第28話 最後のジャーナリズム



 望は重い瞼をゆっくり開けた。目の前にはホテルの天井が見えた。体を起こすと、奥のソファーに黒澤が座っていた。

「あ、起きましたね。良かった。」

 「ついていてくれたのね。今何時?」

 「今は午後八時です。一応鳥羽さんに連絡できます?心配してたので。」

 望は枕元にある携帯に手を伸ばした。鳥羽からメールが入っていた。


 川本さん、無理をさせてすみません。起きたら連絡を下さい。今警察で間島を確保しています。安心してください。

 間島は事件のことは何も話そうとしません。しかし、川本さんと話がしたいと言っています。警察は判断を川本さんに託すつもりです。自分の体調や心と相談して決めてください。俺らはいつまでも待ちます。


 望は無言で着替えた。黒澤は望をじっと見守っている。望は身支度が終わると一呼吸ついて、鳥羽の携帯を鳴らした。鳥羽はすぐに出た。

 「迎えに来ていただけますか。」


 鳥羽に連れられ警察署に着いた。間島は面会室という場所に来るようだ。面会室はまるで囚人と面会するような中央に硬いガラスの仕切りのある部屋だった。

 望の胸はもう痛まなかった。代わりに氷水に心臓を付けたような芯が冷える感覚と、冷静さ、異常な口の渇きに襲われていた。十分ほどすると刑事に囲まれた間島が入ってきた。

 望は息をのんだ。

 「先日はありがとうございました。改めまして文能社の川本と申します。まさかあなたが間島さんだとは思わずに、今日はお会いできてうれしいです。」

 「間島です。西田先生の振りをしていてすみませんでした。川本さんでないと僕はうまく話せないだろうと思って、わがままを言いました。」

 「いいえ。いつかお会いしたいと思っていました。ゆっくりでいいので話していただけますか?」

 「はい、理子の日記は読みましたか?

 あの内容はすべて事実です。男の子二人は理子がみているまえで殺しました。処理も理子が教えてくれた方法でしました。骨はずっと僕が持っていました。理子に頼まれたのです。

 僕は理子に会う前に父から手を出されていました。父は教師として立派でした。しかし母が病気になり、それと同時に最期は好きな人と過ごしたい、と過去の恋人の元へ行ってしまってから、父は可笑しくなりました。毎日毎日母のような女性、やがては女性に対して嫌悪を強く示し、悪態をつき続け、女性そのものを憎むようになっていました。

 ある日父は僕に、お前は子供に関わる仕事に向いていない、俺らみたいな親から生まれてまともな人間になれるわけがない、と言いました。幼かった私は父のその言葉に言い返せずただ泣いていました。父は僕が泣いている姿をみて母を思い出したのでしょう。僕は母にそっくりなんです。父からしたら僕がごめんなさい、ごめんなさい、と泣く様子が、母が自分に謝罪をしているように感じたのかもしれません。

 その日から父の虐待が始まりました。毎日定時に帰り、父は僕に手を出し続けました。次第に大きくなる僕をみて罪悪感が強まったのでしょう。

 僕が父の身長を超すと父は酒におぼれ始めました。その頃の僕は高校生でアルバイトもしていました。少しずつ自分で学費を貯め、父の進める大学とは違う保育を学べる大学に進むことにしました。

 結果、父はますます酒に溺れ、ついに僕の貯めていた貯金を使い込みました。

 その時僕は初めて殺意というものを感じました。

 次の日僕は大量の度数の高い酒を買い込み、適当なことを言って父に呑ませました。父は僕が大学を諦めたのだとひどく喜んでいつもより多く酒を飲みました。アルコール依存症だった父は酔っぱらうと気が大きくなり判断力を鈍らせていました。なので僕は運転を教えてほしい、と言いました。父は酔った状態で運転をすると言いました。教えを乞うと機嫌がすごくよくなるのです。免許を取り立てだった僕は普段よりわざと下手に運転し、怖がった振りをして、道端に車を止めました。

 父は気が大きくなったまま運転を変わると言い出しました。僕はこっそりアクセルに特殊な接着剤を塗りました。そして父が運転席に座り、勢いよくアクセルを吹かすのを見た僕はそのまま道端に立ち、父が運転する車を見送りました。そこは田んぼ道だったので、夜でも父の車が見えました。

 すぐに炎が見えました。僕は走って炎を見に行きました。父の車は田んぼの畔に経っていた大きな倉庫に激突し炎を上げていました。車の前は完全に潰れていました。 僕はそのまま家に帰りました。接着剤は完全に炎で燃えたのでしょう。父の件は事故と判断されました。

