第3話羽衣-A Record Of The Time Traveling Dancer-

 おまえを拾い上げたのは、ある日の昼下がりのことだった。この嵐の中を流されて漂着したらしい。傍に大鴉の剥製を携えて浜辺に打ち上げられたおまえは、見慣れない破れた衣服を纏って倒れ伏していた。名を尋ねたがわからないと云う。大鴉は機械仕掛けになっているのか、何事かカタカタと音を立てて、それきり止まってしまった。やがておまえは目覚め、裸身にシーツを纏って昼食の席につく。

 ナイフとフォークを使って、丁寧な手つきで魚を切り分けるおまえに、俺は語りかける。

「服ならばすでに洗って乾かしているところだ、何せひどい嵐だったからな。この大鴉はすでに壊れているようだが、中に何か入っているのかね」

 おまえは俺の腕の中から大鴉を受け取り、その羽毛を撫でて、胸にあるボタンを押した。

「オメザメデ ゴザイマスカ。ワタクシハ シツジヲツトメマス AIロボット Cyber Crow 046785 デゴザイマス。CCト オヨビクダサイマセ」

「しまった、初期化されてしまったか」

 食事を終えたおまえは唸ってCCの胸を開き、部品を解体しはじめる。すでに水没した体では、機械も故障しているだろうに、おまえは腕に装着された何かしらの器具を操作しながら点検を進める。薄青い光が翳され、CCの瞳は赤く明滅した。

「壊れているのではないかね」

「いや、水没による故障も想定内だ。ただ部品を取り替える必要がある……。時計はあるだろうか」

「それならいくらでも、古いものからつい先日作り上げたものまである。俺は時計職人でね。ところでおまえはどこから来たんだ?」

「さあ……それはわからない。ただ、時計があるのであれば話は早い。こいつは年代物のアンティークだから、この文明の時計の部品である程度融通が効くかもしれない。よかったらその時計を見せてくれないか」

「柱時計に壁掛け時計、いくつもあるが、どれがいい?」

「つい最近作ったものから試してみよう。それである程度この時代の判別もつく」

 どうやらおまえは別の時代を旅してきた者のようだった。古い書物にそうした旅行者がいたことは記されていたが、お伽話の世界のことだ。誰も本当だとは信じなかったし、幼少期に親から寝物語に聞かされて、それきり忘れ去ってしまう類の話だった。

 俺は頭の隅で金勘定をはじめる。おまえを売り飛ばせばこの家のカタをすっかり払ってしまえるかもしれない。希少価値の高い奴隷は一部の好事家が蒐集している。おまけに機械仕掛けの剥製付きとなれば、その価値はぐんと跳ね上がる。さて、どうしてくれようか。

「これでいいかね」

 金勘定の算盤を弾きながら俺はその様をおくびにも出さずにおまえに時計を差し出す。精巧な技術の粋を尽くして作ったその時計は、月の満ち欠けが上部に表示される仕掛けとなっていた。盤面には星空の絵付が施され、ここ最近の代物だと買い手も引く手数多だろうと見込んでいる。

「これは……CCに使ってしまうには惜しいな」

「そうだろう、だから取引をしようじゃないか」

 おまえはシーツを握りしめる。その体が色白の青年のものであることは確認していたが、腕に装着した器具はいかなる素材でできているのか、どうしても取ることができなかった。長く伸ばした藍色の髪に青い瞳、白い肌は海の仕事を知らない色をしている。目立った外傷もなく、70万レチルは固い。腕に装着した器具も、モノによっては高く売り飛ばせるかもしれない。

「おまえのその剥製を直す代わりに、おまえには店番を頼みたいんだ」

「構わないが、私は何もこの世界のことを知らない。相手が務まるとも思えないが」

「何、そう大したことじゃない。今夜は贔屓にしてくれている客が来る予定なんだ。その相手をしてくれればいい。何も云う必要はない。ただ時計の隣に立っていてくれればいいんだ」

「この時計はその客人に見せるものだろう。私が部品を奪っていいものではあるまい」

「何、代えならあるさ。ところでおまえの服だが、着てきた服はあちこち破れてしまっていてな。亡き妻の服がまだしまってあるから、それを着るといい」

「この島の男は女物の服を着る習わしでもあるのか?」

「俺の服は採寸が合わんだろう。そこの箪笥の中にいくらでもあるから、好きなものを着るといい。まさかシーツ姿で客人の相手をするわけにもいくまい」

「それはそうだが……」

 おまえは渋ったように箪笥の引き出しを開ける。踊り子だった亡妻の衣装が敷き詰められている中から、おまえが取り出したのは、布地がたっぷりと肌を覆う衣装だった。もっとも、その布地はこの地方の繊維で作られたもので、水に濡れると透けてしまう。

