第2話 ひとりぼっち明け

 日が沈んで皆が家へ帰った、更にその後。

 人間達が皆寝静まり、街ごと音を立てなくなった後。


 今日も僕はひとりでに目を覚ました。

 外へ出て月明かりを浴びながら、ぐっと身体を伸ばす。

 昨夜のことを思い出すと、ほぅっと息が出た。


 恐らく本当の姫君なのだろう、お姫様のような少女。

 考えれば考えるほど不思議な人間で……僕の頭はすっかり、少女に支配されていた。


 翼を広げ、夜空へ短い旅に出る。

 静かな街を見下ろしても、やっぱり少女のことを考えてしまった。


 人間は昼に活動し、夜は眠るはずだ。子供や位の高い者は特に。

 なのに日付を跨いでも目をぱっちりと開けていたのは、何故だろう。

 全く眠そうに見えなかったが、昨日はたまたま眠れない夜だったのだろうか。


 もやもやと考えながら飛んでいると――いつの間にか、城のすぐ側まで来てしまっていた。

 いつもの癖だろうか。はたまた、今日も少女に会おうとしているのか。


 わからないままに翼を動かし、城に沿って上っていく。

 ……どうせ、今日は眠っているだろう。

 今頃少女は窓の閉めた風の通らない広い部屋で、すやすやと寝息を立てているはずだ。


 わかっているのに、視線が勝手に開いた窓を探す。

 そして昨日と同じ位置に、大きな窓が開いているのを見つけた。


 起きていてもバレないよう、そっと覗き込んだのに。

 少女は今日も景色を見ていたようで、すぐに僕を視界に捉えた。


「あ、吸血鬼さん!」


 じっと僕を見た藍色の瞳が、きらきらっと輝いた。


「……こんばんは」


 控えめな挨拶を返すと、少女は嬉しそうに笑った。

 それからそっと、手招きしてくる。

 近づくべきではないとわかっているのに、引き寄せられてしまう。


「お姫様はこんな遅くまで何してるの?」


 仕方なく近づいて、外を向いて窓枠に腰掛ける。

 顔だけを少女に向けると、ばっちり目が合った。


「あなたを待っていました。またお会いしたくて」


 会えて嬉しいです、と少女は笑う。

 花が咲くような笑顔に、つい見惚れてしまいそうだった。


「……夜更かしは健康に悪いらしいよ」


 僕が昼間眠っているのは、日を浴びると灰になってしまうからだが。

 人間が夜間に眠るのは、睡眠時間を取らないと健康に悪影響を及ぼしてしまうかららしい。


「わかっています。今までは早く寝て、日の光がこの部屋を満たす頃に目を覚ましていました」


 この大きな窓は、朝日の方角を向いているようだ。

 日が昇ると、眩いばかりの陽光が差し込むのだろう。


「じゃあ、どうしてこんな時間まで起きてるの?」


「……眠れないのです」


 少女は大きな目を少し伏せ、重い声で答えた。

 言われてみればその目の下には、うっすらとくまが浮かんでいるように見える。


「最近、ちっとも眠くならないのです。初めはベッドに入り、眠気が来るのを待っていましたが――少しも眠れないまま。昨日から、もうそれすらも諦めてしまいました」


「……病気か何かなの?」


「わかりません」


 短く答えた少女の瞳が曇り、軽率に聞いたことを少し後悔した。


 どうすれば眠れるようになるのか。少女はどうしたいのか。

 何もわからなくて、かける言葉を見失う。


「気を遣わないでください。夜の景色を眺めるのも楽しいですから」


 言葉を探している間に少女が口を開いた。

 小さく首を振ってから、笑みの形に細めた目で僕を見る。

 楽しいと言っているのに、その表情はどこか悲し気に見えた。


「――本当に楽しい?」


 少女はぱちぱちと目を瞬き、こてんと首を傾げた。

 少女から外した視線を、広がる街に向ける。

 今日も明かりのひとつもついていなければ、誰も起きていないようだ。


「夜の街は誰もいないみたいで、寂しくならない?」


 少女に視線を戻しても、目は合わなかった。

 ようやく僕から目を離し、同じように街を見下ろしている。


「……なりますよ。本当は、寂しくて寂しくて仕方ありません」


 伏せられた目は、どこまでも悲しそうな色に染まっていた。

 昼間を知らない僕と違って、少女は本来の賑やかさを知っている。

 こんな顔をするのは無理もないだろう。


「そんな時あなたに出会えて――嬉しかったんです。私だけじゃないんだと、安心してしまいました」


 深い藍色が再び僕を映す。

 今度は温かい色をしていて、その笑みも柔らかかった。

 熱を持った綺麗な表情を見ていると、何故か笑えてきてしまった。


「ふはっ、だからって、僕なんかにそんな顔する?」


「わ、私、おかしな顔になってますか!?」


 笑われたせいで不安になったのか、少女は赤くなった頬を両手で覆った。

 可愛らしい仕草に、ますます笑いが零れてしまう。


「ううん、おかしくないよ。可愛い」


「ええっ?」


 赤くなっていた顔が、更に染まっている。

 まん丸な目で僕を見た少女も、ふふふっと笑いだした。


「吸血鬼さんも、可愛らしいです」


「僕? どこが」


 控えめな声に思わず聞き返してしまう。

 顔立ちの整った少女は、何もしていなくたって可愛らしいと言えるだろう。

 一方の僕は、人間でいうと成人男性くらいの容姿をしている。

 そんな僕のどこに可愛らしさを見出したのだろうか。


「不快でしたらすみません。笑うと口の端に牙が覗くのが、素敵だなと」


「そうなんだ。褒め言葉として受け取っておこうかな」


 褒めてるに決まってます! と、少女は少し大きくした。

 昨日はどちらかというと落ち着いた印象を受けたが、意外と子供っぽい子なのかもしれない。

 嬉しそうに声が弾んでいるのは、それだけ寂しかった証か。


「……眠れない夜は、窓を開けておくといいよ」


「どうしてですか?」


 きょとんとした少女にしっかり目を合わせ、笑いかける。

 意識せずとも、優しい顔になれている気がした。


「僕が君の寂しさを、忘れさせてあげるから」


 少女の瞳が、満月のように丸くなって――その中に、キラキラッと光が舞う。


「……ありがとうございます! 寝るのが惜しくなってしまいますね」


「いや、寝れる時はちゃんと寝るんだよ?」


 僕が呆れたように返すと、少女はころころと楽しそうに笑った。

 その笑顔を見ると――早く、夜が明ければいいのに。と思った。


 僕達は、本来決して交わらないはずなのに。

 何故か、孤独な夜を過ごしてほしくないと。

 少女にはこうして笑っていてほしいと、強く思ってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る