 そこから僕は父が亡くなったことで受け取った遺産で保育の大学に進みました。そこで施設の人から声を掛けられ、あの陽だまりの家でバイトを始めました。あそこの施設では鷹島くんと、森本くんの問題行動で先生たちが皆困っていました。

 僕も何度も注意し、改善するように彼らに伝えましたがなかなか言うことを聞きませんでした。

 そこへ理子がやってきました。西田先生も。西田先生は僕の心の弱い影にすぐに気が付きました。そして話を聞いてくれました。僕は彼を一番の友人だと感じていました。僕はある日運動倉庫で鷹島くん、森本くん、理子の三人があの行為をしているのを目にしました。

 その時、急いで止めましたが、二人が出て行ったあと理子がこう言ってきたんです。

 私を守ってほしい、って。僕は自分より弱い存在を守りたいと思って大学に進みました。理子がアルバイトの僕を頼ってくれたのは本当に嬉しかったのです。その時から理子とはよく一緒にいるようになりました。自分のことや、理子の話を聞いたりしているうちに僕の心が軽くなるのが分かりました。西田先生も力になってくれました。

 しかし理子に対しては少し忠告してきました。彼はどうやら僕に好意があるようでした。彼というのは西田先生です。ある日理子が僕に、あの二人にまた襲われたと話しました。もう生きていけない、と。その言葉を聞いた僕は理子に何をしてほしいか聞きました。理子は消してほしいんだと頼んできました。今思えば理子はあと数日で施設を出る予定だったのだから、それまで守ってやればよかったんです。しかし僕は理子を守りたい、それしかありませんでした。

 結果理子が二人を呼び出し、僕が殺しました。理子が安心できないから、と目の前で二人を解体しました。すべてが終わると、理子は秘密を守るようにと言いました。 大きくなったら私が迎えに来る、だからそれまでこの秘密を守ってほしいんだと。 なのでその通り僕は二人の体を自宅に保管しました。ばれないように。理子が施設からいなくなってからは本当につらかった。僕を支えてくれる存在がいなくなったと思いました。でも時々西田先生が会いに来てくれました。西田先生との時間は苦痛ではありませんでした。

 しかしある日先生が僕に直接好意を伝えてきました。僕は当然理子が迎えに来るのが分かっていたので、今は一人がいいと答えました。先生も僕と恋人になりたいわけではなく、ただ支えて助けたいんだと言いました。西田先生の気持ちを知ってからも僕らの関係は何も変わりませんでした。

 ある日、ついに隠していた彼らが見つかってしまいました。僕は先生といるとき以外はやる気が出なかったので近所の人がひどく心配して様子を見に来てくれていました。その人が見つけてしまったのです。

僕は必死に理子との約束を守るために気が狂ったふりをしました。大事な人のためなら他人を欺いたり、自分を傷つけることはとても簡単だった。

 僕は病院に行くことになった。嬉しかった。西田先生が見てくれることになったし、病院に行くと会いたかった理子もいました。本当に幸せでした。理子から僕にプロポーズをしてくれたんです。僕は嬉しくて嬉しくて、理子になんでも上げるつもりだったし、理子と死ぬまで一緒にいたいと心から思いました。だってこんな僕に結婚してほしい、死ぬまで一緒にいようと言ってくれる人なんか理子以外には居ませんでしたから。そんな僕に先生がある提案をしてくれたんです。もっと自由に生きていけるようにしてあげるって。整形手術を受けるという意味でした。先生は僕が母に似たこの顔のせいで父から虐待を受けていたことを知っていましたし、別人になることで理子と普通の生活ができるようになると背中を押してくれました。僕は手術をしてくれる先生に、西田先生と同じ顔にしてほしいと言いました。西田先生は初め驚いていましたが、僕が恩返しのつもりで提案したこと、また理子が尊敬している人の顔になることでより二人の繋がりが深くなると言うと、先生は泣いて喜んでくれました。

 手術は成功し、ほとんど西田先生と同じ顔になることができました。このことは先生の計らいで病院でも内密にされ、僕らの秘密が周囲にバレることはありませんでした。外泊訓練が始まり、理子が僕とそういうことをしたいと言ってきました。当然です、夫婦ですから。でも僕はまだ父の存在が頭にあった。僕にとってそういう行為は苦痛だった。でも理子はそんな僕を救うために自分の体で教えてくれたんです。どうしたら幸せになれるのか僕はわかりました。

 でもある訓練の日、理子と僕がそういう行為をしているところを先生に見られてしまった。僕は行為中嬉しくて涙を流してしまうのですが、それを見た先生は理子が僕に酷いことをしていると思ったみたいでした。

 何度も洗脳されているんだと言われましたが、僕は理子を一番信じていたので、先生には全く耳を貸しませんでした。

 でもこれが良くなかった。先生は次第に理子に僕とのことを言うようになりました。でも理子はこう言っていました。私が先生と話をして誤解を解くから安心してほしい、って。だから僕はその言葉を信じていました。

