第2話 淡井さんが行ってしまう

 私が彼女に弱いのには理由があって、あまり大っぴらに話したいものではないのだけど……要は、私はクラスメイトの一部にちょっとした嫌がらせを受けていた。


 クラス全員に無視されるようなものではなかったけれど、だからじゃあ安心、なんて気持ちになるはずもない。毎日クスクス噂話をされるのは苦痛だったし、他の子は普通には接してくれたけれど、助けてまではくれなかった。苦い鉛を舐めながら生きているような毎日だったのだ。鉛の味は知らないけど。


 そんな頃だ。淡井さんが転校(彼女の話では、別に前の学校なんて通ってなかったわけだが)してきたのは。


 ただでさえ転校生、しかもひやりと整った雰囲気で、そのくせどこかおかしなことを言いがちな淡井さんは、ちょっとばかりマニアックな人気が出たけれど、本人は特に気にしていない様子で、あまり人と絡んではいなかった。私は私で自分のことで精一杯だったし、あまり彼女に関心があったわけではなかった。


 そんなある日、私は校舎の裏手のあまり人が来ないところに隠れて顔を手に埋めるようにして、鉛の味を噛み締めていた。空はまだ青くて、グラウンドからは運動部の声がして、私一人が灰色にうずくまっている。


 自分の癖を真似されて笑われる、ってすごく自尊心が傷つくものだということは、学校では教えてもらえない。いや、教えたとしても、やる人はより効果的な侮辱として活用するようになるのかもしれない。


 誰もやめなよ、とか言ってくれなかったし、私自身にも嫌だって言う度胸はなかった。身体が捻じ切れてしまいそうに苦しいのに。


 かさ、と足音がして、振り向くとそこには淡井さんがいた。


「泣いてた?」


 第一声がそれなので、私は面食らって首を横に振る。泣きそうではあったけど、まだ決壊まではしていなかったから。


「そう、まあ、表出の仕方はどうでもいいんだけど、呼ばれたかなって思ったから」

「べ、別に呼んではないけど……」


 どちらかと言えば人に見られたくないな、という気持ちだったのだけど、淡井さんはお構いなしだ。


「呼んでたよ」


 やけに確信を持って、彼女はそう言った。


「君は私を呼んでたんだよ」


 どうしてだろう。それを聞いた瞬間、私の涙腺はもうぐずぐずになってしまった。ぼろぼろと後から後から、意外に温かい涙がこぼれてくる。ほとんど話したこともない転校生の子相手に声にならない嗚咽をぶつけて、私はしばらく立ち尽くしていた。


 淡井さんは別に抱き締めても手を繋いでもくれなかったが、ただじっと横にいてくれた。西の空が、薄くパステルカラーのオレンジに変わっていくくらいまで。


 次の日から私と淡井さんはなんとなく仲がいいのかな?というくらいに話すようになった。


 マイペースな淡井さんは嫌がらせを嫌がらせと気づくと(最初はわからなかったらしい)「どうして今笑ったの?」などと積極的に質問をしたりするので、なんとなく気味悪がられて、少しずつ悪意もフェードアウトしていった。


 私の学校生活は、苦い鉛の味から、果汁入りのオレンジジュースくらいまでに回復した。


 それだから、私は淡井さんに頭が上がらない。大抵のことは受け止めてあげなきゃいけないって、そう思ってしまうのだ。


 例えそれが、異星人だって告白されて、仲間探しを手伝う依頼をされることだったとしてもだ。


 全部信じたか、というとちょっと怪しい。でも、作り話にしては突飛だし、淡井さんは変な担ぎ方をする人ではないし、何よりニニコのことを調べたいの自体は本当のようだったから。


 自分の持っている知識を活用できる機会があるなら、まあ、飛びついてしまう。それが友達のためなら、なおさらだ。


 私と淡井さんは、友達なんだから。




「とりあえずチャンネルがここで、ニニコの動画はここにまとまってるから……」

「教えてもらったやつは見たけど、変わったところはなかったと思う」

「そのなんとか波って、動画越しにもわかるの?」

「さすがに記録はされてないみたい。何か、関係している人のことがわかるようなやつがいいな」

「ふむふむ」


 淡井さんとワイヤレスのイヤホンを半分こして、いくつか動画を探してみる。私の目にも、特に不審な点はなかったように思う。


「これかな。開発者インタビュー」


 十分程度の動画を見てみる。ニニコ本体の映像は少ないから、私はあまり見返したことはないものだ。


『お客様とのコミュニケーションを大事にしていくことで、より親しい存在になりたい、生活の中にニニコを受け入れてもらいたい。そういう気持ちを込めて……』


 作業着を着た三十代くらいの男の人が、淡々とインタビューに応えている。テロップで名前も表示されていた。私はそれを見て、あれ、と思う。何かを思い出すな、と最初に見た時には思わなかった違和感に気づいた、ような。


