第3話 吸血鬼は夢を見ない

 月と星の明かりだけ降り注ぐ、静かな夜。

 孤独な空へ羽ばたいた僕は、真っ直ぐに街の中心を目指した。


 今日も大きな窓が開いているということは、少女は起きているようだ。

 すぐ近くで減速し、窓枠に腰かける。


「吸血鬼さん! 本当に来てくれたのですね!」


「行くって言ったところだからね」


 街を眺めていたらしい少女は、僕を見ると無邪気な笑顔を浮かべた。

 こんなにも嬉しそうにされると、来てよかったと思える。


「今日も眠れなかったんだねぇ……あれ」


 少女の顔を見ると、目の下に浮かんでいたくまが消えていることに気が付いた。

 顔を近づけて眺めてみると、瞼にうっすらと色が乗っているのが見えた。


「……化粧してる?」


「は、はい。顔色が優れないからどうにかすべきだと、メイドがしてくれたのです……」


「そうなんだ」


 そっと頬を撫でると、柔らかい肌に粉をはたいていることもわかる。

 寝不足が容姿に影響したのだろうか。


「見た目をよくするのは大事だと思うけど、夜は落とした方がいいんじゃない? 化粧って肌荒れるんじゃなかったっけ」


「吸血鬼さんっ! まずは手を離していただけませんか!?」


 ぎゅっと目を閉じた少女は、焦ったように大きな声で言った。

 言われて初めて、無意識に触れていたことに気づく。

 化粧が物珍しくて、顔も触れそうなほど近づけてしまっていた。


「あ、ごめん」


 顔に触れられるのは流石に嫌だったのかもしれない。

 ぱっと手を離すと、少女はすすすと僕から距離を取ってしまった。

 その頬は真っ赤に染まっていて、また可愛らしいと思えてしまう。


「い、いえ、大丈夫です」


「化粧、落とさないの?」


 気まずそうな顔を晴らすべく、すぐに話題を戻す。

 少女は少し残念そうに眉を下げて、「嫌です」と声を漏らした。


「何で?」


 僕が聞くと少女は赤くなった頬を抑え、静かに俯いた。

 きゅっと引き結んだ唇がゆっくりと動く。


「……あなたには、綺麗な姿を見られたいのです」


 視線だけでこちらを見た瞳が、熱を持って潤んでいるように見える。


「お姫様はそのままでも可愛いよ」


「お優しい冗談ですね」


 僕の言葉はお世辞と受け取られたのか、少女は熱い目を細めて笑った。

 本当のことを言ったのに。

 

