場面.21「おかえりアリス」
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展示されているアリスの話を短縮版で聞いているハズが、どうも無関係だと思える突然の音声にはっとして、アリスは展示室の端にある一人がけの椅子に腰掛けたまま、目を覚ました。
すると今度は「おかえりなさいアリス」と、コンソリアンからの聞き慣れた中性的な声が、インプラントを通じて聞こえてきた。
その声を聞いたと同時に、ほんの瞬間前にその同じ声が「ようこそアリス」と言った記憶があると思ったが、いつの間にか、それもこんなところで、相当深く眠り込んでしまったらしいとアリスは気付いて、椅子から立とうとした。
だが思いもよらず、アリスはそれに盛大に失敗した。
立ち上がろうと前屈したが両膝に力が入らず、続いて全身の鈍痛を自覚した時には、既に前かがみになった自分の体をどうする力も無く、アリスは椅子から放り出されるようにして、床に転がり伏せてしまった。
自分の力ではなく、どちらかと言えば重力によって、なんとか両腕を前方に垂らすようにして倒れた事で、顔や頭を床に打ち付けずにすみはしたが、その代わりに右の肘が犠牲になった。
だが床にぶつけた各所の痛みよりも、全身の鈍痛が熱を帯びて猛烈に怠く、アリスはいよいよ声を上げて、助けを呼ぼうかと考えた。
すると誰かに「しっかりして」と声をかけられ、体に痛みがある事を説明しようとしたが、それよりも早くアリスは抱き起こされて、いま転げ落ちたばかりの椅子に、人形のように戻された。
介助の経験があるのか、その一連の動作は淀み無く、動きの支点を起用に使いながら難なく自分を座らせた人物を見たアリスは、少し驚きながらお礼した。
それは自分よりも幼く見える小柄な女性で、そんな人が難なく自分を起こして椅子に戻した事に感心しつつも、まだ全身の鈍痛に苛まれていたアリスは「ここで寝てしまって。そしたら体が痛くて痛くて」と、そう言うのが精一杯だった。
それを聞いた人物は「あー」と言ってから思案して「館内にスタンドがあるから、痛みに効くレシピでブリック持ってくるよ」と言うと、直ちに行動を開始したが、直ぐに一時停止して「えっとドリンク、何がいい?」とアリスに聞いた。
「ありがとうございます。それなら、アールグレイお願いします。オールドティーです。ミネラルシュガーたっぷりで」と謙遜しながら頼むと、「へー、そんなレシピあるんだね」と相手は屈託のない笑顔でそれを受け、アリスにしてみれば待たされたという気持ちにもならない時間で、戻ってきた。
見ると二つの再生カップとトレイを起用な指の形で支えながら、カップの一つをアリスにゆっくりと手渡し、それを落としたりしないのを確かめると、一口サイズでフードプリントされた小麦色のブリックが三つ載せてある再生トレイを、続けてアリスに差し出した。
猛烈に喉が渇いていたアリスは礼を言うが早いか、ブリックは後回しにしてカップを口元に寄せ、それでもその香りを先に鼻腔に入れてから、温かいお茶を喉に流し込んだ。
アールグレイの苦みとミネラルシュガーの強い甘みとが、胃袋から全身に広がっていく実感に浸りながら、ふと見ると相手が自分のカップを軽くアリスに掲げてみせて「同じの」と言ってからそれを飲んだ。
すると途端に微妙な表情をしながら「あー、これ薬なのね」とアリスに言ったが、怒っているわけでもなく、どちらかと言えば楽しんでさえいるような愛嬌を見せて、「ブリック食べれば、多分大丈夫」と言い残し、自己紹介する間もないまま、相手は行ってしまった。
水分を取り、鮮明な意識を取り戻していたアリスは、去り際に回した体の動きにつれて、少し浮き上がりながら付いていった相手のポシェットに、小さな翼型の銀色をしたブローチを見た。
体にアクセサリーを付ける習慣は無くなっているから、そんな小物を見る機会があるとすれば、それこそ資料館くらいだと、その珍しさにアリスは少し気持ちが惹かれた。
それにしても体の痛みはまだ消えず、アリスは貰ったブリックを二つ食べたが食べきれずに一つは残して、それを再生トレイで包むと、右の空のポケットにしまった。
暫く椅子の背にもたれて、痛みが和らぐのを待つ間、どうしてこんな事になったのかとアリスは考えを巡らせた。
そこでカリキュラムの予約を思い出し、焦って時間を確認するとまだ余裕がある事が分かり、すると寝てしまったにしても、それはほんの短い時間だと分かった。
それから、目覚める直前に聞いた、なんちゃらむについて、少なくとも最後は夢ではないかと、アリスは自分のログを今日に限定して確認したが、該当するものは無かった。
とりとめもなく、あれこれと考えているうちに、自分の体が楽になってきたと思ったアリスは、今度は慎重に立ち上がり、それに成功した。
そういえば、さっきまで聞いていた物語がいつの間に停止したのかと、直ぐそこの展示ケースまで来たアリスは「あれ?」と思わず声を出した。
その展示が[不思議の国のアリス]ではなく、[アリスの地下世界の冒険]になっていたからだ。
いや、さっき自分が見たときには確かに不思議の国のアリスだったと思いながら、展示のUIから履歴を見つけて内容を確認すると、それが今日の日付で、アリスの地下世界の冒険として訂正されて、展示が更新された事が分かった。
更新の経緯に目を通すと、それ自体はよくある内容で、アフターダーク以前に散逸した情報の再録に成功したというものだった。
こうした情報の更新は、頻度こそ少なくなったものの間々ある事だったが、まさかその瞬間に居合わせるような事になるとはと、アリスは驚きと小さな高揚感に包まれながら、改めて更新された点描プレートや、投影されている手書きの書名、その装飾、そして挿絵と、それらを感慨深くゆっくりと眺めた。
さっきまで変わった機械的な世界として描かれていた挿絵からは、そうした雰囲気は一切無くなっており、するとあの内容は、不思議の国のアリスのものだったのかと検索したが、そんな事もなさそうだとアリスは思った。
するとどうも、それがほんの短い眠りの中で見た夢みたいに思えてきたアリスは、断片的に思い浮かぶ光景から、古いコンソリアンのような機械がある壁に注目し、それがいかにも鮮明なことから、早速館内を歩き回ってそれを探してみた。
けれども、どれだけ彷徨い歩いてもそれらしい物は見当たらず、その内にいま自分がしているような事を、夢の中でもしていたような気がしてきて、疲れてしまった。
だがそれで予約に丁度いい時間になった事を知ったアリスは、とにかく回復した自分の体に安心しながら、ガラステーブルの展示室まで戻り、そこからはもう迷う事なく[いにしえの本棚]の廊下を抜けて、資料館を出た。
入った時は明るい曇り空だった外の景色は、一変して青く明るい晴天の世界に変わっていた。アリスは急ぐでもなく、堅実な足取りで、予約した教室へと歩いていった。
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