14|糸杉の森のかげ〈3〉
その男の名は〈アレク〉といった。
〈男〉というには、まだ年齢的にも若そうな青年ではあったのだが、ひとを上から見下しているような態度や、世の中を達観し皮肉たっぷりで物をいう態度から、サクラは彼を、どこか、ひねくれた老人のようだと思っていた。
「おまえら、どこから来た?」
サクラには、すぐ「黙れ」というわりに、彼自身はよくしゃべる人間だ。
「ハイキングに来た地元のカップルってわけでもねぇんだろ? その、うす汚れた身なりからすると〈訳あり〉なんだろうな?」
青年は、ふたりを‘ちらり’とふり返り、目を細めて‘にやり’と笑う。
「家出か、駆け落ちか…いや、べつに言わなくていい。知りたくもねぇからな」
(だったら、どうして聞くのよッ…)
サクラは、さっきから、ずっとイライラしながら青年のうしろを歩きつつ、その後頭部をにらみつけている。
自分を「美しい」と表現するだけあって、彼はたしかに整った顔立ちをしており、金髪で、色白で、スタイルもよく、メンズモデルとしてどこかのファッション誌に載っていてもおかしくないような外見ではある。
長めのブロンドヘアを無造作にうしろで束ねているだけでも、どこか垢抜けた雰囲気があり、中身をまったく気にしないうすっぺらな女には、じゅうぶんモテるのだろうとも思う。
だが、それが、なぜかサクラを無性に腹立たしい気持ちにさせており、サクラの中では、すでに要注意人物として黄色いランプが点滅していた。
危機を救ってくれた恩人であることは、じゅうぶんわかっているのだが、自分の中からわきでてくる〈負〉の感情を押さえるのはむずかしかった。
(ホテルにもいたよ…)
(こういう〈負〉のオーラを漂わせている男…)
サクラは、ずっとホテルで、様々なタイプの人たちと接し――年齢も、性別も、人種も、経歴も…ほんとうに多種多様な人たちとかかわってきたせいで、人を見る目はそれなりにあると自負している。
サクラが〈要注意〉とレッテルを貼った男は、たいてい、まわりで
このアレクという男の背中には、きっと、女性たちの怨念がとりついているのだ。だから、こんなにも強烈なマイナスオーラを漂わせているのだと、サクラは勝手に想像し、数メートルさきを歩く彼の背中をにらみつつ、暴れだそうとする自分の気持ちをかろうじておさえこんだ。
(がまん、がまん…)
(どうせこの男とは、すぐ別れるんだから…)
(森を抜けるまでの辛抱だよ…)
サクラは、そう心に言いきかせ、深呼吸をして空をあおいだ。
「じつは…俺はただの〈アレク〉じゃねぇ…」
そしてまた、唐突に、彼は話しはじめる。
「俺のフルネームは〈アレキサンダー・スーパー・トランプ〉だ。生まれたとき、誰も名前をつけてくれなかったんで、しかたなく自分でつけたのさ。でも、それでよかったと思ってる。ヘンにだせぇ名前をつけられるより、こっちのほうが数百倍もかっこいいからな! おまえもそう思うだろ? 世界一かっこいい名前だってさ」
「………」
「だが、ぜったい、フルネームで呼ぶんじゃねぇぞ。フルネームを口にしていい人間は俺が許可した人間だけだ。いまのところ、それは世界でたったひとりしかいねぇ…」
(頼まれても、あんたのフルネームなんか呼ばないわよ…)
サクラは、すかさず心の中でつっこみ、ほほを膨らませ顔をしかめる。
そして、当然、そのあとに彼はこう続けるのだ。
「あ…べつに、おまえらは名乗らなくていい。おまえらが誰だろうと知りたくもねぇからな」
(ああ、そーですかッ…)
だがそれは、有難いといえば有難いことではあった。
「おまえは何者だ」と問い詰められても、正直に「研究施設から脱走してきたエムズ・アルファだ」などと話すわけにもいかず…そうかといって、平気で嘘八百を並べたてられるほど、演技力があるわけでもないし、メンタルが強いわけでもない。
人と出会うたびに、いちいち警戒し、嘘をつき、猜疑心の中で生きるのは、向こうの世界で人を信じ、人のぬくもりや笑顔の中で働いていたサクラにとってはつらく悲しいことだった。
だから、自分が傷つかなくて済むベストな方法は、他人とかかわらないこと――サクラは、そう心に命じていた。
(がまん、がまん…)
(どうせ、この男とは、すぐに別れる…)
(森を抜けたら、もうこの男とはかかわらない…)
(きっと、この男もそのつもりなんだろうし…)
(だから今だけ、がまん、がまん…)
サクラは、そう自分に言いきかせ、心の中に生まれてしまった、どうしようもない〈負〉の感情を、心の奥底へ閉じこめた。
***
「こっちだ…」
青年はとつぜん、細くわかれた脇道へと分けいり「ついて来い」とふたりをうながした。彼は、この森を知り尽くしているかのように、なれた足どりで迷いなく進んでゆく。
「どうして、こっちへ曲がるの?」
サクラは、となりを歩くツトムにささやく。
「たぶん…この道の奥にトロッコがあるんだよ…」
ツトムも、サクラの耳元でささやき返す。
アレクのうしろを歩きながら、彼に聞きとれないほどのヒソヒソ声で、いま、ふたりは会話をしている。彼の耳に入れば「俺を疑うのか? つべこべ言わずに、黙ってついて来ればいいんだ!」と怒鳴られることは目に見えていたからだ。
「トロッコなんて、本当にあると思う?」
「アレクがそういってるんだから…あるんじゃないかな?」
アレクは「運搬用のトロッコがある」といい「それに乗れば
「あの男、信用できると思う?」
「どうかな…」
眉をハの字に曲げながら、ツトムは頼りなさげに首をかたむける。
「たしかに、ちょっと嫌なヤツだけど…でも、僕たちを助けてくれたのは事実だ。僕は、そんなに悪い人じゃないと思うけどな…」
ツトムは、ある意味、純粋な人間だ。
研究施設の人間こそ〈敵〉と認識していたせいで、かたくなに信じることを拒絶していたツトムだったが、基本的には善良な人間だ。
中学時代にいじめにあったときも、深く傷つくまえに逃げ出して、安全な殻の中へ閉じこもっていた彼だ。人間の汚い部分も、ずっと見ないままやり過ごしてきた彼には、人間の〈悪意〉に対する免疫もなければ、警戒心も、猜疑心も、サクラより格段にうすかったのは事実だった。
逆に、脱出のさい、
それが、ツトムの長所でもあり、短所でもあった。
トロッコは、あるのか、ないのか。
もし、これが自分たちをつかまえるための
サクラの中に、緊張がはしる。
なにかあったときのために右手に小石を握りしめ、警戒心を強めながら歩きつづけること10分――
「サクラ見て、トロッコだ!」
ツトムが指さす先に、それはあった。
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