おつきさま

しゃむ

第1話




 家族でちょっといい夕食に出かけた帰り。街灯が地面に濃く影を映し出す頃。その日は満月だった。

 美月は、後部座席で後ろの窓から景色を見るのが最近のブームらしい。

 チャイルドシートにも座らずシートベルトも外して立膝スタイル。考えたくはないが――万が一のことがあるだろう。危ないから座っていなさいと注意しているのだが、これがいくら言っても聞かないんだよなぁ。

 まさしく今もそのブームの真っ最中。何か良い手がないものか……。


 神社を少し通り過ぎた赤信号で止まる。この時間帯になると車も人通りも薄くなり、鈴虫の声だけが住宅街に響いていた。八月末、秋の気配を感じる一方、この時期にしてはやけに涼しくて窓を開ければ車内の冷房もつける必要がないくらいだった。神社が背後にあるからか、霊感が無いながらに不気味な感じがした。

 まぁ……素人の勘なんて当たるわけが無いのだけれど。


「ねぇおかーさん。つき!」

「月?あら本当、今日は綺麗な満月ね」


 娘がそう言うと、助手席の妻が左に顔を向け、空に浮かぶ月を見た。赤信号で停車している間、ありもしない杞憂を振り払うように俺も妻に続いて少し早めの月見を楽しんだ。

 

 そしてLEDの光が青に変わり、ゆっくりアクセルを踏みこむ。


「ねぇおかーさん、なんで月はついてくるの?」

「そうねぇ、美月ちゃんのことが好きなんじゃないかしら。ね、お父さん?」

「はは、そうだね」


 月かぁ。そういえば、俺も子どものときに同じことを思ったなぁ。親の運転する車のなかで、景色はあっという間に流れていくのに月だけはゆっくり、ずっとついてくるんだ。

 懐かしい。親の立場になると子どもの頃の記憶も娘に引っ張られて出てくるよな。


「(……?)」


 娘の様子を確認しようと見やったバックミラー越し、ふとした違和感。

 その違和感は車の走行距離と比例して徐々に膨らんでいく。妻はすぐに夜空の月へと顔を向けてしまい、きっとに気付いていない。


「そっか、みつきのお名前にも“つき”って入ってるもんね!」

「お、賢いね!そうよ、美月ちゃんのお名前には『お月さまみたいに美しくていい子に育ちますように』って想いがこもってるのよ。みーちゃんはお月さま、好き?」

「うん、すきー!」


 なんて微笑ましい情景だろう。あぁけど、やはり、気になってバックミラーを何度も確認してしまう。

 

「……みーちゃん、さっきから何を見ているの?」

「おつきさまだよー」


 耐え切れずに俺がそう聞くと、妻も続いてバックミラーをちらりと見た。そして気付いたのだ。

 ――娘がバックドアガラスしか見ていないことに。


 俺たちは一瞬だけ目を合わせた。だっておかしいだろう。月はに出ているのに、後ろの窓を眺めているなんて。娘の頭はまっすぐ、車が風を切った道の方を向いている。

 さっきからずっとそうだった。月になんて目もくれていないのに、何故「月がついてくる」なんて……。


「ねぇ、おつきさまどんどん大きくなってる!」


 大きく、だって?


 当然俺にはそんなもの見えていない。運転中だが妻に目配せすると妻は首を横に振った。車内の和やかな空気は、娘を除いて一変。子どもならではの比喩表現か?いや、とにかく――。


「みーちゃん、お月さまはこっちだよ?ほら、お空に浮かんできれいでしょ?」

「ちがうよ?白いまんまるおつきさま、こっちだよ」


 娘は後ろを迷いなく指差した。


 ――とにかく、逃げた方がいい。直感的にそう思った。


「……みーちゃん、ママたちには何も見えないよ」

「えー!みーちゃんだけとくべつ?やっぱりみーちゃんのことすきなんだ!」


 そんなはずは。……そう否定したくても、どちらも何も答えられない。

 

 アクセルメーターの針は”30“の標識を無視して右へ右へ。


「あのね、まんまる、じんじゃから出てきたの」

「神社?いつも初詣行ってるとこ?」

「うん!さっき止まったとき!」

「……ねぇあなた、あそこ、何祀られてるんだっけ」


 妻が俺に問いかける。そう、さっきの信号付近で通りかかった神社。家から一番近いから毎年初詣でお世話になっている神社だ。

 あくまで縁起事としての習慣なだけであって、神だの幽霊だのを信じているわけではない。むしろ見たことなんてないのだから信じていないに等しかった。だがしかし、娘の言う“月”が本当に神社から出てきたとすれば……。


 まさしく顔面蒼白。記憶の片隅に散らばるピースを繋ぎ合わせていくたびに冷や汗が背中を伝う。そして、先程振り捨てたはずの底気味悪さに頭が侵食されきった頃。


「…………月。月の、精霊……」 

「わ、もうさわれそうだよ――」


 俺らは思わず振り返った。娘は心奪われたように窓に向かって手を伸ばしている。

 すると見えたんだ。

 ――窓いっぱいに、白くて大きな、『お憑き様お月様』が。



 ピカッと横から差した眩しい光とけたたましいクラクションにハッと前を向く。視界の隅に捉えたのは――青信号。だが、その刹那――。


「みーちゃん、ダメ!!」


 ――ガシャン、パリン――ガガガガッ――。





 *****





『――昨夜、〇〇市で軽車両とトラックの衝突事故が発生しました。軽車両は横転、後方が酷く破損しており、両親とトラック運転手が軽傷、娘の美月ちゃんが頭を強く打ち死亡しました。当時美月ちゃんはチャイルドシートに座っておらず、事故原因について警察はトラック側の信号無視とみられるとのことです。……次のニュースです――』 



 ――娘は。娘だけ、連れていかれてしまった。

 不幸な事故。警察にはそう片付けられたが、が――奴がやったに違いない。あの神社に祀られているのは月の精霊だ。俺が最後に見たのはきっと……。

 娘は魅入られてしまったんだ。


 仏壇やお墓に手を合わせても娘はきっとそこに居ない。もう俺たちには何も残されていないんだ。……でも、あの神社には娘が居る気がして――。


 なぜ娘を連れて行った。なぜうちの子が。許さない。美月はお前のものじゃない――。


 今日も俺たちは本堂に手を合わせる。憎しみと悲しみが入り混ざった涙を流しながら、熱心な信者のように。


 娘を返してくれ、物よ。










 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

おつきさま しゃむ @nekocat222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