八月、鳴かずの鳴蜩

k3saki (かみさき)

八月、鳴かずの鳴蜩

【僕が彼女に出会ったのは、高校2年の夏だった。】


 白紙の執筆ソフトに、そう一言だけ打ち込み、僕は椅子にもたれかかった。


 朝比奈あさひな悠介ゆうすけ。職業、高校教師。それが今、白く発光するパソコンを前にした男の名前である。

 昔は、教師なんてゴミだと、クソみたいな職業だと、そう思っていたのに、気づいた時には教員免許を取得し、母校に6年も勤務していた。


 机の上のコーヒーを少し飲み、僕はまたキーボードに手を掛けた。


【これは、僕と彼女の少し変わった出会いの物語である】



 ◇



 彼女と出会ったのは高校2年の夏。8月の半ばだというのに珍しく蝉は鳴いていなくて、ただ静かに、熱を発しながら太陽が動いていた。

 世間は夏休みの真っ只中、だが、不登校だった僕はスクーリングで登校しなければならなかった。


 長い授業を終え、先生に進路相談や近況報告をした後、ロッカーに教科書を取りに向かった。

「あっつ。まじでこの学校、教室から出ないのが吉だよな」

 高校の周りは山に囲まれていて、ほとんど風もない。

 冷房の効いた部屋から出れば、10秒と経たずに汗がこぼれ落ちてくる。


 教科書を取った後、少し涼んでいこうと早足で教室に向かい、ガラガラと引き戸を開けた。


 その時だ。窓の淵に座り、脚をぶらぶらとさせて、鼻歌を奏でる彼女に出会ったのは。

 長い黒髪に綺麗に整えられたまつ毛、赤みを含んだ唇、間違いなく美人と言われる部類だろう。


 夏休みに学校にいる理由といえば部活だろうか? なんにせよ、この教室にいるということは仮にも同級生。

 同級生のまして女と2人きりなんて俺には無理だ。早く出よう。

 当初の目的であった涼むことは諦めて、そそくさと教室を出ようとしたその時。


「ねえ、君。朝比奈くんでしょ」


 こちらには振り向かずに遠くを見ていた彼女が、口を開いた。


「そうだけど、なんで?」


 突然の問いかけに、思わず無愛想菜返事をしてしまった。


「なんでって、どの『なんで』? なんで名前を知っているのか? なんで夏休みにここにいるのか? なんで君に話しかけたのか?」


 いや全部気になるが、この手のタイプには関わらないが吉だ。ここはなんでもないってことにしよう。

『なんでもない』そう言いかけた時、またしても彼女は口を開いた。


「私ね、死ぬの。今日、ここで」


「え」


「私ね、死ぬの。今日、ここで」


「いや聞こえなかった訳じゃねーよ。なんでいきなり意味わかんないこと言ってんのっていう『え』だから」


 あははと笑いながら、彼女はやっとこちらを向いた。正面から改めて見ても思う。美人であると。


「君、冷静だねー。普通、同級生が死ぬって言ってたら『やめろ!』とか『死ぬな!』とか慌てて言うもんじゃない?」


「いや俺、君のこと知らないし。それに無責任に死ぬなって言うのも違うだろ」


 ふーんと少し頬を膨らませてこちらをジト目で見てくる彼女に、つい照れくさくなって目を逸らしてしまう。


「私は君のこと知ってるよ? 朝比奈悠介くん」


「だからなんでだよ」


「1年の時1、2回来たっきり不登校の朝比奈くんって有名じゃん。それに私、学級委員だから何度か君の家にプリント届けたし」


「あーあれ。君だったんだ。ありがと」


 別に勉強が嫌いな訳でもなかったし、大学とかは普通に考えている俺にとって、成績は一応大事な訳で。何度か届いたプリント類は結構有難いものだった。


「お、そんな普通に感謝されるとは。てっきり無駄なお節介って怒られるかと」


「君から見てどんなイメージなの俺って」


「んー引きこもりオタクゲーマーとか?」


「世のオタクゲーマーに謝りなさい」


 そんな軽口を叩けるくらいには、この数分で距離が縮まっていた。

 名前も知らない人、まして異性なんて、俺には一生縁がないと思っていた。


「なあ、名前聞いてもいいか」


「本当に覚えてないんだね。はーあ」


「覚えてないも何も、君のことなんて知らなかった」


