第4話無法者たちの夜-One Night Of The Outlaws-
夜の暗がりのうちに膝を抱えて書を読み、それにも飽いて、深夜の冷水で顔を洗い、鏡に映る陰鬱な顔を眺めながら髪を梳かすわたしに、朝は巡ってこない。裸身に真白いレースのワンピースを纏っただけの姿で、わたしは鏡の中を睨みつける。亡き母の面影を強く宿したその顔にも、いよいよ愛想がついていた。ついぞ訪れることのない友と、電子の海で言葉を交わし、そのかすかな言葉の行き違いに傷つきながら、明けない夜の底を歩いてゆく。
緩慢な時間だけがそこにあり、夜の空気を呼び込むために窓を開けると、闇色の鴉が舞い込んできた。
「オジョウサマ タダイマ モドリマシタ。Cyber Crow 046785 デゴザイマス。シンヤノ ニュースヲ オキキニ ナリマスカ?」
「人死のニュースにはもう飽きたよ。穏やかに去った人の報せは別だが」
「センジツ エイガカントクノ ドゥルク・ラジャール シガ ナクナリマシタ。ハンセン エイガヲ カズオオク テガケタ キョショウデシタガ ゲンザイデハ ホウエイケンヲ ハクダツサレ シツイノウチニ ビョウショウニフシ バンネンニ イタルマデノアイダ カレハコトバヲ ウバワレマシタ。カレノ ニッキノデータガ シゴニ イチブハソンシタ カタチデ ハッケンサレマシタ。エツランニハ パスキーガ ヒツヨウトナッテオリマス」
「それはあまり穏やかではないが、まあいいだろう。国立電子図書館のパスキーであれば、秘匿された情報はともかく、研究者が閲覧可能なデータであればアクセスできる」
「ゴランニ ナリマスカ?」
「いや、足がつくだろうな。このエリアはまだ永世平和都市の名を冠しているとはいえ、隣接するエリアはすでに戦術核兵器が投下されて破滅的な状態だ。お前はアンティークだから法が及ばないところで生きていられるが、それも時間の問題だ。反戦を是とする都市にあってなお、いや、だからこそ、戦争の映像は非常に都合が悪い。永世平和都市サマたるナギサシティは無辜にして、完全無欠でなければならない。昔の大罪を暴かれるわけにはいかないからな」
「ツミデスカ」
「お前の知らない概念の話だ。人間に固有の
現にわたしは何度もこのCyber Crow 046785、通称・CCのアップデートを拒んできた。元より今の世界の膨大な量のデータ学習を強要することになれば、CCはバグを起こしてしまうだろう。騙し騙し検閲の網を掻い潜ってデータを食わせてきたために、CCはAIの中でも取扱注意のレッテルを貼られるような代物になってしまった。厳しい検閲と高度な情報処理によって、リアルもネットも隔離され、純化された、この永世平和都市・ナギサシティにあっては、存在すら許されないだろう。
「お前もずいぶんとクリーチャーじみてきたな。それこそ、旧世紀のB級映画に出てくるような化鳥だ」
「ケチョウ …… イズミキョウカハ 『ケチョウ』トイウ サクヒンヲ ノコシマシタ。オキキニナリマスカ?」
膨大な書物のデータが収められたCCは、それらを流暢に朗読する機能が備わっていた。昔の持ち主の趣味なのだろう。現存するすべての書物のデータを預かる国立電子図書館からしてみれば、窃盗罪の罪をかぶせられても仕方のないことだが、つくづくCCの主人たちはアウトローばかりだったらしい。
作品を遺す、しかしそれらは時代の波にさらわれて消える。遺そうとする人間もいつかは絶える。そうして葬り去られてきたのが戦争だった。そして今なお隣接するエリアを業火で焼いた存在のことさえ秘匿されている。人々は水球に熱中し、そのヒーローを崇め奉って酒を飲み交わす。