「……この人さあ」


 淡井さんが数分巻き戻して、また画面に集中する。


「瞬きが少ない」

「瞬き?」


 しばらく見ていると、なるほど、目を閉じたな、という瞬間があまり見られないようだった。


「でも、そんなに変かな?」

「瞬きって、一分間に二十回くらいしてるんだよ。ユニットに記憶させるの大変だったんだから。この回数は明らかに少ないよ」

「……私は」


 言おうかどうしようか少し迷って、思い切って言ってしまうことにした。


「この人、喋り方が淡井さんに似てるなあと思った」

「私に? こんな平坦だっけ」

「自分じゃわかんないんだ。アクセントが弱いっていうか……」

「……次、修正してくるから」


 いきなり話し方が変わったらみんな戸惑うんじゃないかなあと思ったが、本題はそこではない。


「この人が『そう』かもってこと?」

「可能性はすごく高い。しかも、この様子だと共生じゃないな。ユニット使ってる……ってことは、私たちとは他の艇が別口で流れ着いたのかもしれない」


 淡井さんは、数人の研究員らしき人たちがニニコと並んでてを振っている画面を指差した。


「ここ、どこにあるのかな。なんとかラボ?」


 ええと、とウェブサイトに飛んでみた。シンプルで見やすい画面から、『アクセス』のページを見る。


「本社も研究所も東京だって」

「東京ってどこだっけ」

「首都!」


 地理苦手なんだよね……と言いながら、彼女は住所をじっと見つめている。


「……覚えた。行ってみるか」


 鞄を持ち上げて、ひょいと立ち上がる。


「えっ、今?」

「うん。夜にはつけるし、明日の朝になったら即訪ねれば」

「先に電話とかした方がいいよ! その人が来てるかもわかんないし」

「穂波はマナーに明るいね」


 言うと淡井さんは、じゃあね、とあくまで軽く挨拶をした。


「すごく助かった。おかげで合流ができるかもしれない」

「……もし、違ってたら?」


 ここまで期待して全然関係ない、ただたまたまドライアイが激しいだけの人だったら、淡井さんはさすがにすごくがっかりしてしまうのではないだろうか。


「可能性があるだけでも全然違うよ。あるなら飛びつかないとだし。お会計は済ませておくから」


 待って、待って淡井さん。なんで一人で行っちゃうの。なんで私を置いていくのが前提なの。そう、言いたくなって、ぐっと喉の辺で固くつかえてしまった。私に何ができるだろうか。ただのアルバイトもしていない高校生で、推薦受験を狙っているから下手な冒険もできない私に。


 ニニコが、ありがとうございました、と合成音声を淡井さんの背中にかける。そこから、あのピルビリヌ波というやつが出ているのかどうかは、私には何もわからなかった。




 それから数ヶ月。淡井さんは何の音沙汰もよこさなかった。先生たちには精神干渉とやらが働いたらしく、長期の休学、という形になったらしい。転校じゃなくて休学にしてくれたのが、せめてもの救いだった。


 私は元の通り地味な嫌がらせを受ける身……と思いきや、淡井さんがいなくてもなんだか例のグループは私に興味をなくしたように何も言わなくなった。


 私の学校生活は、オレンジジュースを飲み干して、その後の氷が溶けた水、くらいに無色になった。ただ、ほんのりと淡井さんの香りだけがあちこちに残っている。


 会いたいなあ。帰宅の道々そんなことを思って、でも、もう彼女は帰っては来ないのではないか。そうとも感じる。仲間がいて、向こうにも設備やらがあるならそちらで暮らすのは道理だし、なんなら元の星に帰ってしまっているのかもしれない。


 私に何も言わないで。


 拗ねた気持ちになったので、良くないな、と別のことを考えることにした。ニニコは相変わらず勤勉に『ハートふる』で稼働しているし、勝手についてきたことはその後一度もない。あの時もやはり、淡井さんに反応したのだろうか。


 淡井さんの、何に反応したのだろうか?