「はいはい。私は七瀬ななせ七夏なな。2年B組出席番号20番、スリーサイズは、ヒ・ミ・ツ」


「聞いてねぇよ!!」


 そうして、七瀬との奇妙な出会いを果たした僕は、夏休みの登校日は必ず教室に出向くようになった。

 何回か会ううちに、お互いのことを知っていけたかと言えばそうではなく。

 どちらかと言えばお互いに干渉せず、ただ世間話をして『またね』と言い合う、ただそれだけの関係だった。


 あの日までは。



 ◇



 七瀬と出会い1週間が経った頃。次第に僕は、七瀬に疑問を抱くようになっていった。

 この1週間、七瀬が学校に来る理由は部活や、それに似た何かがあるからだと思っていた。それなのに彼女は、僕が早く来た日も、遅くまで居残りをした日も1人、教室の窓際で遠くを眺めていた。

 何か他の理由があるのだろうか。でもあるとしたらなんだ? 特別なにをしている仕草もない。じゃあ……。


「ねえ悠介くん!」


「えっ、ああごめん、なに?」


「もう、なにぼーっとしてんの? 一丁前に考え事?」


「一丁前は余計だろ」


 えへへと少し照れ笑いを浮かべた彼女は、また遠くを眺めていつもと同じ澄ました顔をした。


「ふぅ、なあ。聞きたいことがあるんだけど、良いか?」


「なにさ。あ、彼氏ならいないよ? 募集中だけど?」


「夏休みにわざわざ学校でなにしてる」


「無視すんなし。…………はぁ、まあ気になるよね」


 大きく深呼吸をして、また少し間を置いた彼女を俺はなにも言わず待った。

 しばらく待った後、口を開きかけた彼女はまたその口を噤み、こちらを振り向いて笑いかけた。


「ごめん。またね……」


 そう言い残して、彼女は帰ってしまった。

 そしてそれから1週間、彼女は学校に来なかった。

 用事がなくなった。そんな単純な事だと思うほど、俺は鈍感ではない。あの日の七瀬の顔、含んだ『またね』を聞いてそう思えるほど、馬鹿でもない。


 ただ、それを確認する術が見つからないまま、夏休み最終日を迎えた。


「うん。よく出来てるわね。これなら偏差値70の大学だって余裕なんじゃない?」


「お世辞どーも。生憎とそんな夢がでかい男じゃないんでね」


「あら、私は凄く君のこと評価しているのよ? コミュニケーションもちゃんと取れているし成績も優秀。実技のある副教科以外はオール5。そんな君がなぜ不登校なのか不思議で仕方ないわ」


「そうですね。実を言うと俺も不思議です。学校も勉強も、こうして話すことも嫌いじゃありませんし、いじめられていたとかそういうわけでも……」


 ふと、七瀬の思い詰めたような顔が浮かぶ。待てよ、あいつ。いやまさかな。

 あの日、俺が抱いた違和感。どこか自分に重ねてしまう表情。脳内では最悪の可能性が巡って渦巻いている。


「あいつ、いつもまたねって……」


「朝比奈くん? どうかした?」


「先生! 聞きたいことがあります」


 馬鹿だ。俺は馬鹿だ。彼女の顔を見た時気づくべきだった。

 昔の俺にそっくりのあの顔。いや、あるいは今の俺にも似ているかもしれないあの思い詰めた顔。

 彼女の明るさ、美人な彼女が見せる笑顔に騙されていた。

 息を切らし、肩を上下させながら開けた教室の扉の向こうに、彼女の姿はなかった。

 手遅れ、そう思った時。七瀬がいつも座っていた席に紙切れがあるのを見つけた。


【屋上で待ってるよ。悠介くん】


 紙切れにはそう書かれていた。

 急いで教室を飛び出し、廊下の突き当たりにある階段を1段飛ばしで駆け上がった。

 先ほど聞いた、先生の言葉が脳内でループ再生される。


『七瀬さん? あぁ、あの子。美人よね、凄く。男子からはとてつもない人気だし、明るくて友達も多い。クラスの人気者。表向きはね』


『表向き?』


『朝比奈くん。私は君がなぜ、不登校になったのか未だにわからない。でも、もし七瀬さんがそうなっていたとしたら、その理由はわかるわ。恐らくだけど、それは君も、理解してあげられる事なんじゃないかしら? 学校というものは、未熟な君たちの成長の場。だからこそ、一部の子にとっては残酷な世界なのよ』


