第一章 ニッポンの今

  西暦2038年、AI技術の発達により、クルマの自動運転システムが完成する。当初は自動車専用道路のみだった運行システムが、歩行者の行動変化を判断し、その上で自動車車を完全に制御できるようになって一般道にも拡張された。

 自動運転システムが完成したとはいえ、歩行者や自転車など、生身の人間や動物の行動までは、電子デバイスが的確に監視・分析とそれに基づく判断をするのはまだまだ完全にはできていなかった。

 妥協案として、各個人が常に携帯している個人用情端末の力を借りて、道路付近の行動は管理されている。

 個人用端末とは政府、外郭団体が共同で開発したもので、全国民の行動を管理・制御するウェアラブル・コンピュータである。これを常に携帯することにより、様々な日常生活上の必要な情報を得たり、行動をする上での助言を得られる。

 例としてその日の目的地の天候や施設の混み具合、交通機関の乗り換え方、行く予定の施設のレイアウトや概要など。昔のスマートフォンをさらに進化させたものと言える。

 自動運転でどこかに行く場合には監視者、この場合は人間で、実際の運転はクルマに搭載されたAIが担う。目的地までの最適なルートを携帯端末と共にデータをやり取りして決定、実際の車の運行に反映される。

 自動運転を可能にしたシステムは、開発当初は自動車専用道路に限られていたが、この個人用携帯装置の完成のおかげで一般道にも拡張された。

 たとえば道路に接近しすぎた時などは、携帯端末につながれたイヤホンから強力なアラームが鳴って行動を抑制する

 自動車の方はというと、各種3D光学カメラ及び超音波・赤外線センサ、ミリ波レーダーにより、近くの生命体(人間や野生動物)や障害物を感知して走行を制御する。

 この時代でも野生動物への対策は難しい。相当数の野生生物が、自動運転車に巻き込まれる事故が発生している。これらの事故を未然に防ごうとすれば野生生物にも専用の携帯端末を付けなければならなくなる。

  全国には高速道路が総延長で約9000キロ、一般国道が55800キロ、県道、市町村道が1164⃣万キロ、合計すると122万7000キロ。

 これらの道路のうち、自動運転システムの機器が設置されているのは国道と市道や、交通量の比較的多い町村道となる。

 全国民の体内にはICチップが埋め込まれ、行動予定を元にして曜日ごとにそれぞれ管理される。少子化対策が功を奏し確実に増えつつある人口、そうでもしなければ繁華街は混雑してしまう。

 2024年には1億2580万人だった日本の人口は、2038年時点で1億3000万。

 またAIによる労働革命により、特に働かなくもいい人が発生した。当初は勤労辞退者はそれほどいないだろうと思われたが、実際にはそうでもなかった。 

 就労の自由化は様々な面で改革をもたらした。それは同時にベーシックインカム制度とあいまって、それまでの労働に対する人々の考え方自体を改めさせるに十分だった。

 つまり、働かなくては生活できない仕組みのもと、特定の企業に入社する。あえてスキルを向上させるとか、自己満足、社会に対する義務、つまりは納税と勤労の義務に対する見返りとしての様々な行政サービスや公共施設の利用、住民サービスを受ける権利など、働いて税金を納めるという行為には、国民にとってなくてはならないサービスを受ける価値が生じると勤労者は考えている。

 さらにまた働くという行為は自分の力を確かめたり、試したり、他社と競争できるということもある。

 ベーシックインカム制度の普及と同時に、貧富の差を解消すべく個人収入にも制限がなされた。子供3人の一般家族における給与所得者においては月収は三十万円までとなり、オーバーした場合には国庫の財源として没収される。贅沢をしなければ十分な額として、政府が様々な関連機関と協議を重ねて決定した。それで得られた財源によって、2年前からベーシックインカムを導入、最低限の生活を維持するのに必要な金額が政府から希望者に支給される。

 つまりこの時代、全国民は勤労者か不労所得者か、どちらかを選択する必要が生じた。さまざまな職業がAI及び彼らの生産したとても頭の賢い自動機械などにとってかわられた。

 医療を例にとれば、それまでの全てのカルテの膨大な情報をデータベースに蓄積、症状や検査データをもとに病名を確定、それに基づいて全自動処方薬製造機械が瞬時に調合して患者に処方する。それでも手術や外科治療などはAIを補助役として人の手で行う。内科やなどは真っ先に「AI医師」にとってかわられた。心療内科などの精神関連のカテゴリーもほとんどがAI医師が担う。


