13|糸杉の森のかげ〈2〉

「バスターズだ、バスターズが追ってきたんだ!」


 はじめに、サクラの頭に浮かんだのは、それだった。


 大破した軍用ボートを見つけ、脱走ルートを想定し、ふもとのほうから登ってきたのかもしれないと。

 バスターズは軍隊だ。彼らが集結して森の捜索にあたれば、脱走した2名のエムズを見つけるなど、造作ぞうさもないことだろうとサクラは思う。


 だが――すぐに、その可能性を否定した。


「ちがう…バスターズじゃない。バスターズだったら、私たちを撃ち殺そうとするはずがない…」

 サクラの脳裏に、モナリザのように微笑むL=6エル・シックスの顔が浮かぶ。


「L=6が命令してるなら、私たちを生け捕りにしたいはず…」

「たしかに、そうだよ」

 ひたいからにじみでる血を、手のひらでぬぐいながら、青ざめた顔でツトムがうなずく。


「僕たち…っていうか、サクラは、L=6の〈アルファ・プロジェクト〉にとって、なによりも大切な存在だからね。命を奪うようなやり方はしないはずさ。それに、もし、これがただの脅しだとしても、こんな危険な脅し方をしてくるはずがないよ」

「うん、私もそう思う」


 では、いったい〈彼ら〉は何者なのか?


 そのとき、またどこかで‘ パァーーン… ’と音がして、山鳥が撃ち落とされた。


「やつらは、そもそも、僕たちを狙ってるわけじゃ、ないんだ…」

「どういうこと?」

「やつらは〈鳥〉を狙ってるんだ…」

「鳥?」

「やつらは〈ハンター〉なんだよ。つまり、この森はハンターたちの森…狩猟の森なんだ」

「狩猟!?」


 思わぬ言葉に、一瞬サクラの頭は混乱したが、いわれてみれば、ツトムの推測は的を射ている。ずっと、何者かに狙われているように感じていたのも、もしかしたらハンターたちの視線だったのかもしれなかった。


 だとしたら――


「私たち…どうしたらいいの?」

「わ、わからないよ…」


 どちらにしたところで、命の危険にさらされていることだけは変わらない。

 夕暮れがせまる深い森の中…サクラとツトムは途方にくれた。



          ***



 ツトムの推測どおり、この森は〈狩猟の森〉だった。


 サクラが渓谷の谷底へけり落とした石が音をたて、それに驚いた山鳥が空へとまいあがり、その気配を感じたハンターたちは、いっせいに狩りをはじめたのだ。


 いまの時期――この北の大陸は初夏の気候だ。〈ノースランド〉では、この時期に合わせ害獣駆除がいじゅうくじょもかねて、各地の森林公園で狩猟が解禁されていた。


 サクラたちがいる糸杉の森も、いま、まさに解禁されたばかりの森で、ハンターたちは「待ってました!」とばかりに意気揚々と森にわけ入り、鳥、イノシシ、鹿、熊など…競うようにハンティングをしていたというわけだった。


 サクラたちは、そうと知らず、森にわけ入ってしまったのだが――この世界のことなど…まして、この地域のことなど、研究施設を脱出してきたばかりのサクラたちにわかろうはずもなかった。


「まって、撃たないでッ! 私たち獣じゃないからッ! 私たち人間だからッ!」


 渓谷の向こう側からライフル銃をむけているであろうハンターたちに、サクラはできるかぎりの大声で叫んで知らせたのだが、そのとたん――以前にも増してあちこちから銃弾をあびせられるはめとなり、サクラは、また、あわてて糸杉の陰にかくれた。


