ため息の色の波が来る

佐々木匙

第1話 淡井さんが変なこと言う

 SLD-225、通称『ニニコ』は、ファミリーレストランチェーンを全国展開する『ハートふるグループ』に配備されている配膳ロボットだ。筒状の白い胴体に丸っこい頭、紺色のモニターが顔の場所にあり、通称から想像される通り、にこにことした目を表示させている。

 SF映画にでも出てきそうなデザインと、なんとなく愛嬌のある顔(のように見える部位)、何よりちょっとだけぎこちない動きのギャップが受けたらしく、テスト配備を経て、先月から私たちの学校の最寄り駅の店舗でも一台が働くようになった。今も、目の前を滑るように床を動いている。


「かわいいねえ。なんでかわいいと思うのか,ちょっと不思議だけど」

「ある種の動作が人に近く、かつ人に及ばない拙さがある場合、親近感と保護欲を同時に感じるんじゃないのかな」


 向かいの席の淡井さん、淡井桜子さんは、私と同じ高校の紺色のブレザー姿だ。キリッと短く切った髪の毛のせいか、野暮ったい制服もなんだか格好よく見える。いつもほとんど笑わないし、言葉もたまに難解だ。

 同じ制服を着ていると、かえって中身の差異が際立って見えることがある。どうしてなのか、私は知らない。


「もしかすると、優越感も覚えているのかもしれない。少しだけ下を見て安心するわけ」

「いやあ、でも、私は一瞬で方向転換できてすごい! この子より上!とか思うかなあ?」


 み、と音を立てて、通路を曲がるのに少しだけ時間をかけるニニコを見ながら、首を傾げた。保護欲はわからないでもない。ちょっと手を引いてあげたいところはある。ニニコの手は、胴体にシンプルに描かれた黒い線しかないが。


「穂波は優しいからなあ」


 今年に入って転校してきたのだが、なんとも変わった子ではある。世間知らずなところはあるし、成績は良いし。『良いお家』の子なのじゃないかとか、それがうちみたいな地方の一公立に転校してきた理由は、とか、いろいろと噂は立った。結局、その辺にあまり頓着していなかった私こと後藤穂波だけが、なんとなく気が合ってこうして一緒にいる。


 噂は好きではない。その態度を貫いたことで、こうして仲良しの友達ができたのだから、ちょっとばかり誇らしくはあった。


「注文、店員さん呼ぶんだっけ」

「そうなんだけど、今はすごいんだよ。運が良かったら面白いのが見られるかも」


 私たちはそして、運が良かった。机の上のボタンを押すところまでは普通なのだが。

 み、み、と音を立てて、ニニコが今度は私たちの席までやって来たのだ。


「え、あれって注文もしてくれるの? タッチパネルとかになってるのかな」

「普通に言えばいいんだよ」


 するすると滑るようにやって来たニニコに、マカロニグラタンひとつとサンドイッチひとつ、ドリンクバーふたつ、と注文すると、しばらくして(なんとなく考え込んでいるように見えた)顔部分に注文されたメニューが映る。問題なければOKのボタンを押せば良い、という形式だ。


「音声認識? 正確に反応するんだね」


 真面目に考察をしている淡井さんに、私はちょっと面白くなってしまった。


「違うよお、マイクがあって、厨房に繋がってるんだって。それを聞いて奥の人が遠隔操作して、注文を通してるの」

「……なんだ、背後に人がいるのか。タッチパネルの方が正確で楽じゃない?」


 これは、確かに淡井さんの言う通りだとは思う。現に店舗によって注文には使われていたりいなかったりするらしい。ただ。


「お客様とのコミュニケーションを図って、より親しい存在になりたい、みたいなこと言ってたよ。PR動画で」

「詳しいよね。好きなの?」

「かわいいもん」


 ニニコが登場した時、たまたまニュースを見てなんだかとても気になってしまった私は、実は開発企業の動画チャンネルを登録している。時々新情報が出たりするし、関係ない動画の後ろでこっそりニニコが見切れていたりするのが、なんとも言えず好きなのだ。

