15|糸杉の森のかげ〈4〉

 細い道のさきに、トロッコはあった。


 茶色く錆びついたレールの上に、冒険映画に出てくるような直方体の鉄の箱がひとつ、積木つみきのおもちゃのように置いてある。


 近くには山小屋ふうの〈詰め所〉があり、その周辺に、切り出された大小さまざまな石が無造作に積み上げられていた。


「本当は、このトロッコは人間用じゃねぇんだ」

 アレクはそういいつつ、トロッコのほうに近づいてゆく。


「地元の砕石業者さいせきぎょうしゃが石を運ぶためにつくった無人トロッコなんだが…俺は、やつらに顔が利くからな。〈山菜〉をとりにきたときは、このトロッコを利用させてもらってるのさ」


 アレクは自慢げにそういい、サクラたちを「トロッコに乗れ」とうながし、「ふもとの管理人へ連絡をつける」といって〈詰め所〉のほうへ歩いていった。


「ねぇ、ツトム…あの人いま、山菜をとりにきたって言った?」

「ああ…」


 ふたりは、たたみ一畳ほどのスペースの〈箱〉に乗りこみ、砕石の粉で白くざらざらとしている床に所在なさげに座りこむ。


「あの人、いったい何者なの?」

「さあ、ね…」


 ツトムは、彼が何者なのかということより、トロッコの仕組みのほうに興味があるらしく、まわりをきょろきょろと見回しはじめる、と…。


「あれ? これって山菜かな?」


 トロッコの片隅――ツトムの真横に、彼が背負うバックパックよりはふたまわりほど大きな竹籠がひとつ、麻布がかぶせられた状態で置かれており、ツトムは、なにげなくその布をいで中身をのぞいた、と――とたん、ツトムの目の色が変わる。


「あああああああッ…こ、これはッ…!?」


 その竹籠の中に、ぎっしりと詰めこまれていたのは…。


「ス、スカンクキャベツじゃないかぁぁぁーーーーーーッ…!?」


 嬉々としたツトムの裏声が、糸杉の森に響きわたり、当然サクラは、条件反射的に自分の鼻をつまんだのだったが――この瞬間から、サクラにとって、まるで予想もしていなかった事態がおきる。


 サクラ、ツトム、アレク――この3人の関係性が激変したのだ。



          ***



「おまえ、スカンクキャベツ、好きなのか?」


 目を輝かせるツトムに気をよくしたアレクは「俺も大好物だ」といい、スカンクキャベツの薀蓄うんちくを、とくとくと並べ立てはじめた。


 アレク曰く、


「そもそも野生のスカンクキャベツは匂いなんかしねぇ」

「火を通すことで旨みと臭みが、絶妙な割合で香ってくるんだ」

「知ってるか? つうが好むのは炭火で焼いた『焼きスカンク』だ」

「ピクルスしか食ったことがないなんて…まったく、ど素人もいいとこだぜ」


 ツトム曰く、


「すごいやッ。きみは、スカンクキャベツのこと、なんでも知ってるんだねッ」

「僕は、ピクルスしか食べたことないけどさ。この世にスカンクキャベツしかなくても生きられるぐらい、僕は本当に大好きなんだッ。きみも、そうなんだろ? 僕たちは〈スカンク仲間〉だねッ」

「焼きスカンク…ああ…食べてみたいなぁ…」


 それからというもの――ツトムはすっかりアレクを気に入り、さながら崇拝するロックスターを見つめる少年のように目をうるませた。

 そのながれで「俺の靴をなめろ」と命令されたなら「はい、ご主人様」といって舐めてしまいそうなほどの勢いだ。


「おまえ、そんなに好きなのか? だったら今度、俺の店に来るといい。『焼きスカンク』を食わせてやるよ」

「み、店?」

「ああ、俺はレストランの料理人だからな」

「りょ、料理人ッ!?」


 ツトムが単純なのか、はたまたアレクという男の話術がけているのか…どちらにしても、ツトムはすっかり〈アレク教〉の信者となり果て、サクラはトロッコにゆられながら、ため息まじりでその様子をながめていた。


(ツトム…)


(きみ、さっきまでこの男のこと…)


(‘嫌なヤツ’って言ってなかったっけ…?)


