ライヒに黄金の時代を

地水火風

第1話 ライヒに黄金の時代を

 大戦後かつて帝国と呼ばれていた国は、西の連邦共和国と東の民主共和国に分断された。輝いていたかつての首都ベルンは半分をベルンの壁と呼ばれる壁に囲まれ、戦後の東西の対立の象徴となった。それから約45年後、統一歴19**年。民主共和国のテレビから衝撃の映像が流れた。それは単なる政府方針の発表会談のはずだった。


「民主共和国国民はベルンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」


「ミッシュ共和国の全ての国民が民主共和国の国境検問所を使って国を離れることを可能にする」


「外国への個人旅行は現在のビザ要件を提示したり、旅行の必要性や家族関係を証明したりしなくても申請できます。旅行許可は短期間で発効されます」


「遅滞なく発給するように指示されます」


 ジャホブスキー社会主義統一党中央委員会政治局員・党ベルン地区委員会第一書記のテレビでの発表と記者の質問に答えた内容に、東西の国民は狂喜した。国営テレビが追加放送で「出国には申請が必要です」と繰り返し発信したが、最早聞いているものは誰もおらず。国境警備員も出国を止めようとはしなかった。

 数多くの血を吸った壁はハンマーで、あるいはツルハシでいたるところで破壊される。それを止めるものは誰もおらず、増えるばかりだった。はてはどこからともなくショベルカーまでもが現れて壁を壊し始める。幾重にもまかれた鉄条網を撤去する兵士の姿も映された。



 先の大戦によって分かたれた故国ライヒ。その再統一を疑うものは誰も居なかった。そして後日、それは現実のものとなる。





 放送直後、政庁の一室でジャホブスキーは一人の女性と会談していた。相手はジャホブスキーを長年支えてきた秘書官である。歳は既に60を越えていると思われるその老女は、燃えるような赤い髪をしており、歳に似合わず、大きな好奇心に満ちたキラキラと輝くような緋色の眼をしていた。そして老女とは思えないような抜群のプロポーションをもっていた。



「その……同士ミュッテンヒルト、本当にあの原稿は本物だったのかね?その、大変なことになっているようだが……」



 ジャホブスキーは額から流れる汗を拭きながら女性に尋ねる。相手は一介の秘書官だというのに、まるで目上の者に対するような態度だ。それも無理からぬことだろう。何せ一介のジャーナリスト、それは西側のようなジャーナリストではなく、ただ政府から知らされる情報をまとめるだけ、の編集者に過ぎなかったジャホブスキーをここまで押し上げたのは、目の前にいる女性が資金や人脈、情報などを用意してくれたおかげなのだから。それに加え彼女は自分の秘書として有能に仕事をしてくれた。

 一体彼女はどこと繋がっているのか、密かに調べさせた部下はことごとく消息不明となった。部下が消息を絶った次の日も、彼女は自分の秘書官としてにこやかに登庁していた。恐怖を覚えたが、同時に自分のミスをもみ消し、更には暗殺や謀略を防いでくれた彼女を頼もしくも思った。何時しか彼女に頼りっきりになってしまっていた。

 しかし、流石にあの会見はまずかったのではないかと思う。会見後、グレンツ第一書記長が顔を真っ赤にして部屋に怒鳴り込んできたのだ。



「ふふっ、勿論ですとも。現に同士グレンツは同士の勘違いを責めはすれ、文書については何も言っていなかったでしょう?」



 秘書官はいつも通りの笑みを崩さず答える。



「それはそうだが……しかし、勘違いではなく、あれは君が教えてくれた文章の解釈……」



「同士ジャホブスキー。あれは同士が思い違いをなされたのです。そしてそう考えてもおかしくない文章でした。それは同士グレンツも認めていらっしゃいました。そうでしょう?」



 ジャホブスキーの言葉をさえぎって秘書官がそう答える。



「あ、ああ、そうだな」



 ジャホブスキーは秘書官の放つプレッシャーに負けて頷く。ジャホブスキーは彼女の数少ない情報で、彼女が航空魔導士官だった事を知っている。そう、かつてこの国が帝国と言われていた時代の航空魔導士官だ。自分などその気になれば骨も残さず焼き殺されるだろう。