 だから、全国に配備されるようになるらしいと聞いて居ても立ってもいられなかったし、実際にニニコが来てからは何度かこの店に寄っている。お財布はちょっぴり厳しい。


「穂波の方がかわいいよ」

「……何?」


 何を言ってるんだと思った。淡井さんは時々真顔でおかしなことを言う。


「さっきの話だと、かわいいって優越感なんじゃなかったっけ」

「バレたか。そうやって好きなことに熱中しすぎて試験勉強失敗してわーん!ってなってるとことか、めちゃくちゃかわいい」

「こ、こいつ」


 その日はそれで、こら!とか怒るふりをして、軽食を食べて、おしゃべりをして、お会計をして、ニニコに手を振って別れて(ここでもかわいいねー、と淡井さんにからかわれた)、楽しく過ごした。いや、その後も別に嫌なことがあったわけではない。ただ……。


 謎があった。


 『ハートふる』の店内から外に出ると、すっかり長くなった影が伸びている。お互い家は近い方だからいいけど、少し長居をし過ぎたかもしれないな、と思った。秋の夜はもうすぐだ。まだ空気には少しだけ熱気が残っている。


 店の前は駅の近くにある広場で、帰宅ラッシュには少しだけ時間があったからあまり混んではいなかった。


「穂波は今日もすぐ帰る感じ?」

「うん、いつもとおんなじ」

「そっか」


 淡井さんが、ふっと小さくため息でもついたのか、手で口元を押さえた時のことだ。


 み,と音がして、店の自動ドアが急に開いた。

 ニニコがそこに立っていて、左右を見回すようにしてからゆっくりと、ゆっくりと。

 淡井さんの方へと近寄ってくるのだ。


「すみません、お客様。大変失礼しました!」


 次いで慌てた様子の店員さん(人間・女性)が追いかけてきて、ニニコの顔のパネルをどうにかいじったようだ。ニニコは大人しく店員さんに連れられて、店内へと吸い込まれていった。


「なんだったんだろ」


 もう、どうしたの、と困った声が一瞬聞こえてきて、あっ、あの子はかわいがられているな、と思ったものの、現象自体は謎だ。


「……なんか」


 淡井さんがぽつりと呟いたのが、少し印象に残った。


「私もちょっとかわいく見えてきたな、あいつ」


 そうでしょうそうでしょう、と動画をいくつか教えて、それで別れた。その日はそれきりだった。しばらくして、また『ハートふる』に行かないかと淡井さんに誘われたのも、別におかしなことではなかったし。


 問題はそこからだったのだ。




「ピルビリヌ波っていうのがあってね」


 正確な発音ではないんだけど、と前置きして、淡井さんが始めたのは、よくわからない話だった。


「ある種の生命体が同種に対して呼びかける際に使用される、波動のひとつね。こっちではコミュニケーションには使われてないし、観測もされてないんじゃないかな」

「いきなり何の話?」


 正直なところ、私は一瞬怪しい何か……たまに話に聞く不穏なセミナーとかに繋がる話をされているのではないかと疑ってしまった。淡井さんは友達で好きだけど、何かオカルティックなことに関して詳しかったりしても不思議ではないような、そういう匂いはあったから。