 正確で多くのデータさえあればコンピュータというものはきわめて正確に答えを導き出してくれる。

 ただし問題解決のための要素である情報を数値に置換できないものに関してはCPUも苦手とする。

 たとえばAIに「明日は雨が降りそうだ。どこへ外出したらいいと思う?」と尋ねたとする。AIであるCPUはネット上の膨大な情報群の中から、行楽地のデータを収集、その中でも晴雨に関係なく楽しめる屋外型のレジャー施設を案内するだろう。自宅からの距離によってはもちろん日帰りか泊まりかを決める。

 判断の面で人とAIが決定的に違うのは、その時の心情や過去の記憶・思い出などといった、情緒的・感覚的な材料を一切考慮に入れないことだ。

 AIによる自動応答システムに現在最も求められているのは正確さと速さ。検索の速さは人間などは足元にも及ばない。

 当初は自動質問応答システムにも質問者の心情やその人の記憶などを参考にするべく回答させようと開発が進められていた。

 しかしそうなると当人、つまりご主人様の行動をすべて記録し、心情を推測し、それに基づいた回答をしなくてはならない。速さが命という足かせがある限り、担当するAIにそこまでの能力を要求すると、こんどは回答速度が低下したり内容もまちまちになる。

 そこで開発陣はなるべく使用する当事者の心情などは加味しないで、ある程度のデータに絞って質問に回答するという風に転換した。心理的態様を数値データにするのは不可能である。

 それでも実用性を重んじる一部のAI開発者は人間の心情・記憶・思い出などの情緒も回答する際の材料にするべく開発を続けている。

 同様に弁護士、消費者センター、経営カウンセラーなどなど、その当事者から聴取して吸収・蓄積したデータと、実際の判断事例を照合、それらの材料により人に代わって、AIに直結した該当機器群が対応する。該当者はその機器に口頭で話しかけることで、それまで人が回答してきた事をそのAIが代わりにしてくれる。

 特に過去の判例に伴う裁判の判決、病気の診断などに関しては、最適正答率にして90%を越えていた。残りの10%は本職の「人間」の担当者が代わる。

 それでも労働というものに生き甲斐を見出す一部の人々は、相変わらずリモート勤務にせよ実勤務にせよ就業している。自己実現、自己肯定という事に生きがいを感じているのではないかと思われる。


 首都の東京都はそのほとんどの行政機能を静岡県に遷し、ネオトーキョーに改称して生まれ変わった。そこは主に文化・娯楽の集約都市に変貌した。


 (今日はこのエリアへは入れません)

携帯端末の声がこの物語の主人公、イスルギショウジの耳に聞こえて来た。

 「そうか、今日は火曜だったな。忘れてた」

 ショウジは入退場ゲートを背にして来た道を戻った。

 繁華街やイベント開催時などの混雑時、事故や精神的ストレスなどを防止するという観点で、政府は個々人の腕に埋め込まれたICチップを利用した行動制御制度を運用していた。特にネオトーキョーやオオサカ、ナゴヤ、フクオカ、サッポロといった大都市圏には各地域・施設の入り口に入場を管理する入退場ゲートを設置、曜日や隔日などのタイミングで外出する人の数をコントロールしていた。人量最適制御システムと呼ばれていた。Human Activity controll System、頭文字からHACS(ハックス)と呼称されている。

 例えば毎週水曜日は、単純に舞にんぱーカードの末尾四番の者以外は特定の地域・施設に入れなくしたり、公共施設の利用の場合も同様に入退出を制限していた。大規模な花火大会や公道を使用するパレード、祭りの練り歩きなどの場合は不公平であるとの理由でそういう制限をしない代わりに、個人用携帯端末の指示の下で移動することで混雑緩和をしていた。混雑制御の実行にも当然AIはフル活用されている。


 その日ショウジは気晴らしにネオトーキョーのアキハバラに来ていた。自分のパソコンのパーツでも買おうと思っていたのだ。ハックスに拒否されて、仕方なくショウジは交際中のクボタユカの住む街へと行くことにした。彼は携帯端末に彼女の端末に音声発信するように指示した。

