自殺ができない世界

最上優矢

自殺ができない世界

 ある冬の日のこと、私は自由な翼を持つ死者になるため、高校の屋上から飛び降り自殺を図った。

 しかしこの世の理というものは残酷なもので、私がはるか真下の地面にたたき付けられる直前には「志島戒人しじまかいとよ、ゲームオーバーはまだ早い」とこの世の長に告げられ、また元の場所、刀路木とうろぎ高校の屋上にまるでフィクションのように瞬間移動するのだった。


 無論、私は自由で楽な世界に行くため、その馬鹿げたことを永遠と繰り返した。

 そのたびに私は落下の際の空気抵抗を受けることになったが、不思議と風は冷たくはなかった。


 そんな親不孝なことを繰り返せば、下の世界の使者である死者がこちらの世界の様子を窺うことくらい、私には分かっていた。

 付け加えると、そういう非現実的なことが起きない世の中だということも、納得こそしないが私には分かっていた。


「ムダよ、戒人。この世界で自殺することはできないわ。だって、ここは自殺することができない世界になっているもの」


 背筋がゾクッとした。

 これは幼馴染の九鬼沙綾くきさあやの声だ。


 私は後ろを振り返った。

 誰もいないはずだった屋上。

 けれど、そこには沙綾が確かに存在していた。


 数日前、彼女は空を飛ぶため、この高校の屋上から飛び降り、結果的に壊れた人間と化した。

 いくら彼女が美形であっても、空を飛ぶことはできないし、ましてや死してなお美形のままでいられるはずがなかった。

 その衝撃的でグロテスクな死体を見たため、私の中で自殺願望が芽生え出してしまったのだ。


 そして今、九鬼沙綾という人間はすでに壊れてしまったのにも関わらず、彼女は目の前の背なしベンチで読書をしている。

『天国か地獄』というタイトルが付けられた文庫本のページをめくっている。


 一体なぜ?


「不思議がるのも無理はないわね。いいわ、私が説明してあげる」


 沙綾は手元の本を投げ捨てると、ゆらりと立ち上がり、サラサラのロングヘアを手の甲で払った。

 沙綾は私をにらみながら、説明をする。


「結論から言いましょう。そう、あなたはすでに死んでいるの。私と同じ、壊れてしまった人間。

 けれどひとつ違うのは、あなたの死んだ部分が“精神”だということ。

 私は単に“空を飛ぶため、屋上から飛び降りた”だけ。それで死んだ。

 でも、あなたは私の壊れた姿を見て精神が病死し、自分の自殺という幻覚を見て、さらには私という亡霊を見ている。なんだか哀れね」


 律儀にも私は手を挙げた。

 私の挙手を沙綾は冷ややかな目で見るため、私は手を挙げるのをやめて話し出した。


「この世界で自殺できない理由はなぜだ? なぜ、この世界では自殺することが許されない」


 沙綾はケタケタと笑ってから、上機嫌な様子で私の質問に答えた。


「さあね。そこまでは知らないわ。……ああ、でもこれだけなら言える。

 この世界の創造主は自殺が怖いのよ、きっと。だから創造主は私の死を“空を飛ぶため、飛び降りた”と歪曲したのね。

 本当は他殺という自殺なのに、くだらない理由で死んだことになっている九鬼沙綾はかわいそうよねぇ」


 もういい、やめろ。


「それもこれも、“あなた”のせいなのに。あなたがあのとき、私に屋上から飛び降りろと言い出さなければ、私は自殺なんてすることはなかった。

 それなのに、あなたは屋上から飛び降りろと私に命令した」


 やめてくれ!


 私は一歩後退したが、沙綾はこちらに近づき、顔をずいと寄せた。


「あなたは天国に行くことはできない。あなたの行き先は地獄よ。もうすでに分かっていると思うけど、私は地獄からの使者の死者……さあ、私と一緒に空を飛びましょう!」


 見る見るうちに沙綾からは腐臭が漂い、顔は醜く裂け、髪は抜け落ち、手足はおかしな方向にねじ曲がる。

 そんな沙綾は私を正面から抱いた。

 まさかと思って後ろを振り返ると、一歩後ろは地面がなく、この高さから落ちれば間違いなく私は壊れてしまうだろう。


「よしてくれ、沙綾……人は空を飛ぶことができないんだ!」


 私は必死になって大声を出したが、沙綾はぶるんぶるんと首を横に振り、そして、

「アイキャンフライ!」

 と叫び、私を巻き添えに屋上から身を投げた。


 ゲームオーバー。

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自殺ができない世界 最上優矢 @dark7

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