたかも存在しているように見せかけるのだ。


 三田村たちはすでにあらゆる証拠を隠滅しているだろうが、グエンは全てバックアップを取っていた。グエンにしか開けることのできないそれは、確実な証拠になるだろう。


 その件に無関係な李は徹底的に三田村を追求する。いや、李が追求せずとも、市民の心は三田村から離れていくだろう。たとえ真実がどうであれ、報道されるとそれが真実として扱われるからだ。霧島がテロの首謀者とされたように。


「タウンを切り離した後はどうする。放置か」

「あらひどい。自分たちの未来を自分たちで決める力を与える、と言っているのよ」

「そんなに上手く、いくわけがない」


 グエンは嘲るように笑おうとしているらしい。苦痛で顔を歪めたグエンを見て李はため息をつく。


「あなたたち二人にはたくさん働いてもらうつもりよ。あと、そうね、グエンなら人を一人消すくらいのこと訳ないでしょう」


 李は霧島の方をちらりと見る。


「奇遇だな。俺もグエンに頼もうかと思っていた」


 李と霧島の視線を受け、グエンは苦しそうに眉をひそめる。


「俺に、霧島を殺せと?」

「本当に死ぬわけじゃないわ。ただ、死んだように見せかけるだけ」


 霧島誠司は爆破事件の濡れ衣を着せられた被害者であり、失意の中で息絶えた。この劇的なストーリーこそ市民が三田村への批判を強くし、李の求心力を強めるものとなるだろう。そして捜査当局も死人を追うことはできず、事件は幕を下ろすことになる。


 霧島がそう説いたものの、グエンはうなずかなかった。


「そんな必要、ないだろ」


 荒い息の中で霧島を睨むグエンの目は鋭く、それでいて悲しげでどこか懇願するようでもあった。霧島はグエンを安心させるようにぎこちなくほほ笑んだ。


「俺はこれまでに二度死んだ。三度死ぬのも変わらない」


 最初は空襲。次は下水管に飛び込んだとき。劣悪な環境であろうと、シャドウタウンは霧島の育った場所だ。タウンやシャドウを守るため、名前を捨てて死ぬことくらい大した話ではない。


「死に方も生き方も、俺が決める。他の誰にも邪魔はさせない」


 グエンが何かを呟いたが、酸素マスクでこもっており上手く聞き取ることはできなかった。


「死んだ俺は亡霊としてタウンに取りつくわけだ」


 霧島の言葉に李は笑ってうなずく。


「政治とは汚れ仕事そのものよ。あらゆるものに境界を引く。生きた人間には越えられない線もある。でも、死んだ人間なら自由に行き来できる」


 霧島が腕を組んで考えていると、病室の扉が開いて李の秘書が飛びこんできた。


「市長が話したいことがあると連絡が」

「すぐに行くわ」


 廊下に出た李を追いかけて呼び止める。


「行動は早い方がいいよな」

「ええ。選挙はまだ先だけど、仕事は多いわよ」

「じゃあ俺は一度タウンに戻る。グエンはしばらく動けないだろう。あいつに聞いて必要な準備を進める。李のボディガードをグエンにつけてくれ」


 うなずいた李はぽんと霧島の背を叩いて見上げた。改めて見下ろすと、李がとても小柄だったことに気がつく。いつも堂々と背筋を伸ばしているため、大きく見えていただけらしい。


「任せたわよ」


 出口に向かった李と秘書に背を向け、霧島は元来た道を早足で歩く。消えていた照明はすぐさま点灯した。霧島と李の歩く明るい廊下は長くまっすぐに続いている。

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