教室の片隅で

「イヤーマフ、返してもらっていいですか」

 私が言うと、担任の男性教諭はあからさまに顔を歪めた。

 誰もいない放課後の教室、教卓を挟んで対峙する担任は瀬名さんと同い年くらいだろうか。

「これ、許可でてないだろ。討伐隊オーダーの装備品だっていうのは許してやったけど」

 学校には討伐隊オーダーの隊員ということで、色々便宜を測ってもらっている。任務のための遅刻・早退・欠席とか。学校に不要な装備品の持ち込みとか。私の場合は戦闘靴ブーツの着用と、ヘッドホンとインカムのセットを持ち込み申請している。

「いつものヘッドホンは今、手元にないんで。イヤーマフはその代わりです」

 愛用のヘッドホンは技術部に提出していた。代わりに隊内標準装備のイヤホンは借りていたが、やっぱり遮音性に難があった。だから学校には、私物のイヤーマフを持ってきたのだけど。

「これ、通信のために必要なわけじゃないんだろ。だったら学校に不要なものだ」

「いや、みんな音楽用のイヤホンとかヘッドホンなんか、普通に持ち込んでるじゃないですか。それと一緒ですよ」

「誰も授業中まで使ってないぞ。授業中に音楽を聴くやつがあるか!」


 声を荒げられて、鼓膜がびりびり震えた。鳥肌が立つような不快さに、苛立ちが湧き上がる。

 瀬名さんにお説教されても、こんな気持ちになったりしない。頑固なところはあっても、一方的な決めつけなんてしないから。

「音楽なんか聴いてません」

 返す言葉が刺々しくならないように、ぐっと拳を握りこんでこらえた。

「じゃあなんで授業中に使ってたんだ。いつもは緊急の通信が入るかもしれないってんで見逃していてやったが、それは違うんだろうが」

 なんにも分かってくれない人間の、一方的な糾弾。

「うるさいのが、無理なんで」

 私は何度も説明したはずなのに。

 担任こいつの声も耳に触る。

「授業中の静かな教室が、うるさいわけあるか!」

 ああくそ、耳を塞いでしまいたい!


 ――びり。

 思わず耳を覆いかけた時、鼓膜が微かな振動を拾った。怒鳴り声に耳がやられたかと思ったが、振動は微弱な音となり、波のように押し寄せ身体を震わせる。

「う……」

「聞いてるのか藍島」

 鈍感な担任は何も気づかない。いや、単に私が敏感だから。

 異能力者にはよくある、超感覚ともいえる身体機能。

 遠い踏切の音も警笛も、子どものはしゃぎ声も泣き声も、誰かの秘密も悪口も、私の聞こえすぎる耳は拾ってしまう。

 やつらの悲鳴も。

 空を裂く叫び声が聞こえた。

「なんだ?」

 担任が顔を上げるのと同時に、がしゃがしゃと耳を刺すような音が響き渡った。教室中の窓が割れて、鋭利なガラス片が飛び散る。

影叫スクリーム!)

 身を守るためにしゃがみこんで、手で頭を覆う。わんわんと木霊する影の悲鳴が響いて、酷い頭痛がした。いつもの癖で首元を探って、そこにあるはずのヘッドホンがないことに目の前が真っ暗になる。こみ上げる吐き気を抑えながら、スカートのポケットを探った。イヤホンでも、ないよりマシなはず。


「っつ……!」

 手元が狂って、震える手元からイヤホンケースが落ちる。その拍子にイヤホンが飛び出て、窓際まで転がっていってしまった。ガラスの破片に紛れた小さなそれは、酷く遠い。窓からは帯状になった無数の影が、這うように室内へと入り込んできていた。

 取り上げられたイヤーマフは職員室だろうか。今、教卓の下に転がり込んで、息を殺してるんだか震えてるんだかの担任は、イヤーマフを手にしていなかったし。

(ああくそ)

 ムカついても理解者でなくても、守らなければならない。

 耳鳴りが酷い。頭がガンガンした。

 震える膝に力を込めて、立ち上がる。

 子どもだと反対されても、瀬名さんが隣にいてくれなくても、戦う。

 瀬名さんが私を助けてくれた時に、いつかは隣に並びたいと思った。そしてそれは、いっときでも叶った。私はそのために討伐隊オーダーを目指したけれど、そのいっときが今やもう過去のものになったからって、満足するのも、逃げるのも違う。


 指先に力を込めた。

 光の矢を連発する。束になって伸びてきた影が、一斉に千切れる。おぞましい叫び声に思わず体が硬直した。その一瞬の隙に、撃ち落としそこなった影がずるりと上半身にまとわりついた。影はそのまま縄のように体を締め上げると、私を釣り上げて振り回す。その勢いを殺さぬまま、思い切り壁に体を叩きつけられた。

 衝撃のあまり、せり上ってきた胃液を吐き出した。脳みそを直接引っ掻くような不協和音に、体内がめちゃくちゃに掻き回される。ヘッドホンも無ければ、拘束された両腕は耳を塞ぐこともできない。

 視界が滲んだ。


 何を大袈裟なと、散々言われた。

 世界があまりにうるさくて、毎日毎日頭がぐらぐらして、吐く思いで生きてたのに。内蔵をぎゅうぎゅうに締め上げられて、死んじゃいそうなほど苦しかったのに。

 耳がよく聞こえるくらいで、死ぬやつなんかいないって。みんな私ほど、聴覚が鋭くなった経験なんかないくせに。

 なんにも分からないから、具合が悪いのもいつもの事だとしか思われなくて。

 だから小学校近くに影叫スクリームが出たあの日も、動けなくなった私のことをみんな置いて行ってしまった。

 もしかしたら、お母さんかお父さんが迎えに来るから大丈夫だと思ったのかもしれない。警報が出た時点で、駆けつけた保護者は多かったから。だけど二人は学校にたどり着けなかった。通学路の途中で、影叫スクリームが吹っ飛ばしたトラックの下敷きになっていたと、後から聞かされた。

 私は両親の身に起きた悲劇を知らず、ただただ泣きながら、教室の隅で体を丸めて震えていた。誰も味方がいない、大嫌いだった四年二組の教室の片隅で。


 今、高校の一年B組で説教を食らった挙句、自身を守るイヤーマフさえ取り上げられた私は、教室の片隅まで吹っ飛ばされ転がってる。あの時みたいにガタガタ震えながら泣いたりはしないけれど。

(瀬名さん、宮野さん、ごめん。単独行動ってマジで死ねるね)

 作戦行動中に抜け出したわけじゃないし、絶不調なのはひとりだからじゃない。ヘッドホンを手放していたタイミングの悪さもあるけど、連絡の手段がほぼ立たれた今、救援を要請することはできなかった。

 千切った影が墨のようなものをボタボタたらしながら迫ってくる。まるで血みたいだった。けれどその不安定で痛々しい切断面は、しゅっと一つに纏まるとその姿を槍のような形状に変えた。

 鋭い切っ先が、私を目掛けて突っ込んできた。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る