最終話 きっと君の夢を見る

 少女の元へ行くかどうか、迷った。


『明日、相手の方とお会いするのです』


 短い旅の終わりに、少女がそう言っていたから。


 眠れなくとも、僕と話さずに相手への想いを膨らませるべきではないかと。

 僕と話すと、少女の決意が壊れてしまうのではないかと心配して。


 けれどやっぱり少女が気になって、今日も開いた窓を探してしまった。

 ……ただ会いたいという、僕の我儘かもしれない。


 大きな窓は開いている。

 けれど少女は、景色を眺めていなかった。

 そっと、窓から中の様子を伺ってみる。


 椅子に腰かけた少女が、小さなテーブルに顔を伏せていた。

 何か書いている時に寝落ちしてしまったのだろうか。

 それならばこの窓を閉めて、僕はどこかへ行かなければならない。


 なのに――音を立てないように、そっと広い部屋に足を踏み入れた。

 あんなところで寝ていると、僕のように身体を痛めてしまうだろう。

 少女をベッドに移動させようと思い、慎重に近づく。


「……吸血鬼さん……?」


 音は鳴らなかったはずだ。ならば気配で気がついたのだろうか。

 ゆっくりと顔をあげた少女は、寝ていたわけではなかったらしい。


「……どうしたの?」


 少女の顔を見て聞いてしまった。

 崩れた化粧と腫れた目を見ると、泣いていたのだとすぐにわかったから。


 少女は僕の問いには答えず、無言で立ち上がった。

 ゆらりと僕に近づき――倒れ込むように抱き着いてくる。


「結婚する人が、苦手だった?」


 少女は何も言わないが、頭が少しだけ上下した。

 実際に会ってみて、泣きたくなるほど無理だと思ったのだろう。

 それほど合わなかったのか、はたまた――決意とは裏腹に、叶わぬ幻想を見てしまったのか。


 小さく肩を震わせる少女に、躊躇いながらもそっと腕を回した。


「そっか。頑張ったね」


 どうにかして安心させようと、金色の髪をゆっくり撫でてみる。

 すると少女はぎゅっと手の力を強めた。


「眠れなかったのは、恐らく不安だったからです。そして私はきっと――この先もずっと眠れません」


「人間って、寝なくても生きていけるの?」


「いいえ。本当は、日に日に日常生活が困難になっています。医師にはじきに死ぬとも言われていました」


 規則的に髪を撫でていた手を、思わず止めてしまう。

 眠れないのは問題だろうと思っていた。

 けれど、そんなに重大だとは思っていなかった。


 少女はずっと明るい声で笑っていたから。

 変わらず元気だと思ってしまっていた。


「あなたといると、少し楽になったんですよ。吸血鬼には、人を元気にする力もあるのでしょうか」


 ふふっと、少女が力なく笑った。

 そんな力、あるはずがないのに。

 もしもあるなら、とっくに君を元気にしている。


 それから少女はゆっくりと顔を上げた。

 僕に抱き着いたまま、涙の溜まった目で見上げてくる。


「……吸血鬼さん、お願いがあります」


 聞いてくれますか? と首を傾げる少女に、深く頷いて見せる。


「なあに? 何でも言ってごらん」


 その言葉を聞くと、少女は安心したように笑い――落ち着いた声で、願いを口にした。


「――私に、長い夢を見させてほしいのです」


 夢を見させるなんて、無理に決まっている。

 それはできないな、と返そうとした。


『では吸血鬼に血を吸われる時、素敵な夢を見れるというのは?』


 なのに過去の少女の発言が脳をよぎり、その言葉の本当の意味を理解する。

 初めて会った時のように、ダメだよ、と言いたい。

 なのに、声はでなかった。


「何でもと言いましたよね?」


 声に出さずとも、僕の考えが伝わったのだろう。


「どちらにせよ、もうもたなくなる身体ですから。どうせ同じ結末ならば、最後に素敵な夢が見たいです」


 少女はまるで大人のように薄く微笑んで、淡々と言った。


「お願いします。私を、素敵な初恋の中にいさせてください」


 ゆったりとした声から、その本気度が伝わってくる。

 触れた身体の感触をよく確かめると、最初よりかなり痩せている気がした。


「…………わかった」


 長い間、迷った。

 その結果僕の心が選んだのは、少女の想いだった。


「ありがとうございます」


 少女は柔らかい笑顔を深め、丁寧に礼を言う。

 身体の力を弱め、僕に身を預けてきた。


「君が初恋の中にいたいと望むなら……僕も一緒に、ここに留まることにするよ」


「また、優しいご冗談ですね」


 軽い脅しのように引き留めたつもりだった。

 けれどそうは受け取って貰えず、ただの冗談にされる。


 少女はこの言葉のどこまでが冗談だと思っているのだろう。

 僕は全て本気で言っているのに。


 片腕で少女の華奢な身体を抱き寄せ、空いた手で金色の髪をかき分ける。


「本当に、いいの?」


「はい、私が望んでいるんですよ」


 少女はすっかり腹をくくっているようだが、僕は中々そうはできない。

 恐る恐る、ゆっくりと首筋に顔を近づける。


「――私はきっと、あなたの夢を見るのでしょうね。あなたに……焦がれる夢を」


 触れる直前で、少女はそう呟いた。

 もう止めることはできないのだと、改めて悟る。


「……僕も今夜は、生まれて初めて夢が見れそうだ。――きっと、君の夢を見るよ」


 だから――だから。

 夢の中でくらい、君は欲張るべきだろう。


「だから――焦がれるだけの夢じゃなくて、結ばれる夢にしない?」


 藍色の目を見ないまま、まるで告白のような提案をする。

 最後だからだろうか、ちっとも恥ずかしくなかった。


 いいですね、と少女の嬉しそうな返事が帰ってくる。

 その一言で、ようやく決心がついた気がした。


「……じゃあ、おやすみ。いい夢を」


 優しく声をかけ、最後にそっと金色の髪を撫でる。

 それから細い首筋に、少女が気に入ってくれた牙を立てた。


 口の中に、少女の甘さが広がる。

 何故か泣きそうになって、慌てて目に力を入れた。


 脱力した少女は、今頃甘い夢を見ているのだろうか。

 その夢の中に、僕はいるのだろうか。


 ――夜が明けるまで……いや、夜が明けたってこうしていよう。


 心の中で、そう呟く。

 たとえ灰になろうとも、少女の身体を離したくなかった。


 ――温かい夜が明ける時、最初で最後の夢を見る。

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きっとあなたの夢を見る 天井 萌花 @amaimoca

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