16|スフィア=球体

 シーサイド・パレスホテル――


 そのホテルに人物を探すことが、この旅の第一目的だったサクラたちは、アレクの誘いを受け入れ、ホテルまで、彼の車に便乗させてもらうこととなった。


 その道中、ツトムはそのラッキーを興奮気味でしゃべりつづけた。


「やっぱり、僕たちには幸運の神様がついてるんだね。まさか、こんなに早く目的の場所を見つけられるなんて。しかも、宿まで手配してくれて、しかも、社員割りの半額だなんてさ。

 僕たちは、本当にラッキーだ。アレクには、どれだけ感謝してもし足りないぐらいだよ。もしかしたら、アレクは幸運を運ぶ天使かもしれないね!」


「そ、そうだね…」

 あいかわらずサクラの心情は複雑だったが、ツトムの言うとおり、感謝してもし足りないほど、親切にしてくれているのは事実だった。


 相手がどんなに相性の悪い人間でも、親切にしてくれた人に対して、お礼を言うのは人としてあたりまえで、それを無視することはサクラの信条に反することだ。


 親切にしてもらったら『 ありがとう 』

 まちがったことをしたら『 ごめんなさい 』


 それが、人間が集団で生きてゆくうえで、最低限のルール。

 これを無視したら、向こうの世界のトモヒロに怒られる。


『 咲良さくら、俺はおまえを信じてるぞ。がんばれ… 』


(うん、がんばる…)


 サクラは、勇気をふりしぼって言葉をつむぐ。


「まぁ、その…彼のいうとおり、いろいろ親切にしてくれて…私からも、お礼をいうわね。ほんと、す、す、す、すごく感謝してるッ。ほ、ほんとよ? ぜったい、嘘なんかじゃないからッ…」


 サクラにしてみたら、前代未聞の、人生でワーストスリーに入るほどの出来そこないのお礼だったが、言えただけでもその勇気をホメるべきだろう。


 なぜなら「心にもない言葉なんか聞きたくもないね!」という怒号が、いつとんでくるかわからない、びくびくしながらの覚悟ある言葉だったのだから。


 だが――予想に反して、アレクは「どういたしまして!」と、なぜか上機嫌で言葉を返し、サクラは、その真逆のリアクションにびっくりして‘ぱちぱち’とまばたきをくりかえした。


(な、なんなの? 急に機嫌がよくなっちゃって…)


 アレク曰く。


「‘親切はひとのためならず’っていうからな。ほどこしは巡りめぐって自分に返ってくる。つまり、いつか俺にも幸運が巡ってくるってことだ。そうだろ? 感謝したいのは俺のほうさ」


「そうだね、きっとそうなるよ。近い未来に、アレクにもラッキーはおとずれる。ぜったいだッ」

 ツトムは、初めてできた〈友達〉のラッキーを本気で願った。


「ああ、ぜったいな…」

 そういって、アレクは、運転席でハンドルを握りながら口笛を吹きはじめる。


 それから、後部座席にすわるサクラとツトムを、バックミラー越しに‘ちらり’と見て、また、前方のアスファルトの道に視線を移す――と、つぎの瞬間だった。


 その目が、すぅーっと細められたかと思うと、口笛がやみ、その口元が三日月型ににゆがんでいったのだ。片方の口角が‘きゅっ’と吊りあげられ、サクラたちに見えないところで黒いほほえみに変わる。


「………」

 それは、彼の中に、なにか良からぬ〈企み〉があることを物語っていた。


 そう――彼には、ひとつの〈企み〉があった。


 昼間――サクラたちが、命からがら岸壁へ降り立ったとき、遠くの崖から双眼鏡でサクラたちを観察していた謎の男は〈アレク〉だったのだ。


 サクラの第六感は正しかった。

 彼は、まごうことなき〈要注意人物〉だったのである。


 だが――それをサクラに知らせる者は、どこにもいない。


 相棒のツトムは、すっかり彼のとりことなりはて、サクラだけが抱く不信感は、アレクがくりだす「まがい物の善意」の中へと埋めこまれ、飲みこまれてゆく。


 こうして、アレクの黒い企みは、着々と水面下で遂行されていった。


 サクラ、ツトム、アレクの3人が乗るバンは、それぞれの運命を乗せて、海沿いの道を〈シーサイド・パレスホテル〉へ向けてひた走る。



          ***



 ほどなくして――サクラは、不思議な光景を目撃する。


「あれは、なに?」


 ぼんやりと、窓の外をながめていたときだ。


 ツトムはすっかり安心して、サクラの横で‘スヤスヤ’と寝息をたてており、その言葉にも目を覚ます気配はなかったが――夕日に染まる砂浜が延々とつづく、そのずっと先のほうに、小さく見えてきたものがあり、思わず声を発した。


