場面.22「運命の輪」
あの日に受けた実体験カリキュラムで提出したレポートの評価が、最高点だったのは嬉しかった。
いくら貴重な物とはいえ、旧時代の輪転機という回転式の印刷機にはまったく興味が持てず、教科過程を消化するだけのつもりでいたアリスだったが、内容は予想と大きく違っていた。
輪転機の実動作を観察しつつ、その構造や歴史を学ぶといった内容だろうと思いながら、自席のモニターに表示されている案内資料を見て、その表題に強く惹かれた。
それは[統合仮想化工学のための予備講習]というもので、アリスはそんな学名を見たことがなかったが、資料を読んで納得した。それはまだ正規化されていない、表題の通り予備段階の学科だった。
その概要は、駆動系や熱電系といった具体的な工学と、制御や設計といった仮想的な工学の両方を、相互に補完して統合する基礎的学科の創設を目指す、というものだった。
要はモニターの中の作業と、実機での作業との間には差異があり、その両方にアプローチ出来る知見を学術的に構築しなければ、両者は互いに専門化が進み、結果として協業が難しくなる、といった問題意識がその発端にあるらしかった。
例えば問題への対処が必要な時、それが物理系なのか仮想系なのか、それとも両方に問題があり、それが総合的に複雑化しているのか。そうした事態に多面的にアプローチする為の技術が、属人的な経験則だけに頼るままでは限界があり、そうした知見を統合する事が必要なのだ。
そしてその知識と技術が実用的な段階に達したら、それをレドロンなどに搭載して、多様な工作に柔軟に対応する作業機械を造る。つまりそれは対象の設計図やコード情報が無くても、自らがそれらを理解して対処する能力がある作業機械という事だ。
なるほどと関心しながら資料を読み進めたその終端には、統合仮想化工学について今後協力出来るか、というアンケートがあり、アリスはそれに[はい]を選んだ。
そして始まったカリキュラムは、輪転機をスキャンして仮想化する作業を始点に、モニター内で再現された輪転機と実機との微妙な差異から発生する問題に対処したり、そうした経験を踏まえて、そもそも問題が発生しないようにする為の工夫を創案したりする、といった流れだった。
教室での作業を終えた後、数日以内の提出が必須だったレポートには、輪転機の内側に自己診断システムを組み込んで、その情報を外側の作業機械と共有しながら全体として機能する、仮想化機械とでもいうべきシステムを考案して、アリスはそれをレポートにした。
そしてその評価が一月ほどしてから届き、それが最高点だった事でアリスは益々仮想化技術に興味を持つようになり、そこから関連する上級専門員になる為の学習に夢中になった。
そうした日々を数ヶ月すごしてからも、アリスはあの不思議な一日を忘れる事が出来ず、思いつくまま色々調べてみる日々が始まった。
例えば夢というキーワードがどうしても気になって、あの日の状況を絡めて調べてみると、それで見つけたものがあった。それは[明晰夢インタラクト]というシステムで、どうやらメタバリアムがまだ使われていた時代に、そこにエントリーする機能を再現しようとするものだと分かった。
それは身体に埋め込まれている各種インプラントを駆使して、仮想世界を体験する事を目指したものだが、結果としては上手くいかなかったらしい。ただし成果もあって、メタバリアムにエントリーするために必要な個人の生体IDを活用して、謂わばその入口に行くくらいの機能は、なんとか再現出来ていた。
でも仮にあの時それが自分に起きた事なのだとしても、なぜ自分なのか、それとも偶発的な事故なのか。とそこから先については何も分からなかった。
次にアリスは、展示の本が更新されたというエピソードに注目して、改めてアリスの物語を時系列で検索した。するとその結果は確かに、あの日の日付で最新となっていて、最初は手書きで作られたアリスの地下世界の冒険。続いて印刷出版された不思議の国のアリス。そして続編の鏡の国のアリス。更には二次創作が連綿と続くという結構な履歴だった。
だがその一番最後に、あの日の日付で制作された、なぜか自分の生体IDでしか閲覧できない本があるのを見つけて、アリスは早速それに目を通して驚愕した。
それは資料館で自分が不思議の国のアリスを見たあたりから始まり、自分がどうしても見つけられなかった古びたコンソリアンの前から仮想世界に入り、その先々でいろいろな経験をしながら、最後にはガラスの向こう側と言ったところで終わる、自分と同じ名前の、でも自分じゃないアリスの物語だった。
それを一気に読み終えたアリスは、それで話が繋がる気がした。例えば不完全な明晰夢インタラクトで自分の生体IDが使われて、それでメタバリアム側に自分の仮想体が生成された事。夢の中を彷徨っていたような、はっきりしない記憶と感覚の理由。
自分がそうしていた時、向こう側の自分じゃない自分は、答えと出口を探して、仮想世界を彷徨っていたのだ。それがただの創作である可能性もある。でもそうじゃないと思える事柄もある。
例えば、カルテカが向こう側で貰った翼のブローチを付けた人物に、自分は助けられた。向こう側のアリスは、カルテカもビジタシス、つまりこちら側に人がいるキャラクターだと思っていた。すると自分はあの時、こちら側のカルテカに助けられたんだと、アリスは連想した。