「どうしてッ!? あのひとたち、聞こえてないのッ!?」

「きっと、獣の鳴き声だと思われてるんだ」

「じゃあ、どうすればいいの?」


 途方にくれるサクラに、ツトムはいう。


「しばらく、ここでじっとしてるんだ。そのうち、自分が仕留めた獲物をとりに来るはずだろ? そしたら、説明すればいいよ」

「でも…それっていつ来るの? もし、来なかったら? この森で夜を過ごすことになるの?」

「しょうがないよ。ハンターに撃ち殺されるよりは、いいんじゃないかな?」

「でも…」

 サクラは言葉を切り、鬱葱と生い茂る糸杉の木々をみまわし、


「木のお化けに食い殺されるかも…」

 と、泣きそうな顔でつぶやく。


「まぁ…なくは、ないよね?」

 それへ、ツトムは真顔で肯定した。


「そこは否定しなさいよッ」

「ご、ごめん…」


 と、そのとき――


「ツトム…いまの、聞こえた?」

「え? な、なに?」

「なんか…いる。この茂みのむこう…」


 サクラは、潅木の茂みを指さし、ささやくようにツトムに知らせる。

 耳をすますと――かすかに、茂みのむこうで落ち葉をふみしめる‘ カサ… ’という音がきこえるのだ。


 サクラは〈何者か〉がこちらへ忍びよる気配を感じ、茂みをじっと睨みつつ、かたわらに転がっていた野球のボールほどの石をさぐりあて、握りしめる。


「ハ、ハンターじゃないかな?」

「そんなに早く、来ると思う?」

「じゃあ…熊か、イノシシか…それとも、木のお化け…?」

「かもね…」

 どちらにしても、獣のたぐいだろうとサクラは思った。


 こんな小さな石で殺せるとは思わないが、脅すことはできるはずだ。驚いて逃げてくれれば、それにこしたことはない。


 サクラの心臓が、‘ドキドキ’と激しくゆれはじめた。


 そのとき――


 目のまえの茂みが‘ ガサリッ ’とゆれ、葉を散らしたかと思うと、そのあいだから大きな〈影〉が‘ゆらり’とあらわれ出た!と――同時に、サクラはその影めがけ、思いっきり石を投げつけた!


「あっちいけぇぇぇーーーーーッ!!!」


 直後――‘ ゴン… ’と鈍い音がしたかと思うと、


「痛っっってぇぇぇーーーーッ!!!」


 男が、頭をおさえながら、茂みからまろび出てきたのだ。

 そう――それは人間だった。サクラが仰ぎみるほどの高身長の男だ。


「なんっだよッ、なにすんだよッ!!! 殺す気かッ!?」

「ご、ごめんなさい!」


 まさか、人間があらわれるとは思ってもみなかったサクラは、心底おどろき、目をみひらいたまま固まった。となりのツトムも同様だった。


「わぁ…ひ、ひとだ…」

「本当にごめんなさい! てっきり、熊だと思って…」

「熊だとォ!? 俺のどこが熊に見えるッ!? こんな、完ぺきに美しい俺様をつかまえて…まったく、おまえの目玉はガラス玉かッ!」

「………」

「………」


 本気で「美しい」といっているのか、冗談でいっているのか…そのノリにどうリアクションをとっていいか戸惑い、ふたりは、目をぱちぱちとしばたきつつ、目のまえの《自称イケメン男》を、ただぼーっと仰ぎみることしかできなかった。


 一瞬、ハンターかとも思ったが、その男はライフル銃を持っていなかった。


「あの…」

 おそるおそる話しかけようとするサクラを、男は「黙れッ」と制し、


「いま助けてやるから、黙って見てろ!」

「………」

「………」


 それから男は、首からぶら下げている〈笛〉をくちびるにあて、渓谷の向こう側へ向けて‘ ピーーーッ ’と吹きはじめる。


「……?」

「……?」


 サクラも、ツトムも、男のそばで棒立ちになりながら、その様子をじっと見つめる。


 それは、おそらく〈モールス信号〉のような言葉なのだろう。

‘ピッ’という単音と‘ピーーーッ’とのばす長音を巧みに組み合わせ、言葉にして伝えているようだった。


 男が吹き終わると、今度は遠くはなれた森の中から同じような笛の音がきこえ、それを数回くりかえしたのち、ぴたりと銃声はとまり、森に静寂がおとずれる。


「よし、話はついた」

 男は、サクラたちに向き直り、


「15分だ。15分間だけ、狩りを中断してくれるそうだ。その間にさっさとここを立ち去るんだ。いいな?」

「わ、わかった。あ、ありがと…」


 彼が何者なのかもわからなかったが、自分たちの窮地を救ってくれた恩人であることだけは事実だ。サクラは素直に礼をのべただけだったのだが…。


「ふん。礼をいわれる筋合いはないね」

 なぜか、男は不機嫌そうに眉をしかめ、サクラたちを睨みつける。


「俺は、おまえらを助けたわけじゃねぇ。ハンターのためだ。おまえらが、のこのこと、この森に入ったおかげで、ハンターたちはあやうくおまえらを撃ち殺すところだったんだぞ。人を撃ち殺したなんて、ハンター様にとっては末代までの恥だ」

「ご、ごめんなさい…」

「わかったら、さっさと俺様について来い!」


 そういって男は、足早に歩きはじめる。


 サクラたちは、あわてて男のあとを追った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る