「あれは、なんかのオブジェ…?」

「ああ…あれは〈ホワイト・スフィア〉だ」


 運転席から、アレクが答える。


「スフィア教の慰霊碑さ」

「慰霊碑?」


 それは、真っ白な球体のオブジェだった。


 はじめ、小さく見えていたそれは、近づくにつれて徐々に巨大化し、じっさいは高さ5メートル以上はありそうな、そこそこ大きなオブジェであることがわかったのだが――サクラの視界にうつるその光景は、まるで夢の中の景色のように、幻想的で印象的な絵画のようだった。


 みると、オブジェの周辺では、白装束しろしょうぞくを着た人たちが数人あつまって、オブジェと同じ白くて丸いちょうちんのようなランプを持ち、それを上下左右に、十字を切るようにゆっくりと動かし、なにやらつぶやきながら祈りをささげていた。


「いまは初夏――ちょうど〈スフィア祭り〉の時期なんだ。ま、俺は無宗教なんで、くわしいことは知らねぇが…毎年、この時期にあわせて信者が集まって祈りをささげてるのさ」

「なにを、祈ってるの?」

 はじめて見る、こちらの世界の文化に、サクラは興味をひかれた。


「なにって…」

 アレクは、本当に興味がないのだろう。少し困って鼻をかきつつ、適当に想像で話をつづける。


「慰霊碑に手を合わせてるんだから、過去に死んだ〈なんかの魂〉をしずめてるんじゃねぇか? きっと、獣だ。この辺は狩猟の森が多いからな。鹿、熊、イノシシ…自分たちが殺した獣に『どうか安らかに死んでてくれ』と拝んでるのさ」

「なるほど…」


 サクラは子供のころに行った社会科見学を思い出していた。

 どこかの精肉工場のまえに大きな慰霊碑がたてられており、「これは命をいただく豚に感謝と祈りをささげるためのお墓です」と先生が説明してくれた光景だ。

 アレクの推測は、あながち嘘ではないのだろうと、サクラも思った。


「つまり――やつらは、殺生せっしょうした罪の意識を、とむらうことで帳消しにしたいのさ。ま、だったら、はじめから殺すなって話だけどな。そうだろ?」

「そうだけど…でも、なにも殺さないで生きるなんて人間には無理よ。っていうか、あんただって殺してきたでしょ? だって、ぜったい、田んぼの畦道あぜみちにいるカエルとか、大量にふみつぶしてそうだもの…」


 嫌味いやみをふくんだサクラの言葉に、アレクは、

「そうだなッ。たしかに、田んぼの〈カエルつぶし〉は爽快だッ」と、とくに気にする様子もなく愉快そうに笑い、それから声のトーンを落とし静かにつぶやく。


「けど――俺はカエルを大量に殺したって、慰霊碑に手を合わせたりはしねぇ。罪の意識なんか、微塵も感じたことはないからな…」


 そういうと、アレクの顔から笑顔がきえた。


「俺は、非情な男なんでね…」

 バックミラー越しに、サクラの顔をちらりと見る。


「………」

「………」

 ふたりの視線がまじわりあった。


「だから、俺は、どんな罪だって犯せるんだ…」

「………」

 サクラはその黒い言葉に、どう返していいかわからず黙りこむ。


 バックミラー越しにうつるアレクの顔は無表情で、彼の心の中を読みとることはできなかったが、これいじょう会話をつづけたら、彼にまとわりついている黒い空気が自分に覆いかぶさってきそうに思え、サクラはあわてて目をそらした。


 そして、もう一度、通りすぎた慰霊碑のほうをふりかえる。


 その白い球体は、かたむきかけた太陽の光につつまれ、淡いオレンジ色に染まっていた。


(ホワイト・スフィア…)


「‘罪深き、われらの魂をきよめたまえ’…」


 唐突に、アレクがつぶやく。


「なに?」

「あいつらが唱える〈お経〉みてぇな言葉さ。いつのまにか耳についちまった…」


 アレクは、その鎮魂たましずめの言葉を歌うようにつづけた。



          ***



―――罪深き、われらの魂をきよめたまえ

   われらは、スフィアの子なり

   かれらの、しき魂をすくいたまえ

   かれらの御霊みたま

   スフィアにささげたまう


   スフィアは、われらとともにあり

   われらは、スフィアとともにあらん

   スフィアは、永遠なり…    




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