第4話 夜空の旅
今日も開いた窓に近づくと、ぼーっと景色を眺めている少女の姿が見えた。
そろりと距離を縮めても、彼女の視線は動かない。
「来たよ」
窓枠に腰かけて、そっと声をかけてみた。
「吸血鬼さん……今日も来てくださってありがとうございます」
静かに目を瞬いた少女が、僕を見てぼつりと呟いた。
鈴の音のような声には、いつもの明るさがない。
「元気ない?」
「……少し」
少女はきゅっと目を細めて唇を吊り上げた。
僕に心配をかけまいとしているのだろうが、その笑顔は無理をしているように見える。
「何かあった?」
「……はい」
小さな口は、短く返事をするだけで閉じてしまう。
悩みや嫌なことを僕に吐き出そうとは、思わないらしい。
どうすれば目の前の少女を元気づけられるのだろうか。
と、思考が勝手にその方向へ動いた。
少し考えて、昨夜の言葉を思い出す。
「……空を飛ぶ夢が好きなんだっけ」
「はい。楽しいので」
ちょっとごめんね、と声をかけ、部屋の中に足をつける。
少女の前に立つと、身長の違いに驚かされた。
見降ろさずに済むように、その場にしゃがむ。
「今からでかけない? 夢のような体験を、させてあげられるかもしれないよ」
「夢のような、体験……?」
丸くなった目の奥に、確かな興味が見える。
深く頷いてから、目の前の少女に手を伸ばした。
「エスコートしますよ、お姫様。――なんてね」
自分でも変だなぁなんて思えて、笑ってしまった。
歪んだ唇から牙が覗いても、少女は決して怖がらない。
「……ありがとうございます!」
むしろ嬉しそうに笑って、僕の手を取ってくれた。
「じゃあ、行こっか」
立ち上がって、空いた手で少女を抱き寄せた。
少女は驚いたように目を丸くするが、我慢してもらおう。
細い身体をしっかりと抱き締め、窓から外へ出る。
「きゃっ!?」
途端に落下運動が始まり、少女の口から小さな悲鳴が漏れた。
小さな身体、恐怖で更に縮こまった。
「大丈夫だよ」
優しく声をかけてから、両翼を大きく広げて羽ばたく。
急に勢いがなくなり、ぐらついた少女のドレス裾がふわりと舞った。
抱き締めるだけでは少々心もとないため、お姫様抱っこのように少女を抱え直す。
いつものように翼を動かすと、問題なく飛ぶことができた。
くるくると城の周りを飛んでから、夜の街へ羽を伸ばす。
民家の屋根すれすれや高い場所を不規則に飛び回ってみる。
「どう? 本当に空を飛ぶのは」
街を見下ろす少女の頬は紅潮していて、気持ちの高まりを感じさせる。
その表情だけで、僕の案が正解だったことはわかった。
「……夢より現実的で、少し怖くて――とっても素敵です!」
感嘆の息を漏らした少女の瞳は、星空のように輝いている。
「大丈夫? 怖いならすぐ部屋に戻るよ」
「いえ、まだこうしていたいですそれに――」
景色に見とれていた視線が、まっすぐに僕に向けられた。
綺麗な顔に、楽しさとはまた違った笑みを浮かぶ。
「吸血鬼さんが一緒なので、怖くありません!」
「……ふははっ、さっき怖いって言ったのに」
「最初が少し怖かっただけです!」
少し意地悪するつもりで言うと、少女はわざとらしく唇を尖らせた。
日を追うごとに心を許してくれているのか、色々な表情を見せてくれる気がする。
「ごめんごめん。ほら、折角出てきたんだから、僕じゃなくて景色を見なよ」
「はい」
僕に注がれていた視線が、素直に外へ向く。
けれど僕は、彼女から目が離せなかった。
楽しそうに笑う横顔をずっと見ていたくなる。
「余所見は危ないですよ」
視線に気が付いたらしく、小さな声で注意されてしまった。
「わかった、ちゃんと前見るよ」
惹き付けられる視線を無理矢理外し、見慣れた景色に目を向けた。
入れ替わりに少女が僕を見ているのか、視線を感じるが気にしないフリをする。
バサッと強く羽ばたいて高度を上げると、ぎゅっと抱きつかれた。