 数回の呼び出し音のあとユカは出た。

 「今から行ってもいいかなぁ」

 「いいけど」

 「だいたい30分くらいでそっちに着くと思う」

 「判ったわ。お昼、食べた?」

 「うん」

 「それじゃ何かお菓子でも作って待ってるわ」

 「サンキュー。ちょうど小腹すいてたし」

 彼はそこから一番近い神田駅に向かった。 

 秋葉原、終戦後の闇市から始まるマニアック・スポットは現在もその存在意義を変えていない。電子機器、家電、サブカルチャー、アイドル……。ヲタクと称される人種にとって、なくてはならない街である。今でも外国人観光客は大挙して訪れる。大阪日本橋と並ぶ日本のサブカルチャーの中心都市。各地の同義の地域の中でも、この街には敵わない。


 ショウジが山手線から中央線に新宿駅で乗り換えた頃、ユカは自宅のキッチンでショウジの為に菓子作りをしていた。彼とは同郷で、小学校の時からの幼馴染である。

 ショウジはユカのことを単なる幼馴染と考えていたが、深層心理的には恋愛感情をいだいていた。しかしそれが彼にとって友情なのか、恋情なのかは判然としていなかった。

 よく男女間に恋愛関係は成立するかという命題が取りざたされるが、まさにそれだった。こういった場合、男性に比べて現実的な女性のは男女間の友情は成立するという。同じ集団・サークル内で長く接していて、肉欲を感じなければ男女間の友情は成立する。その欲望を感じるか感じないかは、種としてのヒトの本質を考慮しなくてはならない。

 そこで今回のショウジのケースを考えてみる。

 幼馴染・友人から恋人に、とショウジは考えている。対するユカはまだショウジのことを仲の良い幼馴染と見ているかもしれないし、その途中かもしれない。これでは中々二人が相思相愛の同士になるのは困難だ。どちらかが勇気を出して心情を告白し、友情から恋情に転換させねばならない。


 ……ビビーッ!

 ショウジはユカの住む千葉県浦安市のマンションに着き玄関のボタンを鳴らした。ほどなくしてロックが解除されてユカが顔を出した。

 「いらっしゃい。早かったね」

 「ああ。電車の待ち時間がほとんどなくてスムーズだったから」

 「そう。上がって上がって」

 ユカは笑顔で彼を招じ入れた。

 「なに飲む?」

 「コーヒーでいいや」と彼は軽く答えた。

 「少々お待ちください」

 ユカはカフェ店員のような言葉を返した。

 思えばショウジとユカが同じ学校に通い始めてから今年で十八年になる。大学を卒業してショウジはサブカル系のコンテンツ・グッズを企画開発・製作する会社、ユカは結婚するまでの間と決めて、雑誌などのモデルをしていた。結婚したら働くのを止め、ベーシックインカムを申請しようとも思っている。就職したのも社会のことを少しでも知っておいた方が、今後の生活に役立つのではと思ったからだ。

 ショウジはよくユカの家に遊びに来る。しかし泊まっていったことはない。彼の自分の素直な欲望を自身で抑制できるか自信がなかったからだ。


 「おまたせ。砂糖とミルクはお好きなように」

 「サンキュー」

 いつもとは違い、彼はかなり緊張状態だった。今日こそユカに正式な交際を申し込む覚悟だったからである。

 「なんか、今日の翔ちゃんって大人しいっていうか、様子がヘン。どうしたの?」

 これだけ長い付き合いだと、相手の様子によって機嫌がいいか悪いかや、疲れてるかそうでないかがすぐにわかる。

 「いや、別に。ちょっと疲れてるかな」

 「ウソばっか。昨日は休みだったし、最近はそんなに仕事忙しいって言ってなかったじゃない」

 「そ、そうだったかな」

 「変なショウちゃん」

 自分でもかなり緊張しているのが態度や表情、雰囲気に表出しているのではないかとあせった。平静を装っていても、彼女の洞察力にはなすすべがないようである。

 「実は……」

 彼は口を開いた。と思ったが突如黙り込んだ。

 「どうしたの? なんかホントにヘンね、今日のショウちゃん」

 土壇場になってショウジは怖気づいてしまった。

 (今日の所は止めておこう。なんだか気が乗らないし、断られた後の心の傷の回復力にも自信ないし)

 結局彼の一世一代の告白はあっさりと断念と相成った。いつになったら成就することやら。

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自動運転社会の片隅で嗤う-未来の明暗は 鈴木ライト @jza801ggeu

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