17|シーサイド・パレスホテル

 3人を乗せたバンがシーサイド・パレスホテルに着いたのは、夕刻――すっかり日が落ち、あたりが薄闇に包まれはじめたころだった。


 そのホテルは、港町から少し離れた見晴らしのいい高台にあった。


「わぁ…ほんとうに〈ホテル〉だぁ…」


 そのホテルの正面玄関エントランスのまえに立ったツトムは、まず、その外観の美しさに感嘆のため息をもらす。


 そのホテルは3階建ての、横に広い建物だった。

 高さはなかったが、敷地面積は小さなテーマパークがつくれるほどの広さがあり、柱や壁には細かな彫刻がほりこまれ、まるでローマの遺跡を思わせる白亜の宮殿のようだった。


 正面のエントランスホールはガラス張りで、3階まで吹き抜けの天井には豪華なシャンデリアがつりさげられ、ホール全体を照らしている。

 その下では、スーツ姿のホテルマンがフロント(受付)に立ち、丸い帽子をかぶったベルボーイ(荷物運び)がカートを押しながら、やわかな物腰で接客していた。


 それは、誰が見ても文句のつけようがない、高級ラグジュアリー感ただようリゾートホテルで、人生で訪れたことも、泊まったこともないツトムにとっては、天国のような場所に違いなかった。


「な、なんか…ドキドキするなぁ。落ち着くような…落ち着かないような…」


 だが――いっぽうのサクラはというと…。


「このホテル、私が働いてたホテルに似てる…」


 「懐かしい」と表現するほど、こちらの世界に長くいるわけではなかったが、あたかも一瞬で向こうの世界にテレポートし、自分が働いていたホテルに帰ってきたような感覚にみまわれ、胸の奥が‘きゅっ’としめつけられるような郷愁きょうしゅうにおそわれた。


「そうか。サクラは、ホテルのメイドだもんね」

「うん。私、ここに帰ってきたみたいな気がする…」


 明日から「ここで働け」といわれたら、何の違和感もなく働けそうなほど、サクラが働いていたホテル――大手町の一等地に建つ5つ星ホテルとよく似ていた。


 一流ホテルは、みな、同じ顔をしている。


 それは、きっと、ホテルマンたちの〈もてなし〉の心が、建物全体に漂っているからだろう。こんな異世界でも、ホテルはホテルで、ホテルマンはホテルマンだった。


(もしかして…)


(どこからか、トモヒロがあらわれたりして、ね…)


 サクラは想像する。


『 咲良さくら、おまえ、いつ帰った? 』

『 いままで、連絡もしないで、どうしてたんだ? 』

『 俺も、仲間たちも、みんな心配してたんだぞ? 』


「ごめんッ、こんな忙しい時期に休んじゃって…」


『 ま、帰ってきたんだから、いいさ 』

『 すぐ働けるか? 』

『 701号室、で頼む! 』


「まかせといて、30分で終わらせる!」


『 さぁさぁさぁ…今日も1日、忙しくなるぞぉー! 』

『 ぼーっとしてないで、みんな、働け、働けッ 』

『 働かざる者、食うべからず! 』

『 DO・MY・BESTドゥ・マイ・ベスト、力を尽くせ! 』

『 働いたあとのメシは美味いぞー、ハッハー 』


 青空のようなトモヒロの笑顔が、サクラの脳裏にあざやかに浮かぶ。


(トモヒロ…)


 痛みがともなうほどの懐かしさと恋しさに、サクラの目に熱いものがこみあげたとき、


「僕たち、やっと、ここまで来たんだね…」

 ツトムの言葉が、サクラを現実へと引きもどした。


「もうすぐだよ、サクラ。きっと、マナーズ博士の友達が、僕たちを〈南〉へ連れてってくれる」


(そうだ…)


(ここは、異世界…)


(ここに、トモヒロはいない…)


「いいホテルだろ? ま、今夜はゆっくり休め」

 アレクは、スカンクキャベツが入った竹籠を運びながら、サクラの背中ごしに声をかけると、ホテルの裏手へと消えていった。


 サクラたちはフロントへ行き「アレクの紹介だ」と告げると、フロントマンは「お部屋はご用意してあります」といい、305号室のルームキーと食事券を2枚「サービスです」といって渡してくれた。


 と、そのとき――


「あら、めずらしい! あなたたちエムズね?」

「……!?」

 とつぜん、背後から女性の声がふってきて、サクラは一瞬どきりとし固まった。〈エムズ〉と言われ、素性が知れたと思ったからだ。


 恐る恐るふりかえると、そこには、ひとりの小柄な老婦人が立っていた。


「そうでしょ? あなた、エムズよね? その腕の〈市民ナンバー〉はエムズのしるしだもの」

「あ…こ、これ…」

 サクラは、とっさに自分の右腕のナンバーを手で覆う。


(まずい…油断した…)


(ラボで、腕にナンバーを入れられたこと…)


(私、すっかり忘れてた…)


 サクラの動揺に気づいて、ツトムがそっと耳打ちする。


「大丈夫だよ、サクラ。僕たちのことがバレたわけじゃない。エムズはみんな腕にナンバーを入れてるんだ。この人は、ちょっとめずらしいと思って話しかけてるだけだよ…」


(そ、そうか…)


(エムズは、世界中にいる…)


(みんな、市民ナンバーをつけてるんだ…)


(うろたえるな…)


(うろたえたら、逆に疑われちゃう…)


「あら、ごめんなさいね。驚かすつもりはなかったんだけど…」

 その老婦人は、眉をハの字にさげ、申し訳なさそうに…けれど、陽だまりのような笑顔をたやさず言葉をつづけた。


「最近は、なかなか仲間に出会えなくて…つい、うれしくてね…」

「仲間…?」

小川おがわ様も、エムズなんですよ」

 カウンターの中にいたホテルマンが会話に入る。


「お客様と同じ、エムズ・ワンなんです」

「エ、エムズ・ワンッ!?」

 サクラとツトムは、同時に声をあげた。


「ま、まさか…」

 ふたりが考えることは同じだった。


「はじめまして、小川寿々江おがわ すずえです。私…このホテルにのよ」


(やっぱり、そうだ…)


(やっぱり、このひとマナーズ博士の…)


(と、も…だ…ち…)


(と、も…)


(…)


 とつぜん――サクラの思考は、そこで途切れた。


 視界が‘ぐらり’とゆれたかと思うと、サクラは良質な絨毯の上に倒れこんだ。


 最後に見たのは、老婦人のびっくりした顔と、あわててカウンターから飛び出してきたホテルマンの顔。それから、耳元で「サクラッ!」と叫ぶツトムの声。そのあとは、真っ暗な闇にのみこまれ、なにもわからなくなった。


『 その症状は〈風土病〉だ 』

『 免疫のない旅行者がかかる病気さ 』


 思考が途切れる瞬間、アレクの言葉が頭をかすめる。


(風土病…)


『 死・哀悼・絶望… 』


 糸杉の花言葉は、どこまでもサクラにまとわりつき、暗いかげを落とすのだった。




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