 そのことを知らないままおまえは服に袖を通す。淡い紫を基調として、装飾に金色の刺繍と房飾りが施されたその衣装を、おまえは居心地悪そうに触れる。さらさらとした手触りの布は、おまえのいた時代にはなかったものらしい。

「変わった繊維だな」

「ティルノラという虫が吐き出した糸で作られる希少な布だ。妻の遺した服の中でも最も高価な服を選ぶとはなかなかお目が高い」

「それで……時計の部品の引き渡しは、客人の応対が済んでからということでいいのか?」

「そうだ。それまでこの鴉は俺が預かっておくことにしよう」

 おまえは何を考えているのか、しばらく思案顔になった後、小さく頷いた。70万レチルが転がり込めば、当面の間は困らないだろう。時計職人の腕を競う大会も間近に迫っている。前回は最優秀賞を逃したが、今回勝ち取ることができれば賞金も懐に入る。納期が迫っている仕事を終えれば、あとは時間を割いて、腕によりをかけて柱時計を作ることに集中できるだろう。

 ティルノラの成虫は蝶に似て、紺碧に輝く大きな羽を持ち、蒐集家がこぞって集めたがるほどに美しい。そう、ちょうどおまえの髪の色のように。薄紫色の花をかたどった盤面に、ティルノラをかたどった振り子をあしらって、匣の装飾にはティルノラを戴くように木彫りの小花を添える。材木は白く塗り上げて、盤面の数字にはブルーブラックの塗料を使って、凝ったレタリングを施す──。

「この服は軽くて動きやすいな」

 おまえの声に顔を上げると、異国の踊りだろうか、見慣れないステップを踏んで、指先を高く上げ、上体を天に泳がせるように反らし、かと思えば我が身を抱くように指先が首から肩、胸へと這い、それに合わせて体をしならせて、美しく整った手が顔の前で交差して、やがて閉ざされた藍色の瞳がゆっくりと開かれるのが見えた。

「踊り子だったとは」

「そうだったのかもしれない。もはや忘れてしまっていたが、この服を着ていると自然と体が動く。まだ日暮までには時間がありそうだし、浜辺で踊ってきてもいいだろうか」

「あ、ああ……何か思い出すかもしれないしな。踊ってくるといい」

「ワタクシメモ ゴイッショ イタシマス」

「ま、待て、おまえは家の中にいろ」

 捕まえようとした俺の腕の中をすり抜けて、壊れていたはずの大鴉は羽ばたいておまえの肩に止まり、おまえたちは浜辺へと踊り出した。夕陽が沈もうとしている浜辺でおまえは月を呼ぶように天を仰ぎ、藍色の髪を振り乱して、先ほどとはまた違う踊りをはじめる。

 大鴉は天を舞い、おまえの舞踊に呼応するように翼をはためかせた。

 舞踊の神はこの島でも信じる者が多く、亡妻もその祈りを欠かしたことはなかった。その神が乗り移ったようにおまえはステップを踏み、次第にその足は波打ち際の水面へと入ってゆく。

「ま、待つんだ」

 踊っている間にも濡れた服から白い肌は透けて見えるものの、当人は一向に意に介さず、その腕の器具は光って、何事か音を発しはじめ、壊れていたはずの大鴉の剥製と呼応して不明な音声が流れ出す。

「承認番号650973、舞踊により、身体コードを確認、受諾いたしました。これよりレシアンの帰投を開始いたします」

「ゴシュジンサマ マイリマショウ」

 大鴉が鳴き声を上げたかと思うと、海中に渦が生まれてたちまち嵐になった。俺はその場に呆然と立ち尽くして、渦のうちへと飲み込まれてゆくおまえを見送るほかなかった。

 俺は急いで家に戻り、干されていたおまえの服を探した。手に取ったかに見えたその見たことのない繊維でできた服は、藍色の光を放って溶け消えてしまった。これもティルノラの紡いだ夢だったというのか。俺は亡妻の箪笥を漁ったが、たしかにおまえが纏っていた衣装だけが欠けていた。


BGM: bjork/Greatest Hits

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

翼あるものたち 雨伽詩音 @rain_sion

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