『キャラクターの書き分け』について。

押羽たまこ

キャラを知れ。そして、表現しろ。

 私は、漫画家だったとき、漫画家をやめて小説を書きはじめたとき、そしていまに至るまで…ずっと長いこと〈物語〉を創作してきました。ずっと、キャラクターを動かし続けてきて思うのは、ふたつのことだけです。


その①:キャラクターを知れ。

   (あたかも、そこに実在するかのような〈妄想スキル〉を身につける)

その②:表現力を身につけろ。

   (そこで演じているキャラを〈文章〉に乗せて描くスキルを身につける)


 それに尽きると思っています。



          ***



 漫画家デビューして間もない頃…私はまだ物語のなんたるかを知らず、


「ああ…次の作品どうしようかなぁ…なーんにも思いつかないなぁ…」


 と、思いながらも、とにかく、編集さんにプロットを見せなければならなかったので、適当につくって持って行きました。とりあえず、そのプロットにOKが出て、次に〈ネーム〉というものを書いて持っていきました。


 そのときのことは、いまでもはっきりと覚えています。


 適当に私がつくったプロットの〈ネーム〉を食い入るようにじっと見つめ、彼はいいました。


「ここの、このシーンだけどさ…〇〇ちゃんは、ここで、こんなセリフいうかなぁ…〇〇ちゃんはそんな子なのかなぁ…うーん…どうなんだろうねぇ? 〇〇ちゃんは、どういう気持ちで、この時、いるのだろうか…?」


 その、彼の言動は、まるで、〇〇ちゃんが実在の人物で、あたかも彼女から悩み事を相談されたひとででもあるかのように、ああでもない、こうでもないと、彼女に感情移入をして、その物語に入り込んでいたんですね。


 私、そのとき、びっくりしちゃって…。

 そして内心、焦りと、申し訳なさとで「穴が合ったら入りたい!」と思って、ひや汗をいっぱいかいていました。^-^;


(わー!…なんか、すみませんッ! 私、適当につくってしまって…!)


(適当につくったキャラなのに、こんなにわが身を削るように、〇〇ちゃんに感情移入させてしまって…、なんか、はずかしいです…!)


(私より、あなたの方が〇〇ちゃんを知っているなんて…作家として、すっごく恥ずかしいです…!)


(〇〇ちゃんのこと、本当は、私が誰よりも知っていなきゃダメなのに…!)


(あなたのほうが、知っているって、どういうこと…!?笑)


(あああ…すみません、すみません…)


 で—―そのときから、適当につくるのはもうやめようと心に誓った私でした。

 

 物語の中で、キャラクターはんですね。

 まず、誰よりも、作者自身がそう思わなければ、キャラクターは生き生きと物語の中で動いてはくれません。


 適当に、関西弁キャラとか、切れキャラとか、おねだりキャラとか、ひとつ特徴をつければいいというものではない。「ひとつ特徴をつければそれでいいのだ」という先生もいますが、私は反対です。

 キャラが、作家の中で生きていなければ〈生きたセリフ〉は生まれないからです。


 それは、物語の説得力にもつながります。

 すべては、キャラクターの説得力です。


 主人公にかぎらず、すべてのキャラクターが生き生きと物語の中で生きていれば、そこに人間関係がうまれ、敵対したり味方同士になったり、友情が生まれたり、恋愛関係になったり、逆にどんどん溝が深まって最悪の関係になったり…それは、現実世界と同じような現象が起きるということで、物語の世界も広がってゆく…そういうものです。


 私は、うすっぺらいテンプレートな物語より、多少、あらがあっても、その作家ならではのオリジナルのキャラがしゃべるセリフが好きだし、オリジナルの物語のほうが断然好きだし、価値があると思っています。


 ここで、もうひとつ、例をあげてみます。

 以前、私が尊敬する少女漫画家さんとお会いしたときに聞いた彼女のお悩みです。


「いまさー…〇〇君(主人公の相手役)が、私の思いに反して、勝手に動き出してしまって、困ってるんだよねー。『僕はあっちへ行くんだ!』って…どうしても私のいうことを聞かないの…」

「それは、困りましたね…」

「そう…困るのよ…」

「そういう時はどうするんですか?」

「それは、もう、無理やりにでも『こっちへ来ーい!』と手をひっぱって収めるわ」

「わー…それは…精神的につらそうですね…」

「つらいわよ。でも、それが正解なら、多少の強引さは必要なのよ」

「なるほどー…」


 じつは、その時は、まだ、私にはピンとこない話でした。

 キャラクターが勝手に「あっち」へ行っちゃうなんて…どういう現象!?と思っていたので。^-^;


 でも、いま『サクラ・イン・アナザーワールド』という大長編物語を書いていて、〈アレク〉という手に負えないキャラが誕生して、勝手に動き出して、勝手なことを言って、勝手なことをしでかすようになって、いま、その時の先生の気持ちが、ようやく理解できるようになりました。^-^;


(あああ…これかぁー…!)


