お尋ねしますが

もも

お尋ねしますが

 世の中の人間は二種類に分けられる。


 『道を尋ねる人間』と『道を尋ねられる人間』だ。

 

 そして私は圧倒的に後者に属している。

 

 耳にお気に入りの赤いイヤホンを装着した上、どれだけ足早に歩いていたとしても「すみません」と呼び止められ、「〇〇はどこですか」と訊かれる。相手が困っていると思ったが最後、会議の時間が迫っていたとしても立ち止まり、行き方を伝える。口頭での説明が難しければ、途中まで案内のために付き添うこともある。

 

 訊いてくる相手は老若男女を問わず、国籍も関係がない。ここ最近は外国人観光客から尋ねられることも増えたが、身振り手振りでなんとか対応している。

 

 道を尋ねられるのは外国に行っても変わらない。

 中東へ旅行に行った際、大通りから少し外れた場所を歩いていたところ、ヨーロッパから来たと思しき男性から「××はどこか」と尋ねられた。「いや、ただの旅人なのにそんなローカルな場所を訊かれても」と困惑した私は「I don't know,sorry.」と返答したが、上手く応じることが出来なかったことに対して妙な罪悪感を抱いた。

 男性は「それは残念、ありがとう」と言いその場を去ったが、見るからに中東系の顔立ちではない人間によく道を訊いたものだ、余程切羽詰まっていたのかもしれない……と思うと、力になれなかったことに無力さを覚えたものだった。

 

 そういう訳で、私は自分のことを『筋金入りの道訊かれ顔の持ち主』だと思っているのだが、この日もイヤホンを耳に嵌めて仕事へ向かう途中「すみません」と声を掛けられた。相手は私より少し背が高いぐらいの小柄な男性だった。私より年上に見えたが、もしかすると年下なのかもしれない。他人の年齢を読むのは難しい。


「――へ行きたいのですが、御存じでしたら教えてもらえませんか」

「え。すみません、もう一度いいですか」


 人通りの多い商店街で呼び止められたからか、人の声に混ざってしまい上手く聞き取れなかった。


「――です。赤い看板の薬局の近くなんですが、見当たらなくて」

「あぁ、その薬局ならここを真っ直ぐ進んでもらって、左手にあるコンビニの角を曲がったあたりにありますよ」

「そうでしたか。ありがとうございます、助かりました」

「いえいえ」


 男性は礼を述べると、いそいそと薬局の方へ向かって行った。

 どこを目指そうとしていたのかはわからなかったけれど、目印のところまで行けば後は分かるのだろう。


 男性と別れ、しばらく歩いたところで信号に引っ掛かった。ぼーっとしながら周囲を見るともなく見ていると「すみません」とまた声を掛けられた。

 茶色のニット帽を被った女性が、困り顔で私を見ていた。


「ちょっとお尋ねしたいのですが」

「何でしょう」


 今日はよく声を掛けられる。ぼんやりしていて隙だらけに見えるのだろうか。


「――へは、どうやって行けば良いのでしょうか」

「え。すみません、もう一度良いですか」


 交通量の多い道路のせいか、行き交う車の音に紛れて聞こえなかった。


「薬局のそばなんですけど」


 薬局。


「看板が赤くて、処方箋も受け付けてるんです」

「あぁ、その薬局なら、この通りを抜けた先に商店街があるんですけど、そこを南へまっすぐ進んでもらったら左手にコンビニが見えますから、その角を曲がったところにありますよ」


 私は先ほど男性に話したものと似たような説明をした。


「助かりました、ありがとうございます」


 女性は丁寧に頭を下げると、商店街へ向かって足早に去って行った。


 今日は短時間の内によく道を訊かれる日だな。


 時計を見ると、会議まであと20分。目的地までは歩いて10分ほど掛かるため、そこまで余裕があるとは言えなくなってきた。いつの間にか青に変わった信号が、再び赤になろうと点滅している。私は走って横断歩道を渡り、少し早歩きで向かうことにした。