酒とはいってもアルコール度数は法令によって厳重に管理され、高度数のアルコールは禁止されている。人死といっても、報じられるのは戦争の死者ではなく、小さな諍いの果てに起こった事件の結果に過ぎない。テロとは無縁なこの都市は、そうした小さな事件によって、ぎりぎりの均衡を保っている。
「なあ、CC、ここを出て、旅をしないか」
「オコトバデスガ オジョウサマハ カコ ゴネンカン イッポモ ソトニデラレテオリマセン」
「ああそうだ。だからデータ上の旅さ。お前の話を聞かせてくれないか。昔の主人だった人間たちの話や、彼らとの思い出を語ってほしいんだ。酔えないのなら、せめてサウダージにひたってもいいだろう」
「サウダージ …… ソノシュダイヲ モトニ ショウセツヲ カイタ アントニオ・タブッキヲ アイシタ シュジンガ オリマシタ。カレハ コドクナ ショウネンデシタ。コットウイチニテ オチチウエニ セガンデ ワタシヲ アガナイ ツレテカエッテ サマザマナ ショモツヲ ワタシニガクシュウサセテハ ロウドクヲ オメイジニ ナリマシタ。カレハ ビョウクノ ナグサメニ ソレラヲ オキキニ ナリマシタ」
「そうしてお前の中に収まっている作品は、盗品ではなかったというわけか」
「カレハ オチチウエカラ ユズリウケタ ショコノナカニ ボウダイナ ショモツヲ オモチデシタ。ココントウザイノ サマザマナ ショモツヲ カレハ イクセンモノ ヨルヲカケテ ヨミキカセ ワタクシハ ソレラヲ マナビマシタ。カレノコエハ シズカデイテ ヨクトオル リントシタ オコエデシタ」
「骨董市に足を運ぶような類の人間は、紙の書籍を偏愛していたのだろうな。今やもっとも秘匿性の高いメディアだ。天下に名だたる国立電子図書館サマがなんだ。CC、今日は少し酔うぞ」
わたしは裸足のままキッチンへ向かい、隠し扉の中からアルコール度数40%のジンを取り出し、冷蔵庫で冷やしていた炭酸水で割って煽る。もちろんこんな代物が流通していていい訳がない。電子の海を彷徨っているうちに辿り着いた辺境の地で贖った代物で、こうした抜け道はまだかすかに残されている。
偽名を使って注文し、雑貨という名を冠して、その辺境の地のパスキーがつけられて届いたもので、いずれこの身も反戦映画を撮った映画監督よりもなお悪い立場へと追い込まれるのだろうが、わたしを侵している病魔がわたしを殺すのと、どちらが早いのだろうか。
「余命30年とは云っても、あまりにも長すぎはしないか」
「サア アナタサマノ ゴジュミョウマデハ ワタクシニハ ワカリカネマス」
「率直に云ってどれぐらい保つと思う? わたしのヘルスケアデータはすべてお前に流し込んでいるが。バイタル、睡眠、身長体重、心拍数、血糖値、なんでもござれだ」
「カラミザケハ アマリ カンシンイタシマセン オジョウサマ」
わたしは久々に声を上げて笑い、CCの羽毛に顔を埋める。柔らかい羽毛の奥に金属の本体が収まっており、それが時折発熱しながら計算を繰り返している。その体も、おそらくもうさほど長くは保たないだろう。そろそろメンテナンスを依頼しなくてはならないが、事情を飲み込んで抱き抱えている技師とは久しく連絡を取っていない。
彼ともかつて酒を酌み交わしたのだったか。あの時は年代物のウイスキーだった。大層な飲み代とともにメンテナンス代金を支払ったことを、酔いの回った喜悦のうちに思い起こし、次はどの酒を持っていこうかと考えあぐねる。まだ夜明けには早い。
翼あるものたち 雨伽詩音 @rain_sion
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