だからそれはただの創作じゃないし、自分がメタバリアムにインタラクトしたのも偶然じゃないと、アリスは考えるようになった。
そもそもあのタイミングで展示の情報が更新されるなんて出来過ぎだ。もしかしたら向こう側で、自分がどれだけの事が出来るのかを試されたのかもしれない。そしてそれが誰かさんのお眼鏡にかなうものなら、本の更新というエピソードで、向こう側の自分に気づく機会を作ったのかもしれない。
でもそれならそれで、どうしてそんな回りくどい事をするのかについては、一連の事柄から仮想化技術に興味が湧いて、ついには上級レベルの学位を取ろうと決意したことで、特定の情報や専攻については誘導的な勧誘が禁止されている事を知り、メタバリアム関連の研究調査はまさにそれに該当するので、その誰かさんは自分に直接連絡する事を避けたのではないかと、アリスは推理した。
そうした考えを組み立てていきながら、何度も向こう側の物語を読み込んだアリスは、ネオ・メタバリアムの建造に関わる人物が実際にこちら側にいて、自分が研究者の道へと進めば、いずれ出会う事になるのではないかと思うようになった。
でも多分ぜんぜん人が足りなくて、向こう側を知っていなければ話が始まらなくて、それなのにメタバリアムに完全な状態でインタラクトする機能が無くて、それで向こう側のアリスから自分に、そして自分から向こう側のアリスに、互いが繋がる物語を創った。
するとある程度の筋書きはあったかも知れないけど、基本的には向こう側のアリスに任されていた未完の物語だったハズ。だってこちら側からは向こう側を完全に操作する機能が無いから。
だからカルテカは苦労して、インタラクトしながら多少は自分で動かせる仮想体を作り出して、その存在を維持しようとしていた。そうでもしないと、こちら側からは仮想体の操作どころか、情報の検索すらも自由に出来ない。
つまりそれが閉鎖された事に起因する現状で、するともしかしたら閉鎖とは、外界を遮断する保護だったのかも知れないとアリスは思った。
だからある意味、難攻不落な保護状態を維持しつつも、ネオ・メタバリアムへと繋がる活動を続けるために、協力者を探している。でもそれに気がつく為には複雑な過程を通る必要があり、それはわざと設定されている。しかもほとんど偶然に近いような未完成な筋書きで、なんとかするしかない人たちがいるのだと、アリスは思いを巡らせた。
そして自分が出したあのレポートでの考えを思い出し、それは外側からだけじゃなく、内側からの動きでもあると思い至った。協業しようとしているのだ。
そう思ったアリスは、明晰夢インタラクトで生体IDを勝手に使われたという心のわだかまりを、きれいに捨ててしまおうと決意した。
向こう側からだけでなく、こちら側からも、エクソダシスの夢を追いかけてみたいと思った。
というのも、マザーシップが語ったマネー複合現実システムは、既に新都市の周辺で復活しかけている。そしてそれはやがてこの新都市も飲み込むだろう。するとそれは最終的にザ・ダークに至る。それを回避するための試行錯誤もあるだろうが、結局はそれを幾度となく繰り返していく事が人の歴史なら、そんな世界から密かに旅立っていく別の物語の方に、アリスは強く心を惹かれた。
それなら先ずは、メタバリアムの研究に携わるための知識や資格を得なければならない。それには関連する多くの学習が必要で、軽く数年はかかる。しかしアリスは、それでもそこから始める事にしたのだった。
この先なんとかして、メタバリアムにアクセスする技術を開発できたとして、それまで向こう側のアリスは、メタバリアムの何処かで時間停止しているのかもしれない。でもきっと消滅はしていない。だってアリスはそれに抗って回避出来たのだから。
向こう側の同じ名前の別のアリスと、話してみたいとアリスは思った。その時には二人は個別のアリスだと知らせる事になるけど、それは船の話で言えば、非同一だけど時間的連続体でもある、二人で一つの物語。
きっと向こう側のアリスなら、それを受け入れてくれると、アリスは信じた。
見つけた向こう側の物語が消去されないようにと、アリスは念の為それをコピーする事にした。それでも生体IDでの認証は解除できないが、物語の中でアリスが言っていたように、それをいつか親友のダイアナに見せたいと思ったからだ。
アリスはプリンターで翼のペンダントに似せた記録媒体を作成し、物語をそれにコピーした。外観は銀色のそれで何の刻印もないが、開けばその表題が「機械の中のアリス」と分かる。
これから始まる出会いや試練。挫折や成功に目眩を覚えながら、アリスは少し眠くなり休憩する事にした。それは立て続けに組んだ学習の合間に出来た余暇。次の午後の予定まではまだ時間がある。
ちょっとだけぐっすりと。
それは勿論、目覚めるために。
アリスは深くて心地よい眠りの中に、ゆっくりとその夢を沈めていった。
◇
遠い未来、それとも遥かな過去のどこかで。
散逸したアリスの仮想体を連続体として目覚めさせようとする物語が、それは人知れず、星々のまにまを回遊しながら。
SF小説 【機械の中のアリス】 古之誰香 @KnoDareka
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