 今日の会議は報告のみなので、30分程度で終わるだろう。そのために同じぐらいの時間を掛けて出社するのは非効率だ。リモート会議にすれば移動にかかる時間の分だけ別の作業をすることが出来るというのに。


 そんなことを考えながらつかつかと歩いていると「ちょっと、すみません」と呼び止められた。


 またか。


 イヤホンをつけ、大股かつ早歩きで『急いでいるアピール』をしていたというのに。

 仕方ないので私は「何でしょう」と応える。

 相手はスラリとした長身の女性だった。


「――て、知ってますか」

「何ですか」


 まただ。また聞き取れない。もしかして、これまでに道を尋ねてきた人たちと同じ場所へ行こうとしているのだろうか。


「赤い看板の薬局の近くなんですけど」

「やっぱり」

「は」

「あ、すみません、何でもないです。その薬局なら……」


 私は今いる位置からコンビニの角を曲がってすぐ近くにある薬局までのルートを説明した。


「あぁ、そうやって行くんですね。ありがとうございました」


 女性はペコリと頭を下げると、駆け足で消えて行った。


 なぜこうも同じところばかり訊かれるのだ。

 あの薬局の近くで、何かイベントでもあるのだろうか。


 気になる。


 時計を見る。急げばちょっと近くまで行って見てみるぐらいの時間はありそうだ。

 私は来た道を引き返すと、早歩きで商店街を通ってコンビニの角を曲がる。赤い看板の薬局が見えた。近くにあるのは喫茶店とワンルームの賃貸マンション、それに立ち飲み店ぐらいだが……と思っていたら、立ち飲み店が見当たらない。代わりにあったのは、奥行10メートルはありそうな細長い土地のようであり路地のような場所だった。両側にはそれなりの階数のマンションがそびえていて、抜けた先は別の通りに面しているようだ。何となく、抜け道のように見えなくもない。

 

 あの立ち飲み店、とんでもない鰻の寝床だったんだな……て、この土地の全部が店の敷地な訳がないな。あまり繁盛している様子もなかったし、閉店して建物ごと潰したのだろうか。

 道を尋ねてきた人々は、立ち飲み店に行くつもりだったのに閉店して取り壊されたことを知らなかったので、見落としてしまったのかもしれない。

 

 なるほど、そういうことだったのか。

 

 ひとり納得した私はきびすを返そうとしたが、「待てよ」と思った。


 もしかして、彼らの目的地はこの路地を抜けた先の通りにあるのではないか?


 私は頭の中でこの周辺を描いたマップを想像した。コンビニがここで、薬局はこの辺り。ここに路地があったとして……。


 こんなところに通りなんてあったっけ?


 この場所に住んでかれこれ10年になる。知らない場所などそうないと思っていたが、意外と見落としているものだな。ここ最近は忙しくて新店オープンのチェックも出来ていなかったし、もし彼らが目指していた場所が最近注目されているスポットだったとしたら、ちょっと行ってみたいかも。


 会議の時間もあるし、チェックがてら少しだけ覗いてみるか。


 土地なのか路地なのかよくわからないその場所には、立入禁止の看板もなくロープも張られていない。私はその場所をすたすたと歩いて、通りへ出た。


「ん?」


 抜けた先で目に入ったのは赤い看板の薬局とコンビニで、その角を曲がるといつもの商店街だった。


 路地一本挟んだ場所に同じ系列の薬局があるとか、変なの。

 出店計画、ミスってるんじゃないかな。

 

 通りの左右に目を遣る。

 『空室あります』の張り紙が貼られた賃貸マンションに、昔からありそうなレトロな喫茶店。少し歩いてコンビニまで行き、商店街の様子を伺う。

 

 特に面白そうなものはなかったな。 

 

 いささか拍子抜けした私は、気を取り直して仕事場へと向かうことにした。

 商店街を大股で急ぐ。


 郵便局、美容院、パチンコ店。

 書店、回転寿司店、文具店。


 ……文具店?


