あたたかな海

「気分はどうだ」

 影叫スクリーム討伐完了後、私は瀬名さんにおぶわれながら校舎を後にしていた。背中におぶされと言われた時は、さすがに恥ずかしさから抵抗したけど。戦闘後に一気に力が抜けて膝から崩れ落ちてしまったものだから、有無を言わさず担がれてしまった。

 あの後すぐに討伐隊員たちが駆け付けてきて、担任の保護と現場の後処理は請け負ってくれた。一応、こちらの現場に派遣されているという、宮野さんの指示を仰ぐことになるけど。私と瀬名さんは、このまま早々に本部に引き上げることになるだろう。

「あんま良く、は、ないけど。とりあえず耳はだいぶ落ち着いた」

 だからヘッドホンも外して、地声で会話している。聴覚が異常に働いてしまうのは極度の緊張状態にさらされた時が多いから、今はようやく気持ちが落ち着いてきた。

(安心しちゃうんだよな、瀬名さんの背中)

 子どもの頃だって、見知らぬおっさんの背中だったというのに。

 すぐ目の前に瀬名さんの頭がある。乱れてしまった髪に一筋、白いものが混じっていた。

「……瀬名さんさあ、なんでそんな小綺麗な恰好し始めたの」

 今日は瀬名さんからのお説教はない。だから私も、討伐とは関係のないことを話した。

「うち、そんな規則厳しくないし。討伐隊員上がりの人、内勤に異動しても身だしなみにこだわらない人多いのに」

「気持ちの切り替え」

「それだけ?」

 瀬名さんは少しの間黙ると、ゆっくりと語り始めた。


「……副長官に娘さんがいるだろ。紅と同い年くらいの」

「え、そうなの?」

 私みたいな一般隊員は、幹部クラスの人間と関わる機会はほぼない。だからそんな話をされても知らないし、瀬名さんが一体何を言おうとしているのかもわからなかった。

「いる。で、その娘さんが、最近一緒に歩くのを嫌がるんだと。お父さんは身なりがだらしないだとか、太っただとか言って」

「それで?」

 副長官の娘に対する愚痴が、一体何の関係があるというのだろう。

「紅も嫌がるかと思って」

「なんだそれ!」

 いや意味が解らない。つまり瀬名さんが白髪だらけだったり、服装を気遣ってなかったとしたら、私が文句を言うと思ったと?

「私が瀬名さんのこと、嫌がるわけないじゃん!」

「そうか?」

 家族を失って、ひとりぼっちになった私を、ここまで支えてくれた人を。そんなつまらない理由で嫌うなんてありえない!

 というか、やっぱり、その解釈なのか。瀬名さんにとって、私は。

「そもそも私、瀬名さんの娘なんかじゃないからね!」

「ほら、またそういうこと言うから。だからこんなおっさん嫌なのかと」

 私の正式な成年後見人は討伐隊オーダーそのものである。瀬名さんは単に、人一倍私を気にかけてくれているという……そりゃあ娘同然に、大事にしてもらっている自覚はあるけども。


「まあ、亡くなった親御さんだけが、紅の唯一のご両親だもんな」

「それはそうだけど、そういう事じゃなくてえええ」

 娘のように想われる。それは嬉しいけど、嬉しくない。こんな相反する気持ち、どうやったら伝わるというのか。

「……っていうか、宮野さんが言う通り、わたしがいるから討伐隊員やめたの?」

 瀬名さんに抱き着く腕に、思わず力を込める。私のことをどう思うかは、瀬名さんの勝手だけど。でも私が足を引っ張るような存在になるのは、絶対に嫌だった。

「それは違う。だいたい、言ってもやめてくれないなら、目が届く場所で戦ってた方が本当はなんぼか安心だ」

 一方的に守られる気はないけれど、でも、それなら。

「じゃあ、戻ってきてくれる?」

「それは無理。言っただろ、理由は別にある。年齢もあるし、色々複合的な要因だ」

「そんなの……」

「藍島ー、瀬名くーん。無事かー!」

 詳しい話を聞こうとしたら、宮野さんが駆け付けてきた。私は瀬名さんの背中の上で、小さく敬礼をする。


「おお藍島、無事みたいで良かった。詳しい話は後日聞くから、ゆっくり養生しなよ」

「ありがとうございます」

 労いの言葉に、また肩の力が抜けた。宮野さんは瀬名さんにも言葉をかける。

「瀬名くんも、久々の戦闘だったけどさすがだね。学校にいてくれて助かったわ」

 宮野さんの言葉に、そういえばと疑問が浮上した。

「なんで瀬名さん、うちの学校にいたの?」

「紅の担任の先生から呼び出し。お子さんから不必要なものを没収したから、保護者が取りに来いって。素行も悪いから、面談もしたかったらしい」

「あんっの、クソ担任!」

 怒り心頭の私をよそ目に、宮野さんはけらけら笑う。

「瀬名くん、お父さんしてるなあ。先生、保護者が討伐隊オーダーの人間だって知ってたんだかねえ」

 確かに学校に提出した書類の保護者欄は、瀬名さんになってるけど。それは個人ではない討伐隊オーダーそのものを書くわけにはいかなかったし、代表である長官の名前を書くわけにもいかないし、他に頼める人がいなかったからで。


「まあ学校からのお呼び出しも、可愛い娘のためならってことで」

「娘じゃなーい!」

 大好きな人の娘になること。それはきっと恵まれていることだろうけれど。

(大好きの意味が色々、こう、違うんだよなあ……)

 小娘の言う事なんか、本気にされないことぐらいわかっている。それでも、五年、十年先はわからないし。

「もういいから、大人しくしてろ。寝ても良いから」

 瀬名さんはため息をつきながら言った。それでも声には優しさが滲んでいて、ああ、初めて助けてもらった時も背中で眠ってしまったなと思い出した。

 落ち着いてきてはいたけれど、身を休めるならなと再度ヘッドホンを装着する。

 深海のような静寂が身を包む。

 聞こえるのは自分の心音。感じるのは、背中の広さと体温。

 あたたかな海に身を浸して、私はしばしの眠りについた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ディープブルー・コンプレックス いいの すけこ @sukeko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