「私のことより、あなたのことです! 私は吸血鬼さんのことが気になります!」


 ぱっと気持ちを切り替えたらしい。

 少女は目をキラキラと輝かせ、僕の隣にやってきた。


「吸血鬼さんは、吸血鬼なんですよね?」


「そりゃあなら吸血鬼でしょ」


 なんとなくおかしくて、笑ってしまう。

 吸血鬼さんと呼んでいる時点で、僕がそうであると確信しているんじゃないか。 


「私が決めつけているだけかもしれませんから。実際あなたは私をと呼びますが、私は姫だなんて一言も言っていません」


 確かに言ってはいなかったが、違うはずがないだろう。

 今日も華奢な身体を上質なナイトドレスが包んでいるし、高級そうな家具の置かれた部屋は一人で使うには広すぎる。


「あれ、違った?」


「……合っていますけど」


 肩を竦めて聞くと、少女は不満そうに軽く眉を寄せた。

 ちょっと意地悪な質問だったかもしれない。

 あまりのわかりやすさに、更に笑ってしまう。


「あなたはどうなんですか? 吸血鬼で合ってるのですか?」


「合ってるよ。よくわかったね」


 藍色の瞳が真剣に見つめてくるから――観念して少女の言葉を肯定する。

 少女は一瞬目を丸くしてから、嬉しそうに胸を張った。


「吸血鬼は人の姿をしているが、蝙蝠のような翼を持っていると読んだことがあるので」


「へぇ、当たりだ」


 書物で読んだ特徴から、僕の正体を言い当てたのか。

 有名な書物なのか、少女が読書家なのか。

 僕達の姿は、意外と正しく記録されているようだ。


「今日は吸血鬼さんについて勉強していたのです。」


「勉強? 偉いね」


 僕なんかについて学んで何があるのか、というツッコみはおいておいて。

 嬉しそうに話す少女の声に耳を傾ける。


「あなたに会うまで、実在しないと思っていましたから。好奇心が止まりません!」


「やっぱり架空の生き物だと思われてるんだ。全然いまーす」


 おどけて言うと、少女はクスリと笑った。

 くるりと僕に背中を向けたかと思うと、早足で本棚へ向かい、分厚い本を抱えて戻って来る。


「調べたことが本当かどうか、確かめさせていただけませんか?」


「いいよ? 答えられないこともあるかもしれないけど」


 さらりと頷くと、少女はますます嬉しそうに笑う。

 まるで観察物のように扱われるのは、あまり気が進まない。

 けど――少女に僕のことを知ってもらうのは、不思議と悪い気はしなかった。


「翼があるのは、本当でしたよね。牙も……昨日見えました」


「うん、あるよ」


 唇の端に指をかけ、ぐいと引っ張ってみせる。

 好機に満ちた視線が口元に注がれるのは、なんだかくすぐったい。


「暗い赤色の目をしているというのも、本当なのですね。とても綺麗です」


 少女が視線を動かし、バチッと目が合った。

 うっとりしたように細められた藍色を見ると、心臓が変な音を立てた。


「では、日を浴びると灰になってしまうというのは」


「本当だね。死体が残らないから実在しないと思われるんだ」


「では食料が人の血というのは」


「まあ本当。他の物も食べられるけどね」


「では吸血鬼に血を吸われると死んでしまうというのは」


「半分本当かな。吸いすぎたら死んじゃうけど、ちょっとなら大丈夫だよ」


「では――」


 本のページを捲りながら、少女はどんどん質問を投げかけてくる。

 時々誇張しすぎたものや全くの嘘もあるが、大抵は真実が書かれていて驚いた。

 僕の答えは短く簡潔で、決して面白いものではないが……少女は嬉しそうに頷いてくれた。


「――では吸血鬼に血を吸われる時、素敵な夢を見れるというのは?」


「……どうだろう。痛いと逃げられるから、快楽が伴うようになってるらしいけど」


 わかんないなぁ、と笑うと、少女は不思議そうに目を瞬いた。

 僕自身のことなのだから、当然何でもわかると思っていたのだろう。


「夢って、寝てる間に見る映像みたいなやつでしょ? 僕は夢なんて見たことないから、わからないや」


「そうなんですか?」


 吸血鬼は、夢を見ない。

 文字通り死んだように眠るから、映像なんて見ている暇がないのだろう。


「夢ってどんな感じ? 面白い?」


「面白いですよ! 現実ではありえないことだって、私も皆も、真面目な顔で受け入れているのです。日によって違った体験ができるんですよ、私は空を飛ぶ夢が楽しくて好きです」


 ほんの小さな好奇心でした、どうだっていい質問。

 少女はそれに真面目に、楽しそうに答えてくれた。


「それは、確かに面白そうだね」


「でしょう? もう、暫く見ていませんが」


 藍色の瞳が一瞬だけ、ふっと曇った。

 夢は眠っている時に見るものであるから、そもそも睡眠をとっていない彼女は見ることもなくなったのだろう。


「そこまで言われると、僕も見てみたくなったよ」


「もし見られたら教えてくださいね!」


 両手を合わせた少女が「吸血鬼さんが素敵な夢を見られますように」なんて呟く。

 願うなら、自分が寝られるように願えばいいのに。

 ほぼ無意識に、優しい少女の髪を撫でそうになって――自分でもよくわからないまま、伸びかけた手を抑えた。

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