あの日も今も

「紅!」

 槍みたいな影が、私を貫く前に。

 確かな声が、私の名を呼んだ。

 音の洪水の中で、それだけははっきりと届いた。

「瀬名さん」

 真っ黒い槍が砕ける。教室の後ろ扉から飛び込んできた瀬名さんは即座に私の前に回って、影を叩き折った。

 両手には二本の光る刃。

 異能の力を私は飛び道具として放つけど、瀬名さんは自らの手で握る武器を生成する。

 こと近接戦においては、右に出るものなしと言われた人だった。

「無事か?」

 体に巻き付いた影を切断してくれる。のたうちながら影叫スクリームが悲鳴を上げた。

「ほら」

 ようやく自由になった手で耳を塞いでいたら、瀬名さんが自分の首に引っ掛けていたヘッドホンを渡してくれた。

「技術部から返却してもらった。休んでろ」

 一日ぶりに戻ってきた相棒。

 技術部員の皆さんは、いつも最速で点検と審査を終えてくれる。それでもたった一日手放しただけでも、こうして危機に陥ってしまった。

 間の悪さと、イヤホンを落としたミスと、己の聴力と周囲の無理解を、恨んだり呪ったり。そんなぐちゃぐちゃの気持ちを今、全部、遮断する。

 ようやく静寂という、安寧の海が戻ってきた。

 それでも聞こえる自分の心音をなだめて、呼吸を落ち着かせる。


 瀬名さんは私の状態を確認すると、一瞬で影叫スクリームへと意識を向けた。

 耳には隊標準装備のイヤホン。

 ヘッドホンを首にかけていたのは瀬名さんが使うためでなく、単に両手を空けた状態で運ぶためだろう。

 元々は、瀬名さんのヘッドホンだったんだけど。

(今はイヤホンだけで大丈夫なのかな)

 宮野さんが言うには、性能がアップしてるというし。

 瀬名さんも私と同じで、聴覚の機能が常人のそれとは違う人だった。何でも音を拾ってしまう私とは違って、瀬名さんは影叫スクリームの声だけを異常に感知してしまう。多分周波とかそういうのが関係しているんだろうという事だったけど、異能者に備わりやすい超感覚の実態は誰にもわからない。

 私に比べたら、だいぶ楽な部類だと瀬名さんは言っていたけれど、それでも連中の叫び声を浴びまくる討伐隊員としては対策は必要で。だから遮音性が高いこのヘッドホンを瀬名さんも使用していた。

 その愛用のヘッドホンを、私にくれた。

 教室の片隅で震えていた、小さな私に。

 あの日たった一人でとり残されていた子どもを救いに、瀬名さんは飛び込んできた。

 青い鏃のマークが入ったヘッドホン、真っ黒い防護服スーツ。構えた両手には異能のナイフが光っていた。背中には白抜きで二段に並んだ『討伐隊』と『ORDER』の文字。


 今はワイシャツの白い背中が、私を守るように立っている。黒い肩章のワイシャツも制服だけど、わかりやすく組織名の記載はない。表舞台で人々に、討伐隊オーダーだと視認される必要性が薄いから。

 瀬名さんに切り付けられ、一度引き波のように窓の外へ逃げていった影が、再び一斉に襲ってきた。

 無数に飛びかかってくる帯状の影の一本一本を、瀬名さんは光の刃で正確に捌いていく。空気が震えて、影は悲鳴を上げているのだろう。手に直に感触が伝わるからだろうか、切り裂くたびに瀬名さんは少し渋い顔をした。

(革靴でなんでそんなに動けるんだよ、意味わかんない)

 どういうわけか学校に、オフィススタイルで乗り込んできた瀬名さん。激しく運動することを想定していない格好で、現役時代と何ら遜色のない動きで影叫スクリームを圧倒している。

 無駄のない動きは美しく、躊躇いのないナイフ捌きは豪快で。

 顔面を砕こうと飛んできた黒い槍を、瀬名さんはしゃがみこんで躱した。低い姿勢のまま、革靴の足で大きく踏み込む。何本も影を生やす影叫スクリームの根元を、二本の刃を繰り出して掻っ切った。

 瀬名さんは今だって、十分かっこよかった。


 手を離したホースみたいに暴れていた影の黒い汁が、瀬名さんの背中に飛び散った。真っ白いワイシャツが、まるで墨汁をひっかけられたみたいな有様になる。

 あの頃と変わらない、広くて頼もしい背中。

 なんで、なんで。

 まだ、ずっと、一緒に戦ってくれたって良いじゃない。

 頭を振る。今、少しだけでもと、萎えた体を叱咤して立ち上がる。一瞬、私へ目線を送った瀬名さんに伸びてきた影を、私は即座に撃ち落とした。飛び散った黒い汁を再度シャツの袖に浴びた瀬名さんは、顔をしかめたまま口を開いた。

 聞こえない私に、唇の形だけで一言。

『いくぞ』

 頭はぐらぐらで、今にも吐きそうなほど打ちのめされて。それでももう一度、瀬名さんと一緒に戦える喜びが私を満たしていった。








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