名前のない料理と、

地崎守 晶 

名前のない料理と、

 あれは雨宿りに寄った時だったか、終電を逃したときだったか。とにかく、薄い壁と窓の向こうからやけに大きく雨音が響いていた。

 火にかけられた油の匂い。あなたがフライパンをコンロに載せている。底がペラペラで、テフロンはハゲハゲ、取っ手はガタガタ。買い替えれば? と言えばまた今度ね、とだけ返ってくる。

 安いアパートの狭苦しい台所。みすぼらしいフライパンでじゅうじゅうと香ばしい匂いを立てているのは、冷凍のカット済み素揚げ茄子と、4パックまとめて安売りされていた薄切りハムを適当にちぎったもの。

 あなたは包丁を使わない。そのまま食べられるものかレンチンなり鍋なりで加熱して食べられるものしか買わない。

 あなたはレシピを調べたりしない。なんとなく組み合わせたらおいしいんじゃないかという理由で適当に合わせ加熱して(時間さえ計らずに!)、塩梅と称して適当に調味料をかけている。

 そのくせご飯作るよ、ゆっくりしてて、なんて得意げな顔で言うのだ。


「そういえばこれ、名前はあるの」


 大皿に盛られた、焦げ目のついた茄子とハムに雪のように塩胡椒が振りかけられたものをつつきながら言う。ハムの代わりにベーコンが起用されていたらまだしもそれっぽくなった気もするけど、全体的にまとまりがない。そういうところがなんだか少しズレたあなたらしい。

 茄子を噛む。やたらと染みたがじゅわじゅわとあふれる。やっぱり塩胡椒はかけ過ぎだと思う。辛い。麦茶に手を伸ばす。


「そうだなー、名前なんて考えたことなかったや。

ちょくちょく作ってるのにね」


 ただでさえ薄い眉を溶けるように下げてあなたは笑う。おまけのように後頭部を右手でさする。照れたとき、迷ったとき、困ったとき。あなたはいつもそんな仕草をする。


「じゃあさ、考えてよ、この料理の名前」

「えー、マジで」


 この微妙に味がまとまってない脂ぎった混合物を料理と認めたくない気もして、口をとがらせる。


「料理は人に食べてもらってこそだからさ、食べてくれて感じたことから名付けてくれれば」

「いや何それ」


 六畳間に響いたそんなしょうもない会話だけが、やけに思い出される。

式のスピーチを頼まれて、メモ帳を開いて一文字も入力出来ないまま一時間が過ぎていた。

 立場として同窓生として、でいいだろう。なんとなく長々とつるむようになったあなたとは、まあ友人ではあっただろう。けれどあなたには他にも仲の良い友達はいたし、付き合っていると噂の先輩もいた。

 結局一度だってあなたと寝たことはないし、茄子とハムを炒めたやつの名前だってつけなかった。あれからも何度か振る舞われたのにも関わらず、だ。

 だから、あなたとの関係をなんといったものか、分からなかった。

 どう他人向けに説明したらいいのか、分からなかった。


 ため息をついてスマホを置く。目線をさまよわせるが、この部屋にはあなたの映った写真だって飾られていないので、文句をぶつける相手はいない。

 窓を開けてベランダに出ると、柵に頬杖をつく。電車が踏切を通り過ぎる音が夜の町に染み渡っていく。

 向かいのマンションのベランダに、絡まって枯れたバラのツルが見える。

 あなたはバラの花を見るといつも同じ話をした。

 バラよ、どのような名前で呼ばれようと。

 そのかぐわしい香りに変わりはない。

 何を気取っているのかといつも肘鉄を入れたものだ。こんなときにそんなことを思い出すなんて、まったく仕方ない。

 自嘲気味に笑って中に戻って、不意に分かった。

 あなたの料理に名付けなかった理由。

 名前がついていないくてもよかった。どんな名前をつけたところで、あの脂っこさ、絶妙にズレた感じ、頼りない笑顔、自分の中のあなたが変わることはないだろう。

 だから、あれは名前のない料理でよかったんだ。名前のついてない料理が、よかったんだ。

 だからあなたとの関係だって、名前なんかいらなかったんだ。


 メモ帳は白紙のまま。

 何一つ解決していないけれど、今晩はぐっすり眠れる気がした。





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名前のない料理と、 地崎守 晶  @kararu11

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