 馬鹿……馬鹿……この馬鹿……!! あぁクソっ! そうだ、あいつは美人だ。性格もいい。なんせ、ほとんど喋ったこともない不登校に毎回プリントを届けるくらいのお人好しだ。

 そんな人間を疎ましく思う奴がいることくらい、考えられた事だろ……。


「バンッ!!」


 勢いよく開けた屋上の扉は、今にも壊れそうな音を上げて、蝉の鳴かない夏を、夏らしく演出した。

 それなりに広い屋上の端、なぜか少しだけ出っぱった塀に、七瀬は座っていた。


「おっ! 思ったより早かったね」


「久しぶりに会うのに、こんなクソ暑いとこ指定してくんなよ」


「あはは。ごめんねぇ〜。ん? そんなに息切らしてどうしたの? あ、もしかして私に会いたくて走ってきたのかなぁ〜?」


「なわけ。こんだけ暑いのに階段何十段も登ったらこうなるわ」


 そう軽口を言い合って、少しホッとした。

 いつもの七瀬だ、そう思ったんだ。


「そこは嘘でも、『会いたかった』って言うとこじゃない?」


「嘘言うよりマシだろ? てか、七瀬そういうの嫌いじゃん」


 少しふくれたような顔をする七瀬に、いつか彼女が口にしていた『嘘が嫌い』という言葉を思い出しながら、言葉を返した。


「っ……覚えてたんだ。そんなどうでもいいこと」


「なんでだよ。俺も嘘は嫌いだし、七瀬のそういう正直で優しいとこ俺は好きだよ」


「ふーん。わかってないなぁ、私のこと。私はそんな綺麗な人間じゃないよ」


 やっぱり。七瀬は俺と同じだ。


「そっか。んで? 屋上になんか呼び出して、どうしたんだ?」


「うーん。朝比奈くん、覚えてる? 私と君が初めて会った日のこと」


「忘れられるわけねーだろ。いきなり知らん奴から話しかけられたんだからな」


 あの日、七瀬が話しかけて来なければ、俺は七瀬の事なんか知らなかったし、こんなに人の事を考えることもなかっただろうな。


「そっか。じゃあ、あの日、私が言ったことも覚えてる?」


「七瀬が言ったこと……?」


 そう言うが否や、七瀬は塀の上に立ち、手を大きく広げていた。

 その綺麗な瞳には、涙を浮かべて。


「私、死ぬんだ。今日」


「はぁ……。やっぱりか」


「意外、気づいてたんだ」


「まぁな。多分、俺も七瀬と同じだし」


「同じ?」


 そう、七瀬と俺は同じだ。自分を白い目で見る周囲が嫌いだ。たとえそれが、周囲の一部であったとしても、それが全てに思える。

 そして、何よりそんな状況に身を置きながら、何も出来ていない自分が心底……


「嫌いなんだろ。自分が」


「驚いた。悠介くんって、人の気持ちとか分かるんだ」


「だから俺をなんだと思ってるんだって」


「うーん……、優しい引きこもり。かな?」


 そう言った七瀬の顔は、今までにないくらい笑顔で、辛そうだった。

 なんとなく、七瀬は俺に似ていると思っていた。七瀬のどこに、そう感じたのか、最初は全く分からなかった。

 底なしに明るい七瀬が、こんな俺と楽しそうに話してくれる七瀬が、どうして俺と似ているところなんてあるものか。

 でも、現実は残酷だ。特に学校という場所は。

 社会勉強という名の鳥籠は、『未熟』を免罪符に優しい人間から傷つけられていく。

 いくら鳥籠で足掻こうと、鍵のかかった“地獄“から逃げ出さなければ、安全な場所からただひたすら石を投げられる。


 そうして心を閉ざして、我慢を『普通』にしてしまえば、やがて自分を変えることが困難になる。

 ほら、大嫌いな自分の完成だ。