 少し考えてみたが,よくわからない。淡井さんは軽い気体みたいな感じの生命体で、今の見た目は作り物で、本当はよくわからない波動でコミュニケーションを取るはずなのに、私に付き合っておしゃべりをいっぱいしてくれた。

 私はそれにお礼も言えないまま、なんとなく別れてしまったのだ。

 なんだかまた涙がこぼれそうになってしまって、アスファルトの地面を見下ろし、ため息をついた。


「穂波」


 懐かしい声がした気がした。顔を上げる。


 まず、西陽が眩しくて目を細めないといけなかった。空が燃え立つようなオレンジの色に染まっていて、その光は黄金だった。もうじきもっと夕焼けは深くなって、茜色になる。その少しだけ前の輝くような時間。


 その中に、淡井さんとニニコは並んで立っていた。


「やっぱり。呼んでたからすぐわかった。帰って来たよ。仲間とも会えたし」


 呼んでいただろうか。声には出していないはずなのに。そこまで考えて、私ははっと思い当たった。


「ピルビリヌ波……?」

「そう。観測はされてなくても、微弱な発生はしてるんだよね」

「私から出てたの? それ、どういうものなの?」


 どういう、と言われても説明が難しいんだけど……と言いながら、私の方に近寄る。ニニコも、み、と音を立てながらついて来た。


「寂しい時に、仲間を呼ぶ時の合図」


 ああ、そうか。ひとつひとつがゆっくりと、ぱちぱちと音を立ててパズルのピースのごとく嵌っていった。


 寂しくて泣いていた私は、無意識のうちにピルビリヌ波を発していた。それを見つけた淡井さんは、最初は仲間がいるかも、とでも思ったのだろう。私のところに来て、がっかりしたかもしれないけど、でも友達になってくれた。私が、寂しいのを知っていたから。


 淡井さんの仲間も、仲間を呼ぶためにピルビリヌ波を発生したり、反応したりするようにニニコを調整した。淡井さんはそれに気づいた。そうして、別の艇の仲間と無事に邂逅して、状況が落ち着いたからまた元の仲間も探すために帰って来たらしい。


「でも、なんで? 淡井さんのところにニニコがついていったのは、ピルビリヌ波に反応したからだよね」

「そうなるね」

「あの時、仲間を呼ぶようなことってあったっけ……?」


 うーん、と淡井さんは首を傾げ、少しだけ言いにくそうな(前にはこんな顔をしたことはなかったように思えるので、ユニットを調整したのだろう)顔をした。


「それねえ。別に呼んだわけじゃないんだけど。波は出しちゃってたんだよね」

「仲間がいなくて?」

「店出たら、穂波と別れないといけないでしょ。穂波、暗くなる前に帰るし」


 目をぱちくりしてしまった。私は淡井さんが来てくれて救われたと思っていたけど……。


「こっちで穂波とおしゃべりするの、すごく助かってたんだ。勉強にもなったけど……うん。寂しかったから」


 友達がいてくれてよかった、と。確かに、彼女はそう言ってくれた。


「……そっか」

「そうだよ。これからは逸れちゃった人たちを探さないとだけど、この辺にはいるからさ」


 ニニコの頭をぽん、と叩いた。はい喜んで、と合成音声が応える。なんでも、ニニコは生体ユニットではないものの、素の状態の淡井さんたちを収納して動かせるように作ってあるのだそうだ。よくわからないが、科学力については彼女らは私たちよりもかなり高いのではないか、と思う。

 そりゃあ、優越感も持たれるよなあ。いつか交わした会話を思い出す。

 『かわいい』は親近感で、保護欲で、少し優越感。そういう感じの話をした。


「あのさ、穂波」


 淡井さんが私の顔を覗き込んでくる。いつものキリッとした真顔だ。


「このユニットだけど、あの後かなりアップデートに成功してね。向こうが蓄積してたデータが大きかったから」

「何? あくびでもできるようになったの?」

「それは前からできるって。そうじゃなくて」


 彼女は、きゅっと口の端を持ち上げて、初めて見せる表情を作った。


 作った、という言い方が相応しいと思う。私ははじめ、きょとんとしてしまったから。もちろん、意図はよくわかったのだけれど……。


「笑顔、ver.1.2.2です」

「わ」


 わざとらしい、と私は思わず吹き出してしまった。笑って笑って、目尻からは涙も出かけた。


「確かにそっちのが自然だなあ」

「そうだよ、まだまだバージョンアップした方がいいよ。おかしい……おかしいけど」


 私は初めて、友達のことをこう思った。


 『かわいい』と。


 つまり、これでおあいこで、ここから始まるのだ。私たちのファーストコンタクトというやつは。


「すごくいいよ」


 私は淡井さんに飛びついて、ニニコの頭を撫でて、そうして、宇宙のどこにでもいる寂しい誰も彼もに呼びかけるみたいな気持ちで叫んだ。


「おかえりなさい!」


 そうして黄金の光がゆっくりと赤く染まり、光が沈んでいく間、ずっと、ずっと笑っていた。

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ため息の色の波が来る 佐々木匙 @sasasa3396

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