 私は立ち止まる。

 回転寿司店の隣は文具店ではなく焼肉店だったはずだ。いつの間に変わったんだろう。いつも行列が出来ていて、閉店するような気配はなかった。どこかへ移転したんだろうか。

 時計を見る。会議が始まるまで、あと6分。これはちょっと本気で急がないと遅刻しそうだ。

 私は商店街の中を小走りで移動する。


 金物店、歯科医院、チェーンのコーヒーショップ。


 ……コーヒーショップ?


 そこにあったのは鯛焼き店だ。昨日の夜、仕事終わりにひとつ買い、食べながら歩いて帰ったことを覚えている。その時には閉店や移転を知らせる貼り紙などどこにもなかった。


 変だな。


 私は落ち着いて周囲の様子を観察し、記憶の中にある風景と比較した。

 

 違う。

 

 あの病院は小児科ではなく耳鼻咽喉科だったし、不動産屋の前に飾られていたのはゾウの置物ではなくカエルの置物だった。向こうの角にあるのはラーメン店ではなく食パン専門店だったし、クレープ店の店主は女性ではなく男性だった。


 何だこれ。

 ここは本当に、私が知っている商店街なのだろうか。


 頭が混乱している。

 ぶるっと、スマートフォンが震えた。

 スケジュールを管理するためのアプリが、会議の時間を知らせる。いやいや、会議とか言ってる場合じゃない。


 どこなんだ、ここは。

 落ち着け。 

 落ち着け、私。

 

 こういう時はアレだ。スタート地点に戻るのがいい。この場合のスタート地点とは、すなわち自宅だ。私は商店街を戻り、家へと歩を進める。

 

 商店街を抜けた先にある、築5年の賃貸マンション。入居からもうじき2年が経とうとしている。手狭になってきたので転居を考えていたが、今の私は無性にそこへ帰りたかった。


「マジか」


 マンションが建っている場所に着いたはずが、あったのは印鑑を販売する古びた店だった。マンション一棟が丸ごと消えている。


 何なんだ、これ。

 私、何かやらかしたっけ。


 心当たりがあるとすれば、ひとつしかない。

 あの路地だ。

 あそこを通ってからおかしくなったのだ。


 ということは、あの路地を通った時と逆方向に抜ければ元に戻るのではないか。普通に考えればそうに決まっている。おかしな状況で普通のことをしてまともな結果が得られる保証などどこにもないが、とりあえず行くしかない。


 私は路地を目指して歩き出した。


 商店街の中にあるコンビニの角を曲がり、赤い看板の薬局の近く。今は姿形もなくなってしまった我がマンションから商店街までは一本道なのですぐだ。

 と思ったら、なぜか行き止まりになった。


 何なんだ、一体。

 いつの間に道が変わったんだ。

 おかしいでしょ。


 とりあえず引き返して、別のルートから攻めてみる。よし、商店街に着いた。なのに、薬局の近くにあるはずのコンビニが見当たらない。どこまで商店街を歩いても一向に辿り着かないのだ。


 郵便局、美容院、パチンコ店。

 書店、回転寿司店、フラワーショップ。


 ……フラワーショップ?


 そんな訳がない、さっきそこは文具店だったぞ。何で花なんか売ってるんだ。

 これは本当にヤバいかもしれない。

 歩けば歩く程、道がわからなくなっている。

 こうなったらもう、誰かに道を訊ねるしかない。


 誰に訊こう。

 誰なら立ち止まってくれるんだろう。

 道行く人を観察する。

 

 フードを被っているあの人は、ティッシュ配りも無視しそうな雰囲気だ。

 あっちの女子高生二人組はお喋りに夢中で気付いてくれなそう。


 どうしよう。

 どうしよう。


 あ、あの人は良さそうな気がする。

 耳に赤いイヤホンを突っ込んですたすたと歩いているけれど、どことなくガードが緩そうで、押せば何とかしてくれそうだ。こういう雰囲気の人はどれだけ急いでいても、こっちが困っていると思ったら目的地まで案内してくれるに違いない。

 この人を何としてでも捕まえなくては。


「すみません、お尋ねしますが」


 私はその女性に声を掛ける。


「この辺りで――を知りませんか」

 

 目的の場所を示す言葉は、すぐ近くを走ってきた救急車のサイレンの音にかき消され、上手く届かなかった。

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