 あの日、いつものように先生が僕を理子のアパートまで送ってくれた。僕が玄関を開けると理子は居なかった。

 先生に理子のことを聞くと、僕のためだった、と言い続けました。僕ははっきり言わない先生にイラついて、先生と揉み合いになりました。すると先生のバックから、見慣れた理子の日記が飛び出しました。他にも理子のものがたくさん。理子のものというより、僕と理子のものばかりが先生のカバンから出てきました。

 僕は理子をどこへやったのか聞きました。先生は黙って写真を見せました。そこには弱った理子の画像が映っていました。僕は衝動的に先生に飛び掛かり、気が付いたら先生は息をしていませんでした。先生の携帯から理子がいる場所を見つけ出し、理子を家に連れ帰りました。理子は僕との家が大好きでしたから。

 理子はひどく冷たくて意識も朦朧としていました。理子を家に連れて帰ると、僕にはある感情が浮かびました。強い解放感です。

 僕は二人からずっと支配されていたことに気がつきました。解放されて初めて二人のことを少し嫌いになりました。でも強く憎んだわけじゃありません。憎むこともまた支配だと思いました。

 僕はまず理子を整理しました。今まで理子にされてきた支配的行動を死んだ理子に返すことでやっと僕は本来の僕になりました。理子に返さないでいることは結局一方通行なままで終わってしまうから。理子は僕を父と同じように犯した。つらいことは気持ちいいことに変えると良いと。だから僕も同じことをした。理子は当時の父に触られる僕を再現させた。だから理子も僕にしたことを謝罪しているように整えてあげました。

 次に先生。先生は僕に好意があると言っていながら僕の顔を整形しました。僕が先生の顔になりたいと言い出したのが原因ですが、普通に考えれば自分の好きな人が自分の顔になってもつまらないじゃないですか。僕のことが本当に好きなら僕のまま生きていけるようにしてくれたはず。僕は顔を変え、別人として生きるように強制された。 

 これも支配です。だから先生が先生とわかるものはすべて消しました。自分と同じ顔をめちゃくちゃにすると、この世にこの顔は僕だけに、僕のものだけになった。そんなふうに一つ一つ解いていきました。

 気が付くと僕を支配するものがもう無くなりました。幸せとはこういう感情の時のことを言うのでしょうね。これが、僕がしたすべてのことです。理子は僕を支配し、西田先生を支配することに失敗した。先生は僕や理子を支配することに失敗した。僕は支配から解き放たれ、自由になった。

 理子が妊娠できない体だったことなんてもはやどうでもいいんです。そういう事情があっても僕らは必ず結婚していました。



 さて、今自由になった僕は何をしたらいいでしょう。理子がいたときはお互いのために尽くすつもりでした。本気でした。僕はここでもう一つ本気を出して川本さんにお願いがあるんです。

 

 僕の今話した内容をすべて記事にしてください。そうすることで、世の中は僕という存在に支配される。解放された僕は支配する側に回ることにしました。

 頼めますか?良かった。これで僕は僕らしい人生を手に入れることができた。」


 そう嬉しそうにほほ笑んだ間島はいきなり大きな口を開けて舌を噛み切った。血が、目の前の硝子盤に飛び散った。

 いきなりのことに周りの刑事たちは動けなかった。鳥羽刑事が大声で救急車と叫んでいる。

 間島は自分を支配していた人からはある意味逃れたかもしれない。しかし自分の中にある自殺衝動の支配からは逃れられなかった。 

 その状況はどうみても、それまでその自殺衝動を抑えていた人々の死によって間島が直進してしまった結果のようだった。望はただその光景を眺めていた。鳥羽に手を引かれ、その場を後にした望は、鳥羽を見ながらわずかに口角を上げていた。


 その三か月後、望は文能社の玄関で間島に言われた通りの記事をネットに公開した。

 文能社では出すのを止められたため、望は先ほど退職願を出してきたところだった。望が公開した記事はたちまち拡散され、様々な反応が寄せられた。

 タブレットを鞄に仕舞ながら、望は晴れ晴れとした表情で会社を後にした。

 電話が鳴った。みると黒澤だった。望は軽く舌打ちをして、彼をブロックした。

 さあこのままあの週刊誌の担当者と会おう。もうこれで望は自分の書きたい記事が書けるようになった。いっそこれまでのことを小説にしてしまおう。

 ひどく満たされ、幸せな気分だった。そんな望の後姿を鳥羽が煙草を咥えながら見ていた。鳥羽の目にはうすく涙が浮かんでいたが、それを隠すように煙草を消し、その場を立ち去った。






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支配生 池里 @ikeri08

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