「うーん、私がその波動を使える……外宇宙から来たよその星の人間、って話」


 やっぱりオカルトじゃん。私はドリンクバーのオレンジジュースを飲みながら、それでも話は聞いていた。

 淡井さんは怪しい話に詳しくても不思議ではない感じの人で、実際おかしなことを言っているのだけど。

 友達で、好きだから。


「来たのはそんなに前じゃないんだよ。一年かもう少しくらい。しばらく潜伏して擬態とか文化とか学習してなきゃならなかったしね」

「それで転校生の振りとかできるものなの?」

「精神干渉の方が得意なんだ。ほら、私体育苦手でしょ」


 確かに100m走でも疲れた疲れた言っていたし、ダンスは居残りをして一緒に練習をしたものだが。それは精神干渉と並べるようなことなのだろうか。


「つまり、先生たちを洗脳したの?」

「誘導しただけ。書き換えとかじゃなくて、自然なやつ。ナチュラル」


 淡井さんの空気はそれでもいつも通りで、だから私もいつも通りにおしゃべりのノリで話してしまう。


「自然由来の食べ物だったらなんでも安心とかいうのは嘘なんだよ」

「後遺症が残ったりしないってば。ほんとだって」


 本当、ちゃんと気をつけたし、とノートに何か図解まで始めようとしたので、とりあえずそれは止めて、先に進めてもらうことにした。


「わかったから、本題は何なのかを教えてよ」

「本題……うーん」


 淡井さは腕を組み、少し考え、小さく息を吐いた。ニニコが、み、と音を立ててこっちを見た。


 こっちに来る。


「……あれ。今別に呼んでないよね」

「いや,呼んだ」


 ニニコが立ち止まり、いらっしゃいませ、ご用はございますでしょうか、と合成音声で言う。


「今のがピルビリヌ波でね。わからなかったと思うけど、わざと発動させたんだ。そしたら、こいつ来たでしょ」


 淡井さんが、デザートのシャーベットを頼むと、ニニコはまたするすると離れていった。


「微弱だけど、向こうも同じ波動を出してるのがわかる。何か仕込まれてるんだと思うな。裏に仕込んだ人がいる」


 微妙なところだった。確かに何もしなくてもニニコは来たけど、それだけで何もかも信じ込んでしまえるにはあまりにささやかな現象だ。


「仕込んだ人がいたら、どうなるの」

「それが本題。あのね」


 淡井さんはテーブルにぐっと身を乗り出して、真剣な顔をした。普段の真顔よりも薄暗い、あまり見たことのない表情だった。ちょっと、雨でも降り出しそうな。


「私の仲間がいるかもしれない」


 そんな顔をされては、聞かないわけにいかないじゃない。




 淡井さんの言うことには、彼女の事情はこういうことらしい。


 ある時、淡井さんたちの暮らしていた星に長期間にわたる災害があった。それ自体は予期されていて、一時的な宇宙空間への脱出の手筈も整えられていたのだけれど、予測よりも早く、万全な状態では実行ができなかったらしい。

 災害って、地震とか?と聞いたら、地殻あると大変だよね、と言われた。大型の台風が一番近いらしい。

 幾つかのグループの脱出艇は上手く機能しなかった。別のグループ脱出はしても連絡ができなくなった。そして、淡井さんたちの艇は軌道をずれ、事故回避のための緊急移動にも不備があったらしく、おおよそ予定とは外れた座標にある惑星に辿り着いてしまったのだ。


 その惑星の名前を、地球という。


 不時着に成功した淡井さんたちは、その後も何度かはぐれ、仲間を失い、なんとか艇の傍に残った淡井さんだけが今ここで生きている、のだそうだ。


「この星、結構風が強いでしょ。油断すると飛ばされて散っちゃうんだよね、あちこちに」


 淡井さんの口調はとても淡々としていたので、全てがまさに遠い星の出来事のようだった。それが、その一言でふと我に返る。


「淡井さん、そんなに軽いの?」

「軽い軽い。素だとヘリウムくらいかな」

「気体!?」


 なるほど、それなら台風が大災害になるだろうし、なんだか簡単に逸れてしまうのも納得がいった。


 それから、恐る恐る机の上に置かれた指先を見る。その形もすぐに崩れそうな気がして、なんだか怖かった。


「今は平気だよ。上手く生体ユニットを生成できたから。アップデートもしてるし、こないだ瞬きの回数がちょっと増えた」

「わかんないよ……」

「神は細部に宿るんだよ」


 面白いよね、神概念。そんな言い方をしながら、淡井さんはいつも通りにちょっとクールな眉の上げ方をするのだ。


「その逸れた人が、ニニコに何かしたかもってこと?」

「多分そう。直接連絡を取る方法もないし、ネットとか使うやり方も上手くいかなかったんだと思う。地理も明るくないし。だから、どうにかしてニニコの開発か組み立てか、どこかの工程に紛れ込んでピルビリヌ波を発生させるように仕込んだんじゃないかと思うんだ」


 生体ユニットの生成は艇の装置がないと難しいし、関係者に寄生か共生してるのかもね。さらっとなんだか怖いことを言う。


「で、穂波はニニコに詳しいでしょ。ネットとかも。いろいろ教えてほしいんだ」


 この通り、と頭を下げられる。私はなんとも……なんとも、噛みきれない食べ物をぐにぐに噛んでいるような気分だった。淡井さんの話が本当なら、彼女は気体のような、人間とは全く違う生き物なのだ。それが人型の作り物の身体に収まっているのだろう。この頭を下げるという動作も、そういう習慣があるらしいからやっているだけということになり……。


 うーむ、としばらく考えた。それから。


「何からやればいい、のかな」


 だめだ。私は何をどうしても、淡井さんには弱い。

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