(これが、『僕はあっちへ行くんだ!』現象かー…!笑)


 …と、ね。


 つまりです。

 そこまで、キャラクターとは作家の中に〈リアル〉に生きているものなのです。


 そして生きていたなら、勝手なことも仕出かすし、「あっち」へも行ってしまう。

 そして、そういうキャラクターたちであるならば、キャラクターたちの書き分けなど、改めて考える必要などなく、ただ、彼らを描くことだけに集中していれば、自然と勝手に描き分けられている。


 そういうものだと、私は思っているのです。



          ***



 ただ、大長編を書く身としては、近い未来に「キャラが枯渇するかもしれない」という不安がないわけではないです。


 ただでさえ、いま、ざっと思い浮かべるだけで12名ほどのキャラクターが登場しており、主人公が〈サクラ〉であることには変わりないけれど…〈人間ドラマ〉もちりばめてあるので、12名、ひとりひとりが、いつでも主人公になれるだけの背景があり人生を背負っています。


 思えば、適当にプロットをつくっていたあの頃、12名のキャラをつくれたかといえば、それはまったく無理な話でした。


 では、当時の私と、いまの私では、いったい何が違うのでしょうか?


その①:自分を知ること。

(当時の私は、自分が何者であるのか、知っているようで曖昧だった。自分が何のためにこの世に生まれ、なにを成すためにここにいるのか? 自分の〈好き〉がぼやけていた)


その②:世の中を知ること。

(当時の私は、世間知らずで、世の中のなんたるかを知らな過ぎた。社会を知り様々な人と出会うと、それがデータとなって自分の中に取り込まれ、様々なキャラを構築できるようになる。すなわち、それが世間を〈知る〉ということ)


 たとえば、私はよく、映画やドラマに出ていたキャラクターを〈パクる〉ということをします。^-^;


「ああ…このキャラ、自分の物語のどこかにいれたいなぁ…」と思ったとする。


 でも、以前の私だったら、そこからキャラを広げることができないので、けっきょくまま、保留にしていたと思います。


 でも、いまは、そのキャラの背景を想像して広げることができます。そこに想像するというプロセスをくわえただけで、既成のキャラも、自分のキャラに大変身をとげますから、それはもうパクリではなく、オリジナルなのですね。ええ、ええ。


 こうして、私は、自分を知ることと、社会を知ることで、様々なキャラをつくれるようになったわけです。(※『つくる』というより『生まれる』という感覚が近い気もしますが…)


 少女漫画家さんの中には、私のように、世間知らずのまま人気作家になって、テングになって自分を見失うひともいるようです。


 私は、そういう意味でも、漫画家をやめて、一度、世間の荒波にもまれたことは、自分の理想の物語をつくるうえで、本当に、大切な経験だったと思っていて…いまも、普通に世の中とつながって生きてることが、創作には必要不可欠なことだと思って、いまも普通に働いているのです。(いや、1日5時間だけどね…)^-^;


 なぜなら、私の物語を読むひとも、普通のひとたちですから、普通の感覚って、本当に大事なんですよね。


 世間で〈米〉が不足していれば、


「なんだよー! 政府の備蓄米は、こういうときに配るんだろーがー」と

みんなと一緒になってブツクサ言う…。


 兵庫県知事がパワハラしてるのに辞職を拒んだときは、


「あのひと、なにー!? いったいどういう神経してるのー?」と、みんなと一緒に怒る。


 そういう感覚を〈パブリック・マインド〉というそうです。


 作家は、〈パブリック・マインド〉と〈オリジナル・マインド〉をバランスよく持っている生き物で、その感覚はエンターテイメントな作品を書く作家には必要なスキルです。


 私が敬愛する作家〈栗本薫〉さんは、生前おっしゃっていました。


「作家の頭の中にはね、〈常識〉と〈非常識〉がつねに共存しているのよ」と。


 一見、ごくごく普通に生活をし、普通に世間の人たちと関わり、常識の中で生きているけれど、頭の中は殺人事件のこと…犯人が人を殺す瞬間のことだったり、ファンタジー小説に登場する怪物のこと…怪物が人を食らっている姿を想像したりして楽しんでいたりする…それが作家なのだと…。


 ええと…。


 なんでしたっけ?^-^;


 話が、それてしまいました。


 ま、つまり、です。


 非常識きわまりないほど、想像力を働かせて、生きたキャラクターを作り出すためには、自分を知り、世間を知り、キャラクターの人生を知ること。


 それが出来たら、キャラクターは「あっちへ行くんだ!」と駄々をこねるほど、生き生きとリアルに動き出し、それは、こちらが「どう描き分ければいいんだろう?」と悩む余地もなく動きまわるということですね。



          ***



 で、肝心なのは、そこからです。


 そういうキャラが生まれたとして、シーンの中で動き回ってくれるのはいいとして、それを今度は、読者に、どうわかるように描くか?


 それは、もう、自身の語彙力を上げる…それに尽きます。


 そのためには、本を読む。

 プロの傑作を、読み続ける。


『 習うより慣れろ 』


 そして書く。

 ひたすら、毎日、書き続ける。


『 継続は力なり 』

 

 それに、尽きると思っています。

 創作に近道はありません。


 それでも、書き続けるうちには、自分なりの流儀ができあがり、我流をつらぬく信念が生まれる…。


 そうして、ある時、キャラクターが「僕はあっちへ行くんだ!」とわがままをいったなら大成功です。*^-^*


 てなことで、また。




 ちゃん、ちゃん♪ 




『サクラ・イン・アナザーワールド』はこちらです。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054891074125

※〈アレク〉という青年は、『第二章、13話、糸杉の森のかげ〈2〉』から登場します。ご参考までに。

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