「え、ごめん……怖かった?」
「いいえ」
ちらりと少しだけ視線を向け、少女の様子を伺う。
言葉通り、あまり怖がっているようには見えない。
「こうしたかったから、しただけです!」
無邪気な明るい笑顔から咄嗟に目を逸らす。
どくどくと心臓が高鳴って、変な気分になった。
夜の空気は、今日も冷たい。
そのはずなのに、何故だかどうしようもなく暑かった。
**
街を一周して、城へ戻る。
行き先は少女の部屋ではなく、一番高い屋根の上。
なんとなく、ここからの景色を見せたいと思った。
「高いですね……!」
屋根の上に降ろしてやると、少女は驚いたように呟いた。
支えなしでも足はしっかりとついているが――落ちると大変なことになるので、手は握ったままにした。
「でしょ。お姫様に会う前はいつもここから景色を眺めてだんた」
「だから上から落ちてきたのですね」
「正解」
頷いて肯定すると、少女は満足そうに笑った。
僕が少女の新しい顔を知った数だけ、少女も僕のことがわかってきているようだ。
「こんなところに連れてきてくださって、ありがとうございます。今までで一番素敵なエスコートでした」
「それは嘘でしょ」
少々大袈裟な物言いにクスリとしてしまう。
屋根の上は風が強く、少女の金色の髪を揺らした。
「でもよかった、笑ってくれて」
「ご心配をおかけしてすみません」
少女が僕を見て、困ったように笑った。
そこに無理をしている様子はなく、少し安心した。
少女は僕から視線を外し、再び街を見下ろす。
けれどやっぱり、僕は少女を見つめることしかできなかった。
「……私、もうすぐ結婚するのです」
何気ないことのように、ぽつりと衝撃的なことを口にした。
手の力が緩んで、僕より少し小さな手を離してしまいそうだった。
「え、そうなの? お姫様、今いくつ?」
「もうすぐ17になります」
「若っ!?」
若いことはわかっていたが、改めて聞くと驚いてしまった。
自分と何倍の差があるかは考えないようにしておく。
「若いねぇ……人間ってそんなに早く結婚するんだ」
「私は少し遅い方だと聞きます。数日前に話を聞き……今日、その話が具体的になりました」
早い者は一体いつ頃結婚しているのだろうか。と気にならないわけではない。
けれど僕にとっては、そんなことよりも目の前の少女の方が大事だ。
「結婚したくないの?」
「……気づかれてしまいましたか」
夜の街を眺めたまま、少女は困ったように笑う。
あんなにうかない顔をしていれば、当然気が付く。
「何で?」
「相手の方とは、会ったこともないのです」
少女の顔がまた曇ってしまった。
政略結婚とかいうものだろうか。
「初恋もまだなのに結婚なんて、おかしいと思いませんか? だから嫌だったのです」
「なら、やめちゃえばいいじゃん」
「そういうわけにはいきません!」
僕の物言いは、流石に適当すぎただろうか。
怒ったように少女の声が強まった。
「……でも、もう大丈夫です」
「何で?」
静かに目を閉じた少女が、吹っ切れたように言った。
今の話を聞く限り、何も大丈夫そうではないのだが。
少女は真っ直ぐに僕を見て、安心させるように微笑んだ。
細められた藍色の目が、愛おしいもののように僕を見る。
「最後に、とっても素敵な恋ができましたから」
優しい笑顔は、妙に大人びて見える。
可憐な少女の手握る僕の手に、思わず力が入る。
こうしていないと、夜風に攫われて消えてしまう気がした。
「――そっか。なら……よかったね」
恋をしたのなら、その相手と結ばれたいんじゃないのか。
本当は、そう聞きたい。
けれどどう足掻いても叶わない願いを少女に提示して――小さくも強い覚悟を崩すなんて、僕にはできなかった。
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