 ほんっと、クソだよな。学校も、教師も、クラスメイトも。

 誰も彼も、味方のフリをした敵なんだから。誰も助けてはくれない。


「俺も昔、心底自分が嫌いな時があったんだよ。周りは全員、俺が『おかしい』と言って誰も話を聞いてくれなかった。凄いよな、そうやって毎日『お前はおかしい』って言われると、自分がおかしいんだって思うようになるんだよ。んで、そんな自分をどんどん嫌いになって、でも変えられなくて、もっと嫌いになって。そんで……」


「人生がどうでもよくなる……」


「そ。まぁ、俺は早めに病院に行って、親が学校なんて行かなくてもいいって、そう言ってくれたから生きれてるんだけどな。そうじゃなかったら今頃、昔飼ってたぺットと再会してたな」


 あまりに空気が重かったので、少し笑い混じりに話してしまった。

 そんな俺の話を、真剣に聞いていた七瀬は、俺を見つめて聞いてきた。


「悠介くんは、何が原因だったの? いきなりみんな敵になったの?」


「いや、きっかけは些細な事だったよ。クラスのガキ大将みたいな奴がさ、好きな女の子にちょっかいかけて、相手にされなかったからってその子を殴ったんだ。それを止めたら、俺がいじめの標的になってさ。そっからみんな見て見ぬフリで、誰も助けてくれなかった。だから……」


「復讐した?」


「まぁ、そんな大層なものじゃないけどな。殴り合いの喧嘩して、クラス全員の机をぶっ飛ばして、先生を殴った」


「うわぁ、結構怖いんだね。悠介くんは」


「ほんとにな。あの時はどうかしてたよ。いらん正義感振りかざして、カッコつけて庇ったりしなけりゃ、いじめられることもなかったんだから自業自得だよな」


 今になって考えてみれば、関係ない人まで巻き込んでしまった時点で、俺もあの時のいじめっ子と同類だ。

 結局、自分の都合で他人を巻き込んだんだからな。

 あの時はただ、周りのすべてが憎かった。周りのすべてが敵だった。

 だから……理解してもらいたいとは思わないし、同情なんてされる権利も俺にはない。


「でも、悠介くんは間違ってないよ」


「いや、間違ってるだろ。結局、俺がやった事はそのガキ大将と同じだ。周りを巻き込んで迷惑かけて、関係のない他人まで殴ったんだから」


「そうだね。悠介くんがただ一つ、間違った事は先生を殴った事。でも、だから何? 先生は生徒を守るのが仕事でしょ。今まで悠介くんが受けたいじめを思えば、悠介くんがした事なんて、比較にならないくらい小さい事だよ」


 今更どうこう言われたところで、何も変わらない。なのに何故か、七瀬がくれた言葉を嬉しく思ってしまった。

 ずっと、心のどこかで理解してほしい。慰めてほしいと思っていたのかもしれない。

 あの時の俺は悪くない。そう、言って欲しかったのかもしれない。


「んで、なんで死ぬんだ? 七瀬は。まぁ、なんとなく分かるが……」


「おっ。悠介くんの方から私に興味を持つなんて、珍しいね〜」


「そうか? まぁ、この1ヶ月毎日話してる奴が死ぬってなったらな。それなりに気になるだろ」


「んー、本当はさ最初に悠介くんに会った日に死ぬつもりだったんだよね。けどなんか、悠介くんにまた会えて、嬉しくなっちゃってさ。走馬灯かと思ったもん」


 そう口にした七瀬は、照れくさそうに笑っていた。


「また? 俺たち、どっかで会ったことあったっけ?」

 俺がそう言うと、七瀬はあからさまに頬を膨らませて目を細めた。


「やっぱり覚えてなかったんだ。入学式の日のこと」


「入学式の日?」


(はぁ、私の初恋をどうしてくれるんだか……)


