#8
武器になりうるものを全て取り上げられた霧島は、捜査員たちに銃口を向けられヘリコプターに乗りこんだ。北西部の山を越え、辿り着いたのは山中の小さな施設だった。この辺りはとても静かだ。シャドウタウンの危険な緊張もなく、ネオンシティ中心部の繁華街のような賑わいもない。機械の駆動する周期的な音だけが流れていた。
「この病院では人体実験なんてやっていないんだろうな」
緊急手術を受けたグエンは一命を取りとめ、今は酸素マスクをつけたまま昏々と眠っている。腕に繋がれた点滴やチューブを見ると、シャドウタウンの公立病院で見た光景が思い浮かんだ。
「安心して。三田村の息はかかっていないわ。ここでいつも世話になっている私が言うのだから間違いない」
李はため息を吐き出し、額を手で押さえる。
「過激なことをしている自覚はある。何度も命を狙われているのよ」
霧島のもとへやってきた武装隊は捜査員などではなく、彼女が私費で雇うボディガードだという。李が彼らに席を外すように指示したため、病室にいるのは眠っているグエンを除けば李と霧島だけだ。
霧島はベッド脇に置かれた丸椅子から立ち上がって窓際に近づいた。窓からは昼のように明るいネオンシティと、濃い闇に包まれたれたシャドウタウンの両方が見える。
現状、ネオンシティの市長選は三田村の再選が有力視されている。東部や南部はとりわけ富裕層が多い。三田村は表向きシャドウタウン救済と支援の拡充を訴えてそれらの層を取り込んでいた。
対するシティの北部や西部は李の地盤と言える。貧民街と隣接している西部の人間は、連日のように起こるシャドウによる犯罪に頭を悩ませていた。
そういった地域の人間にとって、シャドウタウンをネオンシティから切り離し独立させるという李の政策は魅力的に感じられるだろう。完全に別の都市になってしまえば許可なく立ち入ることは禁止される。明確に線引きすることで自分たちの安全が確保されるのであれば、その方が望ましいのは当然だ。
だが人権意識の高い人間や切り離される側のシャドウからすれば、李の案は到底受け入れられるものではない。さらに今回の騒動だ。三田村は自らの行いを帳消しにするどころか爆破事件を利用し票の獲得に繋げようとしている。
「あなたと取引したのは三田村を確実に潰すためよ」
李が長い前髪をかき上げると額の傷跡が見えた。彼女はそれを隠そうともせず、頭を振って髪を整える。
「三田村の悪事は以前から知っていた。これまで多くの協力者を送りこんできたけれど、一人残らず姿を消した。でも今回は違う。当局は躍起になってあなたを追っている。追っているということは、消し損ねたということ」
「ずいぶんはっきり言うんだな」
霧島はグエンの枕元の椅子に腰を下ろして李と対峙した。
「お互い腹を割って話しましょ」
「よく言うよ、グエンを人質に取ったくせに」
汚いやり口はシャドウの強盗もネオンシティの政治家も何一つ変わらない。己の欲望のためなら他人をも利用するやり方は、霧島の最も嫌いな方法だ。
しかし友人を助けるためにはこの方法しかなかった。己の矜持と友人の命を天秤にかけ、霧島は迷うことなく後者を選んだ。
「ええ、あなたならうなずいてくれると思っていたわ。あなたがシャドウの少年――カイ君、だったかしら。彼に目をかけていると聞いて確信した。あなたは弱い人間。大義のために身近な人を手にかけられない、弱くて愚かな人間だと」
「カイを騙したのか」
カイに父親の件を吹きこんだのは誰か。状況から考えると李ということになる。だがカイは李を見て驚愕の表情を浮かべていた。
「あの男が迎えに来てくれるとでも勘違いしたのね」
可哀想に、と首を横に振った李の表情からは一切の哀れみが感じられなかった。人間ではなくモノを見るようなその冷たさに鳥肌が立つ。
「母親を亡くして悲しみに暮れる少年に、父親に会わせてあげると言ったら疑いもせずついてきたわ。代わりにあなたの居場所を教えてくれるように頼んだ。最初は彼も渋っていたわ。だから報道通り、あなたが首謀者と伝えたの。そうしたら顔色を変えて情報を流してくれた。まさかこんな凶行に及ぶほど愚かだとは思わなかったけど」「反吐が出る」
霧島がそう吐き捨てると、李は上品にほほ笑んだ。
「勝つためなら何でもするわ。現状を打破するジョーカーを握っているのはあなた。だから三田村たちがあなたを消すより前に、私はあなたに接触する必要があった。それだけのこと」
「カイが俺と繋がっていることも知っていたんだな。……店主か」
霧島がカイと接触したことを知っているのは霧島とグエンにカイ、そして飲み屋のマスターだ。
「彼は自分の仕事をしただけのことよ」
店主はカイを李に売った。カイは母親を救えなかった霧島を李に売り、カイに刺されたグエンはシティそのものを国に売った。巡り巡る情報のやり取りは因果のようでもある。
「罪もない子供を利用して心は痛まないのか」
「人聞きの悪い。階段を踏み外して転落したあの子も、今は適切な治療を受けているわ」
李は微笑を崩さない。彼女がカイを騙したことも、カイがグエンを刺したことも、全てなかったことにするつもりらしい。カイの将来を考え、犯した罪に目をつぶると李は言っているのだ。非常に不愉快なことに、霧島は黙ってそれを受け入れることしかできない。
「私は必要とあらば家族でも手にかけられる。でもあなたはそうじゃない」
霧島は李から視線をそらし、眠っているグエンに目を落とす。
「霧島誠司は極悪非道な人物や、見ず知らずの職員は躊躇なく殺せる。でも身近な人を見捨てたり疑ったりすることができない。その判断基準は何だと思う」
霧島はその答えを知っていたが、せめてもの李への反抗として答えなかった。認めたくなかったため答えなかったと言ってもいい。
「自分にとって大切かどうかの違いよ。こんなに利己的なことってあるかしら」
図星をつかれた霧島は舌打ちをする。
「人間っていうのはね、自分の目に見えるものしか本当に大切にできない生き物なのよ。人権家があなたたちを擁護するのは、自分の主義主張を守るためと言い換えれば良いかしら」
「おまえが三田村の悪行を暴こうとしているのは、シャドウを救うためではなく、自身の正義に反するからということか」
「そう思ってもらって結構よ。そのためなら私は手段を選ばない。それにシャドウもいい加減そう呼ばれることに辟易しているでしょう? あなたたちが自由を求めていることも知っている。サポートはするわ。友好関係を築いていきましょう」
李は霧島に右手を差し出した。
霧島はシャドウタウンを守りたい。李は自身の正義を貫き、市長選に勝利してシャドウタウンを独立させる。残念なことに、霧島と李は目先の目標は一致していた。
霧島がその手を握り返そうとしたところ、横から弱々しい声が上がった。
「このクソ、女……に、騙され、るな」
驚いて霧島がベッドを見ると、グエンが酸素マスクをくもらせながら顔を歪めている。
「用済みに、なったら、切り捨てられる、だけだ」「グエン、気がついたか」
安堵のあまり大きく息を吐き出すと体中から力が抜ける。
「おまえ、なんて顔……してんだ」
マスクごしでもグエンが柔らかく笑ったのがわかった。
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