 だが――ツトムをとがめるのは筋違いというものだろう。


 こちらの世界へ来て(おそらく)はじめて、趣味が合う〈友達〉をみつけたのだ。それはさぞかし嬉しい出来事にちがいないと、サクラも思う。


 中学時代から心を閉ざし、ずっとひとりぼっちで生きてきたツトムが、他人に心をひらき、きらきらと目を輝かせて嬉しそうにしている姿は、サクラにとっても嬉しい出来事ではあったのだから。


 ただ――サクラの心情は複雑だった。


 すぐにでも縁を切りたいと思っている〈マイナス・オーラ男〉と、これがきっかけでつながってしまうかもしれないという、一抹の不安がサクラの頭をよぎる。


 そして、その予感は的中する。



          ***



 トロッコはものの20分で、無事ふもとへたどり着き、駐車場で荷物をバンに詰めこみながら、アレクはいった。


「おまえら、これからどうするつもりだ? よかったら、俺の車に乗ってくか? 〈ポートヘルム〉までなら乗せてやってもいいぞ」


 その背中へ、サクラは、断る気まんまんで言葉をなげようとしたのだが、サクラの後からツトムの声が秒速でとんでくる。


「もちろん、乗せてってもらうよ! 僕たちも、ちょうど〈ポートヘルム〉に行くところだったんだ。ありがたいや」

「ま、待って…ちょっと…!」


 引きとめようとするサクラの手をふりきり、ツトムは弾む足どりでそそくさとバンに乗り込んでしまった。


「あ……」


 途方にくれ、ひとり駐車場にたたずむサクラを、アレクは見透かしたように意地の悪い視線をなげ‘にやり’と笑った。


「どうした? 乗らないのか? おまえの気持ちは察しがついてるぞ…」

「……?」


 すべての荷物を積み終わったアレクは、数メートル離れたサクラのところまで歩いてくると、


「おまえは、俺のことが気に食わないんだ。ここで縁を切りたいと思ってる。そうだろ?」

 そういってアレクは、190cmセンチの長身をくの字に曲げ、サクラの顔を上から覗き込むようにして、目をほそめた。


「だが――ここは素直に流れに身をまかせたほうがいいと思うぜ? なぜなら、おまえは、いま、倒れそうなほど体調が悪いからさ」

「え?」

 サクラは、思わぬ言葉にドキリとし、目の前の大男を仰ぎ見る。


「おまえらのことなんか知りたくもない」と言いながら、自分たちを細かく観察していた、この男の洞察のするどさに、思わずサクラはうろたえたのだ。


「おまえのは気づいてないみたいだがな。その足取り、その顔色…ずっと頭がふらふらするんだろ? おまえは、ただの疲労だと思ってるかもしれないが、その症状は〈風土病〉だ」


「風土病?」

「そう――免疫のない旅行者がかかる病気さ。おまえのその右腕に浮かんでる黒いシミが、その証拠だ」

「…え?」


 見ると――サクラの右手の付根からひじにかけて、黒いホクロのようなシミが、5~6個、星座のように浮かんでいた。


(い、いつの間に…)


「この土地に馴染みのない旅行者はときどきかかる病気さ。きっと、おまえの体質と土地の風土が合わないんだろうな。つまり、相性が悪いってことだ。いまの俺とおまえのようにな…」

「………」

 なにもかも、すべてお見通しだというように、アレクはサクラへ視線を落とす。


(風土病…)


 サクラの頭の中に、ネガティブな言葉が浮かぶ。


『 死・哀悼・絶望 』


 糸杉の森のざわめきが、風にのって聞こえてくるようだった。


「ま、べつに、死ぬ病気じゃねぇが…ここからポートヘルムまでは20km以上ある。歩きたいなら止めはしないが…途中でぶっ倒れても、まわりに民家もなければ病院もない。に迷惑かけたくなかったら、とっとと車に乗ったほうがいいと思うぜ」


 大男アレクは、小柄なサクラに覆いかぶさるように体を密着させ、悪魔が魂の取引をするときの甘い誘惑のように耳元でささやいた。


「俺なら、そうする…」

「………」

 その誘いに乗ってはいけないと、サクラの第六感が知らせた。


 だが――


「それに、俺なら、今夜泊まる宿も手配できる。じつは、俺が働いてる店はホテルの中にあるレストランなんだ」

「ホテル…?」


 偶然か、あるいは悪魔の罠か――アレクの口からその名をきいた瞬間、サクラは誘惑をねのける術をうしなった。


「そう――この港町で、いちばん有名な3つ星ホテル『シーサイド・パレスホテル』さ。俺は、そこの料理人だ」

「シーサイド・パレスホテル…!?」


 そのホテルは、偶然にも、サクラたちが探そうとしている人物…マナーズ博士の〈友達〉が滞在しているホテルの名前だったのだ。




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