「ん? なんか言った?」

 そう尋ねると、七瀬は大きく息を吸って叫んだ。


『私の初恋を忘れるなぁーーーーーー!!!』

 少し上擦った叫び声が、周囲に響き渡り、草木を揺らす。


「……は?」


 え? いやいや聞き間違いだろ。あの七瀬が好き? 俺を? ないない。

 しかも初恋って言ったか、高校2年にもなって。ってそれは俺が言えたことじゃないな。

 俺も好きって感情分かってないし。性欲と違うのか? いや、今はそんなのどうでもいい。


「一応聞くんだけど、聞き間違いとか、人違いではない……のか?」


「ほんとにさ、私は不憫だと思うんだよね。好きな人は不登校になっちゃうし、容姿のせいでクラスの女子からはいじめられるし、やっと会えた好きな人は私の事はおろか、”あの日”あった事も忘れてるんだもん」


 大きくため息を吐いて、肩を落とす七瀬を前にして、俺は必死に記憶を辿っていた。

 この2年間、俺が登校する機会は多くなかった。だとすれば、その中で起きた事で印象深かった事……。


「もしかして……、ダックスの飼い主か…………?」


 入学式の日、高校生活にワクワクしてだいぶ早めに家を出た。その登校途中に、道路に飛び出したダックス犬がトラックに轢かれかけたのを思い出した。

 犬を助けようとして、庇った弾みで転倒。運悪く、受け身でついた手を骨折し、全治2か月。

 結局その日はそのまま登校して、無事に入学式を終えたのは良いものの、なんとなくクラスの雰囲気に馴染めず、怪我の治療を言い訳に不登校。

 そういえば、病院で検査入院した日に、お見舞いに来た子が美少女だったと母が騒いでいたけど、まさか七瀬の事だったのか……。


「はぁ、でも無理もないか。ソラ……あ、助けてくれた犬の名前ね。そのソラを私に預けた後、名前も言わずにどっか行っちゃうんだもん。あの後、入学式で見かけた時は運命だと思ったなー。それで、保健室の先生に病院聞いて、お見舞いに行ったの」


「それだけで好きになったのか? そんな事で?」


「確かに君にとっては、『そんな事』なのかもしれない。でも、気づいてなかったかもしれないけど、あの場には悠介くんの他に何人もいたんだよ。みんな見て見ぬフリをしてたし、助けようと思ってたとしても体が動かない人がほとんどだった。私もその1人。情けないよね……飼い主なのに。だけど悠介くんは違った、自分を犠牲にしてソラを助けてくれた。悠介君を本気でヒーローだと思ったよ」


 今にも泣きそうな顔で語る七瀬、自分のした事にここまで感謝されるとは思わなかった。

 俺にとって、困っている人を助ける事は当たり前だったが、そうでない人もいるということか。


「だとしたら、七瀬は死んじゃダメだろ」


「へ……?」


「俺が命懸けで助けたソラの世話は誰がすんだよ」


「いやでも、お母さんもお父さんもいるし……」


「七瀬が死んだらお母さんもお父さんも悲しむだろ」


「でもでも……私がいると、みんな……」


「辛い時とかは俺が側でまも……、話聞くから」

 照れくさいセリフを言おうとした口を慌てて閉じ、すぐに言いかえたが時すでに遅し。


「今、『守る』って言った!? 聞き間違いじゃないよね……。悠介くんが!? 私を!? もっかい言って!!」

 訂正する間もなく、詰め寄ってくる七瀬に圧倒されて、もうどうにでもなれと叫んだ。


「あーもう! 俺が七瀬を守ってやるから死ぬな!」



 ◇



「ちょっと。ここ、盛りすぎでしょ。私そんな声上擦ってた?」


「気になるとこそこ!? 文面で見た時にここ気にするやついないだろ」

 キッチンからカップを2つ持った彼女が顔を出して、文句を垂れる。


「えー。私は気にするんですけど! てか今更、私達が再会した日の事を小説にするの?」


「そりゃインパクトあるからな。自殺志願者と過ごした夏休みなんて」


「ふーん。でもこの時の悠介は毎日が夏休みでしょ?」


「うるせ」

 あははと笑う彼女を横目に、執筆ソフトに最後の一文を加える。




『この物語は、僕と妻の出会いの物語。全て事実に基づいた、ちょっと変わった夫婦の物語である。』

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八月、鳴かずの鳴蜩 k3saki (かみさき) @kamisaki727

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