「心配されなくても、同士は讃えられこそすれ、命の危険が及ぶことはありません」



「それと、私はしばらく休暇を取らせていただきます。私にも西側に古い友人が居るのです。せっかく自由に移動出来るようになったのです。旧交を温めてこようと思います」



 秘書官はにっこりと張り付けたような笑顔でそう言うと、ジャホブスキーの返答も聞かずさっと立ち上がり部屋を後にした。



 そのまま秘書官は政庁を外に出ると、演算宝珠を懐から取り出し、魔力を注ぎ遠隔魔道通信の術式を発動させる。



「ヴィーシャ。久しぶりね。エーリャよ。ようやくこちらでの任務が終わったわ。すべてはあなたの敬愛する戦闘団長の言ったとおりに。本当にあの人は何者だったのかしら……え?それに参加してもいいの?……ええ、分かったわ。必ずその日までに帰るから」



 宝珠を懐にしまうと、エーリャと名乗った秘書官は、先ほどとは違い心からの笑みを浮かべ、颯爽と西へ歩いて行った。





 国名は変われど、再び統一された故国ライヒその統一宣言がなされた数日後、共同墓地の墓石の前に何人かの老人が集まっていた。その墓地の周りにはたくさんの花束が置かれている。今日は気持ちがいいくらい晴れているのに、その老人たち以外誰も墓地にはいなかった。政府に無理を言ってそうしてもらったのだ。この老人たちはそれを政府に聞かせるだけの権力、いや権利があった。これまでこの老人たちがなしてきた国家への挺身を思えば、この程度の願いはささやかともいえるだろう。それだけのことをこの老人たちは成してきたのだ。ライヒに黄金の時代を、そのためだけにこの老人たちは生きてきた。これから行うことは、この老人たちにだけ、原初の大隊の生き残りにだけ許された、神聖な儀式であった。



 老人たちは飾り気のない墓石を丁寧にどけると、真新しい墓石を代わりに丁寧に乗せる。老人とは思えない力だった。墓石は周りと比べて浮くような派手さはなかったが、白金と金と銀で精巧な紋章が彫られていた。歴史に詳しいものならそれが帝国時代の銀翼突撃賞に似ていると思うだろう。だがそれよりも随分と付属しているものが多い。黄金の剣と、白金の十字架、そして柏まで付いている。

 歴史家からしたら大げさだと笑われるか、栄えある銀翼突撃賞に対して不遜だとか思われるかもしれない。銀翼突撃賞ですら貰う者は稀だったのだ。それ以上のものなどなかったと言うのが歴史学の定説だ。

 だが違うのだ、黄金剣付白金十字、柏付き銀翼突撃賞。彼女のために作られ、彼女が最初に受勲者となり、そして最後の受勲者になった勲章。唯一無二の彼女のためだけに存在した勲章。それがこの紋章の元なのだ。

 今日この日まで、表に出せなかった紋章。そして墓の主の名前。ようやく、ようやく偽名ではなく、本名で弔うことができる。それにどれだけの思いを込めたのか。老人たちの中で涙を流してないものなどいなかった。

 墓にはこう書かれてあった【ターニャ・フォン・デグレチャフ】と。





 その夜、とある酒場を貸し切り、宴会が行われていた。それ自体は最近よく見られる風景だ。寧ろどの酒場もどんちゃん騒ぎをするものでいっぱいだった。

 その宴会が変わっているのは、老人ばかりだったこと、そして酒場の周りが強固な防御陣に固められていたことだった。余人には入ることはおろか、ドアノブを寸分足りとも捻ることすらできないだろう。この中は外界から完全に隔絶された空間であった。



 カウンターには故人の写真と思われる物が幾つも並べてあり、そこにはそれぞれ酒が置かれていた。ただ、一つだけワインとともにコーヒーが置かれている写真があった。そこには美しいドレスを着た10歳前後の少女が映っている。



「勝利に、乾杯!」



「乾杯!ライヒに黄金の時代を!」



「黄金の時代を!」



 何度目か分からない乾杯の音頭に、杯が高く掲げられ、勢いよく酒が消費されていく。テーブルの上に並べられたごちそうも見る見るうちに老人達の胃袋へと飲み込まれていく。老人とは思えない健啖ぶりだった。



「ヴァイス会長。歳を考えないと早々に脱落しますよ」



「グランツ大尉。ここでは少佐か副長と呼べ。何せ中佐がご覧になっているのだからな。いやこの時分だと中尉だったかな?どちらにせよ我らが戦闘団長殿の前で早々に脱落などせん!」



