空室あり
下東 良雄
古ぼけたアパートにて
『空室あり』
ブロック塀に掲げられた白地に赤字の看板。もう随分と長い間、掲げっぱなしだ。
その塀の向こうには古ぼけた木造のアパート。しかも、今時共同玄関というかなりレトロな作り。プライバシーなんて言葉がなかった頃の建物で、歴史的な建築物に指定されそうな古さ。部屋は六畳一間のワンルームで、風呂もトイレも無しだ。
でも、以前は和室だったけど、今はフローリングの洋室に改装されている。トイレもお風呂も共同だけど、どちらもとても清潔で、嫌な匂いや汚さも皆無。洗濯機も二台設置されていて、乾燥機まで完備……なんだけど、今時のひとに「共同」は中々受け入れられないよね。住めば都だし、コンビニやスーパーも徒歩圏内。レトロなシェアハウスだと思えば、いい物件だと思うんだけどな。
ボクはそんなことを考えながら、自分の部屋から外を眺めていた。ボクの部屋側は眺めに難あり。目の前が墓地だったりする。でも、ここもお寺のひとが毎日のように掃除しに来るし、ボクの一族のお墓があったりするんだよね。なので窓から手を合わせたりしている。ちょっと罰当たりかな?
廊下を挟んで反対側の部屋は眺望もいいんだ。通りに植えられた桜もよく見えるし、日当たりも良好。のんびり暮らすには最高……なんだけど、もうこんな作りの建物は受け入れられないのかな。
このアパートにたったひとりで住んでいるボクは、何だか寂しくなってフローリングの上にごろりと寝転がった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
すごく久々に入居者が来たみたいだ! 引越屋さんのトラックがアパートの目の前に停まっている。こういうレトロな物件、今はすごく少ないだろうし、物珍しさで興味を持ってくれたひとがいたのかな。
窓から隠れて覗いてみると、何と入居者は若い女性! ……何だけど、妙に怪しい雰囲気が漂っている。背中まで伸びる黒髪に、黒でコーディネイトされたファンション。黒尽くめで、何だかオカルトチックな感じがする。綺麗な若い女性なんだけど、正直少し気持ち悪さを感じる。
あっ、ヤバい! 目が合った! ボクは慌てて隠れた。別に隠れる必要は無かったのだが、あの目に怖さを感じたのだ。同じ建物で暮らすわけだし、変な先入観を持ってはいけないとは思うのだけれど……。
それから数時間後、廊下に出たら入居してきた女性がいた。ボクの部屋側ではなく、反対側の眺望の良い方の部屋へ越してきたようだ。まだ片付けの最中かな?
「あっ、こんにちは」
ボクは勇気を出して挨拶してみた……のだが、一瞥をくれて無視されてしまった。挨拶しただけだし、別に下心があったわけでもない。それなのに、あんな嫌な感じの目で睨まなくても……。
何だか傷心気分で部屋に戻ったボクは、フローリングの床へ横になり、何気なしに昔好きだった歌を口ずさんだ。今どきは挨拶すらしないドライなお付き合いがいいのかな。何だか寂しいな。
深夜、お手洗いへ。
薄暗い廊下に出た。建物が古いから床が軋むんだよね。自分ひとりだけの時は気にする必要もなかったけど、あの女性がいるので、抜き足差し足忍び足で……
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ
……そっと歩いてもうるさい。こればかりはどうしようもないのだが、女性に申し訳ないと思い、ちらりと女性の部屋の方を見てみると――
――扉の隙間からこちらをうかがう女性と目があった。
「ひいぃ~っ!」
ボクが驚いて声を上げると、女性はピシャリと扉を閉めた。いや、本気で怖いってば! す、少し漏らしたかも……ボクは情けなさを感じながら、共同のお手洗いへと向かった。あの女性、何なんだよ……。
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ
いや、でも、まぁ、確かに気になるうるささだよね……ごめんなさい……。
翌朝、学校へ向かうのであろう女性の姿が窓から見えた。多分、大学生なのだろう。ここは家賃も安いし、苦学生なのかな……と思っていたら、いきなりバッとこちらへ勢い良く顔を向けた。また目が合ったボクは、驚きと恐怖で思わず隠れた。一体何なの、あの女性は!? 後ろに目でも付いてるの? 気持ち悪いし、怪しいし、怖すぎる! 久々の入居者でアパートが賑やかになるって楽しみだったのに、何だよこの状況は……。
女性が越してきて半月。その後も顔を合わせれば挨拶したりしていたのだけれど、すごく嫌そうな視線や表情でボクを見るばかりで、
そのくせ、先週は驚くことが起きた。部屋で鼻歌歌ってゴロゴロしていたら、いきなり――
ガラッ バンッ
――部屋の戸が勢い良く開いた。突然の出来事にびっくりして戸に目をやると、戸を開けたのはあの女性。何かボクを睨んでいる。鼻歌が
「あの……」
ガラッ バンッ
ボクの言い訳も聞かずに、勢い良く戸を閉めて自分の部屋へ戻っていった。何なんだよ。何が気に食わないのか知らないけど、いくらなんでも無作法だろ。ボクが逆のことしたら警察呼ぶだろ。若い女性だからって、何もしても許されると思うなよ!
……まぁ、でも
窓の外を眺めて、ため息ひとつ。別になぁなぁの関係になろうなんて思っていないけど、ちょっとうんざりだな。あんな変なひとじゃなくて、普通に社交性のある入居者、来ないかなぁ……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――街の不動産屋
「あんな物件だと思わなかったです! 何なんですか、アレは!」
中年太りのスーツを来たハゲ親父に食って掛かっているのは、背中まで伸びる黒髪で黒尽くめの女性。あの古びたアパートに入居した女性だ。
「聞いていた話と全然違うじゃないですか! すぐに別の物件を紹介してください! 礼金は払いませんからね!」
女性の剣幕に、不動産屋のハゲ親父もタジタジで、額の汗をハンカチで拭いながら頭を何度も下げている。慌てて色々な物件情報が収められたファイルをパラパラとめくる不動産屋。女性はソファにふんぞり返って、怒り冷めやらぬ感じである。
女性は再度身を乗り出して、怒りを込めて訴えた。
「不動産屋さん、言っていましたよね! あの物件は誰も住んでいないから静かに過ごせるって!」
「で、でも、本当に誰も……」
「いいから、早く物件探しなさいよ!」
「は、はい!」
女性は震えていた。
確かにあのアパートでは誰とも会っていないのだ。
窓から自分を見つめる何かがいた。
屋内で何かの気配があった。
何かが見えたような気もした。
どこかの部屋から不気味な歌のような音が聞こえてきた。
誰もいないのに廊下を誰かが歩く音がした。
廊下を覗いたら謎の叫び声が聞こえた。
何かが毎日窓から私を見つめていた。
入居して半月。女性は絶対に気のせいだと、何度も自分に言い聞かせた。だから、怪異現象は見て見ぬ振り、聞いて聞かぬ振りをし続けた。
しかし、女性の精神は限界の淵にまで追い詰められた。
不気味な歌のような音が聞こえる部屋。女性は勇気を出して、その部屋の戸を思い切って開けたのだ。
そこは、がらんどうの誰もいない部屋。そして――
――部屋の真ん中には、青い手毬がポツンと置かれ、風もないのにゆっくりと、本当にゆっくりと部屋の中を転がっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『空室あり』
古ぼけた木造アパートのブロック塀に掲げられた白地に赤字の看板。もう随分と長い間、掲げっぱなしだ。アパートの窓には、ひとり寂しげな若い男性の姿があった。
今のところ、入居者はいない。
空室あり 下東 良雄 @Helianthus
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