 顔を真っ赤にした老人が少し若い、といっても世間からすれば初老といった老人を怒鳴りつける。



「この時期は少尉でしたよ。えへへ、今見ても可愛いですよね。天使みたいです」



「ヴィーシャあなたねぇ……」



 シャボフスキーの秘書官だった老女が、呆れたように横の老女を見る。



「だが、よくこの時代の写真が残っていたものだ」



 ヴァイスは感心したように言う。合衆国空軍士官学校時代や空軍時代、そして起業しての社長の時代などの写真はあるが、帝国軍人だった時代の写真はほとんどない。もとから少なかったのに加え、わずかなものも消されてしまった。



「戦闘団長だとは気づかれませんでしたからね」



 えへへっとだらしなく笑い、ヴィーシャは写真を手に取ってしげしげと見つめる。この日この時は、合衆国時代の写真はふさわしくない。恰好はともかく、この幼き姿こそがここにいる者たちの戦闘団長なのだ。



「まあ、確かにこれでな。我々でも最初に見たときは?と思ったからな。いやはやこの笑顔で敵の一大隊ほどは寝返りさせそうだ」



「実際、合衆国のパルトン中将は彼女と交換なら一個戦車大隊をくれてやってもいいと思ったそうですよ」



 ヴァイスの疑問にエーリャが答える。



「相変わらず耳がいい。しかし交換で高々一個戦車大隊とは、パルトン中将も意外とけち臭い男だな」



「確かに。まあ過ぎたことはいいじゃないですか。我らの勝利に乾杯しましょう!」



 グランツがそう言ってヴァイスの肩をたたく。



「うむ、率先するとはいい心がけだ」



 再び乾杯が行われる。



「……全てを掲げ、勝利に捧げ。讃えるは勝利の祖国!!……」



 どこかで帝国の国家が歌われる。帝国ライヒは破れた。だが故国ライヒは勝利したのだ。





 皆が酔いつぶれて寝静まった夜中。ヴィーシャは人の気配で目を覚ます。自分以外が寝た後、店員を帰してから自分は寝たのだ。一瞬でアルコール中和術式を発動し、横を見る。そこには銀髪の美しい女性が静かにコーヒーを飲んでいた。



「中佐殿……」



「おや、起こすつもりはなかったのだがね」



 その女性はヴィーシャに優しく微笑みかける。



「中佐殿、どうしてここへ……」



「なに、存在Xの気まぐれだろうさ。だが、貴官の居れたコーヒーはやはり旨い。冷めているのが残念だがね」



 そう言って女性は少し目を伏せた。



「すぐに入れ直します」



 ヴィーシャは急いでカウンターの中に入り、コーヒーを入れて女性の前に差し出す。女性はゆっくりと香りをかぎ、そしてコーヒーを口に運ぶ。



「うむ。やはり貴官の入れたコーヒーが一番だな」



 女性はうっとりとした表情でコーヒーを飲む。



「デグレチャフ中佐殿。私は相棒バディとして相応しかったでしょうか?」



 ヴィーシャは恐る恐る尋ねる。自分なりに一生懸命やってきた、だがデグレチャフ中佐殿の要求水準に達していたかどうかは分らない。



 女性は一瞬きょとんとした顔をして答える。



「勿論だとも。前世を含めて貴官以上のバディはいない。全くこの世界で私が男でなかったのが残念でならかったよ」



 その言葉にヴィーシャは今までの苦労が泡のように消えていくのを感じた。





「ヴィーシャ!ヴィーシャ!ほんとにもう朝が弱いんだから……」



 ヴィーシャが気が付くと外は明るくなっていた。日差しから考えるともう昼に近いだろう。



「あれ?戦闘団長殿は?」



「何言ってるの?みんな帰ったわよ。本当に朝が弱いんだから。あのデグレチャフ中佐の副官をやっていたなんて信じられない」



 エーリャはやれやれという風に両手を挙げる。周りを見ると昨夜の喧騒は嘘のように片付けられており、残っているのは自分とエーリャ、そしてカウンターの上のデグレチャフ中佐の写真だけになっていた。



 あれは夢だったんだろうか……ヴィーシャは写真を片付ける前に敬礼する。



「ヴィクトーリア・イヴァーノヴァ・セレブリャコーフ。任務完了しました」



 写真の中の少女がニヤリと、悪魔の笑みといわれる微笑みをした気がした。





 

 幼女戦記の大隊野史に触発されて書いてみました。如何でしたでしょうか?高評価をいただけたら幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。別の作品でお会い出来たら幸いです。

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